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民進党の右派議員はなぜ自民党に行くべきなのか

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2017/4/8に書き直した。
都知事選挙の時に、日本では二大政党制は成り立たないということを書いたのだが、結局、都政レベルでは自民党の中の権力争いががそのまま外に出る形で政界再編が起こりつつあるようだ。つまり自民党は都政レベルでは自己崩壊した。民進党はそれに対応できず、連合は小池指示にまわり、長嶋昭久衆議院議員が離党した。つまり、都政レベルでは民進党が先に崩壊しつつある。日本ではイデオロギーベースの対立は起こりえず、政治的村落の中の権力争いがそのまま政争になるものと考えられる。政党は地方レベルではデパートの包み紙のようなもので、伊勢丹で買い物しようが、そごうで買い物しようが、そこにはライフスタイルの反映はないということになる。
以下原文。


鳥越俊太郎都知事候補が失速し、民進党内部では左右対立が激しくなりつつある。岡田代表の「野党共闘路線」は間違いだったのではないかというのだ。もともと民進党は二大政党制の実現を目指して作られた政党なのだが、結局日本には二大政党制は根付きそうにない。それどころか、民進党内にいると政権交代を巡る非公式なコンペティションに参加できないので、政権から遠ざかってしまう。で、あれば民進党の右派議員は自民党に入党するべきだろう。
これまで「日本には言葉で理念を伝える文化がなく、集団的で非言語的なやり取りをもとに政策が決まるのではないか」というようなことを考えてきたのだが、そこまで持って回った言い方をしなくても、日本で二大政党制が根付かなかった理由が説明できるかもしれない。
二大政党制の国では、地方の保守層(現状維持を望む人たち)と都市の開明な人たちの対立構造が見られる。アメリカの場合には共和党が前者を代表し、民主党が後者を代表すると考えられている。ウルグアイにもかつて「赤党」「白党」という二大政党があったそうである。こちらも地方と都市の対立だ。もしくは、都市の特権階級層と地方の比較的貧しい人たちが二大政党を形成する場合もある。タイなどはその例だろう。
ところが日本ではそのような対立構造は見られない。地方保守層は存在するが、都市に開明な人たちがいないからだ。都市の開明さの背景にはキリスト教の影響があるのではないだろうか。神様と個人的な契約を結び、能力に応じて一生懸命働くが他者を排除しないというようなイデオロギーだ。
確かに、東京では開明派の人たちがいて、革新都政を作ったのだが、いつのまにか「バラマキ」に変わってしまった。社会民主主義はもともとキリスト教的な考え方が基礎にあると思うのだが、このうち「神様との契約で経済活動にいそしむ」というような価値観が理解されなかったせいだろう。社会民主主義は日本には根付かなかったのだ。
経済格差も二大政党制を生む可能性がある。こちらはキリスト教的な開明さは必要ないが、日本にはここまで極端な(つまり、電気も通っておらず住民が満足に文字もよめないというくらいの)格差は存在せず、開発途上国型の二大政党制も成り立ちそうにない。
日本の政党はどれも西洋(特にアメリカ)の模倣だから、違いが出る余地がない。どこを探しても対立が見られないのだから、二大政党どころか政党間競争すら成立しえない。故に、政権交代を目指すのであれば、非公式な自民党内のコンペティションに参加する必要があるわけで、民進党にいてはいけないということになる。
正直なところ、民進党がどうなろうがあまり興味はないのだが、開明的で自己変革しながら進歩を目指そうという都市階層の不在は、大きな問題だろう。今回の都知事選挙には3名が出馬した。

  • かつては先進的だったが、結局何も成し遂げられず老化してしまったリベラル層の代表。
  • 保守主義が強硬化した原理主義者の代表。
  • 大きなプロジェクトに群がる既得権益者の代表。

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