オクラホマ州が聖書教育を学校で義務化する。先だってルイジアナ州の教室で十戒の掲示が決まっておりアメリカ合衆国の一部で右傾化・キリスト教原理主義化が進んでいることがわかる。
政教分離原則のあるアメリカ合衆国ではこれらの法律は違憲である可能性多が高いが推進派は「アメリカの建国理念を教える上で聖書は必要不可欠だ」として譲るつもりはないようだ。今後もこうした決定とそれに対抗する法廷闘争が複数の州に広がる可能性がある。
アメリカは変わりつつある。
共和党が優勢のオクラホマ州の公立学校で聖書教育が義務化される。ルイジアナ州ではすでに教室の十戒掲示が義務付けられておりこの決定に影響を受けたものと考えられている。またこうした運動は共和党が優勢な一部の州でさらに広がる可能性がある。またこれ以外にも中絶は殺人であるという理念のもとで中絶の厳格な禁止運動が起きている。
アメリカ合衆国憲法は信教の自由を掲げており特定の宗教が優先されることは憲法違反の可能性が高い。このため多くの訴訟が予想される。最高裁判所は憲法判断で大忙しになるだろう。
にもかかわらずアメリカでキリスト教回復運動が広がるのは「白人中心の国家」が失われることへの焦りがあるからだろう。CNNは次のような主張を伝えている。
“The Bible is an indispensable historical and cultural touchstone,” Walters said in the release. “Without basic knowledge of it, Oklahoma students are unable to properly contextualize the foundation of our nation. This is not merely an educational directive but a crucial step in ensuring our students grasp the core values and historical context of our country.”
聖書は宗教的文書ではなく「建国の理念を理解する上ではなくてはならない歴史的文書である」と位置付けられている。十戒を正当化するにあたっても同じようなロジックが使われており「十戒は法の支配原則の原点である」というような説明がされていた。
確かに欧米の法治主義・法の支配原則がキリスト教の伝統を踏まえていることは間違いがない。またアメリカ合衆国を建国した人たちはキリスト教徒だったのだから彼らの主張もあながち虚偽とは言えない。
しかしながら現代のアメリカは多文化化・多民族化が進んでおり建国当初の常識をそのまま当てはめることは難しくなっている。憲法は時代に合わせてアップデートされるべきだが、アメリカの憲法解釈には建国当時の理念を曲げてはいけないとする原理主義と時代に合わせて解釈を変えるべきだとする解釈主義の対立があると指摘する人もいる。
このように建国理念という核心的な部分においてアメリカ人の間の合意形成が難しくなりつつある。南部の白人たちは「欧州(つまりキリスト教白人の)文化が建国理念である」と考え、両岸に住んでいる人たちは「世界中から自由を求めてきた人たちのために作られれたのがアメリカ合衆国だ」と言いたがる。
そもそも今回の問題は「アメリカの建国理念がどのようなものだったのか」という歴史的解釈と価値観の問題を統一することは難しい。今後しばらくは分断されたアメリカの価値観が統一を見ることはないだろう。