AXIOSが“The president is now a king”: Key lines from Trump immunity ruling(大統領は今や王様だ:トランプ免責判断の主な発言)という記事を出している。
アメリカの最高裁判所で新しい判断がでた。大統領在籍中の公務部分について免責が認められた。議会襲撃事件扇動も「公務」であれば免責ということになる可能性が出てきたということだ。一方で連邦の規制に関する権限は大幅に縮小された。40年守られてきたシェブロン法理が否定された。
自由を最大化する一方で一部の州ではキリスト教聖書教育を義務化する動きも起きておりアメリカの民主主義は転換期を迎えているといえる。
議会襲撃事件にトランプ氏がどう関わったのかについての裁判が続いている。11月まで裁判を引き伸ばしトランプ氏が大統領になれば「トランプ氏の勝ち」ということになっている。
先週の金曜日に経済事件を扱う法律の適用が制限された。これによって収監中の人を含む大勢が再審請求を求めるのではないかとされている。さらに週明けの月曜日になってアメリカの大統領は在職中の公務に大幅な免責特権が認められるという判断が出た。リベラル派判事のソトメイヤー氏は「大統領は法律の上に立つ王になった」と反発したが保守派判事が大勢を占める裁判所では多勢に無勢だ。
“The relationship between the President and the people he serves has shifted irrevocably,” she wrote. “In every use of official power, the President is now a king above the law.”
一方で連邦の規制権限を制限する判断も行われた。シェブロン法理というそうだ。環境・消費者保護・金融監督で主に用いられれている。暗号資産(仮想通貨)や人工知能(AI)にも延用される可能性があった。ニュースとしてはこちらのほうが大きいのかもしれない。
冷静に考えるとこの判断は矛盾しているようにみえる。連邦の大統領は何をやってもよい(免責)が連邦の規制権限は大きく妨げられている。つまり連邦の権限を起点にすると「強めているのか弱めているのかわからない」ということになる。
一方で連邦大統領は民衆から選ばれたのなら何をやってもいいしアメリカ市民も連邦に規制されることなく」「なんでもやっていい」と置くとこの判断は矛盾しなくなる。「自由」と表現しているが「みんなやりたいようになっていい」と考えると社会秩序の崩壊にもつながりかねない危険な動きともいえる。
何でも自由を追求する方向なのか。実はそうではない。「アメリカ建国の精神を学ぶためには聖書の教えを理解しなければならない」とする州が生まれている。また「十戒」は法の支配の原点なのだから教室に掲示しなければならないとする州もある。さらに聖書に中絶は犯罪と書いているからアメリカでも犯罪にすべきだという週がある。背景にアメリカ化した福音派の存在がある。聖書の教えを一言一句守らせる原理主義的傾向がある。
一方で「自由の最大化」を唄いつつ一方でキリスト教以外の宗教と人々の選択に制限が加えられかねない動きが出ている。急速に非白人化しつつあるアメリカ合衆国のマジョリティの焦りが生み出した混乱だ。
結果的にこの焦りが「民主的に選ばれた王は過去の複雑な法理を破壊し人々に自由(という名前の好き勝手)を許してもいい」という独特の流れを作り出している。テレビタレントから出発したトランプ氏の「俺はやりたいようにやるしみんなも好きにすればいい。あとはどうなっても構うもんか」という空気がアメリカ全体を覆いつつある。