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「残念な河野太郎」さんの残念で中途半端な総裁選出馬宣言

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河野太郎氏を一言で言うと「残念な人」だ。総裁選への出馬を決めたと見られているが「小説ですか?」とこれを否定している。

河野氏の「残念さ」を考察すると今の自民党の問題点が見えてくる。封建領主的な政治家と叩き上げの政治家の中間が存在しないのである。

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現在の自民党は次の総裁選挙に夢中なようだ。岸田総理にとって国民経済の立て直しはもはや副業状態といって良い。

総裁選挙のキーは二人の首相経験者だ。麻生太郎氏は「国会経営者目線」が強く国民は黙って税金を払い国を支えるべきだと考えている。言い換えれば封建領主的政治家と言って良い。幼い頃から天皇と同じ学習院で教育を受け天皇と同じ英国に留学した。その地位は世襲的に約束されており前の世代から引き継がれるべきものであり封建領主は比喩ではない。

一方の菅義偉氏は秋田から何も持たずに上京し横浜市議として一から人脈を形成してきた叩き上げ政治家だ。彼の父親は満州から引き上げた後イチゴのブランド化に成功した起業家気質だ。また、彼は宏池会分裂のきっかけとなった加藤の乱に参加し派閥の存在に疑いを持つようになった。

乱が不発に終わると、菅は「しらーって感じですよ。首相の首を取るというから、命懸けでやったのに」とぼやき、加藤と距離を置いた。政争で負けも込んだが存在感は高まった。

麻生・菅の対立構造は「支配政党」としての自民党のあり方についてのイデオロギー対立と言える。国民生活には全く関係のない話ではあるがこれが今の自民党の最大関心事項だ。

当然彼らの国家観が相入れることはない。ところが河野太郎氏はこの2名の「どちらからも」支持を集めようとしていると時事通信が書いている。同じ神奈川県の重鎮である菅義偉氏の支持も期待するが「彼は残念な人だ」と考えているようだ。

一方、その選択は河野氏を陰に陽に引き立ててきた菅氏の不興を買う結果となっている。菅氏は23日の文芸春秋のオンライン番組で「(河野氏が首相になる)可能性はある」としつつ、河野氏の麻生派残留についてはコメントを避けた。周辺には「彼ははっきりしない」と不満を漏らしているという。

河野太郎氏の問題は岸田総理の問題とも重なる。どちらも世襲政治家であり一から人脈を築いた経験がない。このため「ありもの」の派閥に頼ろうとする。しかしながら自己分析能力も構造把握能力もないため自分が何をやっているのかに気がつけない。岸田総理は中途半端に派閥を破壊しようと試みていたが、現在ではかつての派閥の領袖やそれ以外の会合などに参加し盛んに支持を取り付けようとしている。自分が燃やしてしまったものの大きさに今更ながら気がついたのだ。

もちろん河野太郎氏もそれなりに成果を上げようと努力はしてきた。

再生エネルギーの問題では不用意に中国に近づいてしまい「大林ミカ氏と中国企業のロゴ」問題を引き起こした。また彼が発掘してきた秋本真利議員(詐欺罪で起訴され自民党を離党したがいまだに現職の国会議員だ)の問題も抱えることになった。マイナンバーカード健康保険証問題もあまりのゴリ押しぶりでさまざまな問題を引き起こし岸田総理の足を引っ張り続けている。まさに残念な人の残念な成果(正確には事業の残骸)だ。

一から人脈を作れる菅義偉氏にはこれといった国家観がない。党内の人間関係と利害調整こそが政治と考えているからである。一方の世襲政治家には国家観はあるかもしれないがその国家観に基づいて一から組織を組み立てることができない。組織はむしろ「引き継ぐもの」である。麻生氏の国家観は「国民は臣民として領主を支えればいい」という封建的なものだ。河野氏もそれなりに新しい産業を作ろうとはするが実業経験が乏しいために全く成功していない。

河野太郎氏の「残念さ」を分析すると「世襲政治家と叩き上げしか選択肢がない」という自民党特有の構造的な問題が浮かび上がってくる。

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