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ポケモンGOは禁止すべきか

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ついにあのポケモンGOが日本でも配信された。
配信前にはかなりのプロモーションが行われた。アメリカで流行っている、崖から落ちた、原発に入った、車にはねられたなどというニュースがさかんに流されたのだ。NHKまでもが(ミッキーマウスですら、例のあのネズミと呼ぶのに)ポケモンを連呼していたせいで、高齢者までが「ポケモン」という言葉を覚えてしまった。
このポケモンGOが危ないという論が出ている。検挙者や逮捕者まで出たからだ。ゲームをやらない人たちがおもに「あれは危ない」と主張しており、ゲームをやる人たちが反発している。はたして、ポケモンGOは規制されるべきなのか、それともそうではないのか。
依存という概念がある。何かに頼らざるを得なくなる状態が依存だ。依存そのものは問題ではないのだが、健康に影響が出たり、社会生活が営めなくなると「依存症」になる。いわば程度の問題で問題になるのだ。
合理的な判断が効く状態では「自転車に乗るときには前を見なければならない」などと思えるわけだが、スマホ依存症になるとそれが分からなくなる。実際に事故が起きているということは、この人はスマホ依存を起こしていることになるだろう。依存を自分の意思で止めることは難しいので社会的に何らかの介入が必要になるのだ。未然に防止しなければ事故につながる。
「じゃあなにか。お前はゲームを禁止しろとでもいうのか」という声が聞こえてきそうだ。これは非常によい質問である。つまり、これはゲームの問題ではないのだ。ポケモンGOは、バーチャルとリアリティを融合したフィールドでの始めての成功例となった。つまりこれは、AR(拡張現実)と呼ばれる分野で何が起り得るかという壮大な社会実験なのである。ARは現実に情報を付加するという方向性で考えられることが多かったのだが、実際には逆の形で成功した。つまりゲーム空間が現実に登場するARが最初の社会現象を起こしたのだ。
ポケモンGOの成功でARには没入感と中毒性があることがわかった。もともと、このゲームは影響力を受けやすい人たちの間で広がっているようである。合理的な判断ができる人もいるだろうし、そうでない人たちもいるのだ。自分たちの合理的な判断で「やる・やらない」を判断できないとしたら、社会が介入する必要があるということになるだろう。つまり、ポケモンGOは規制の対象にすべきだということになる。
どのような規制が考えられるかというのは、つまりどうしたらARを安全に運用できるのかというのと同じ問題なのだ。
この問題は検討されるとしても、たぶん「ゲーム脳」のような扱われ方をするのではないかと思うのだが、実際にはもうすこし広範な現象を扱っている。もしくは「あぶない恋愛が描かれたマンガを規制する」というのと同じ対応になるのかもしれない。つまりは、たんなるサブカルチャーいじめとそのカウンターという運動になってしまうのだ。これは「使う人」対「使わない人」の対立だ。
、現在多くの議員たちが「人工知能や拡張現実はお金になる」という認識を持っている。この問題を規制は多分大きな問題が起るまで先延ばしになるのではないだろうか。何か起きたときにパニック的に何かを決めるのだったら、今から準備しておくべきではないだろうか。