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ロッキード事件と内向きな日本人

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ロッキード事件から40年の節目、NHKで事件に関するドラマをやっていた。首相経験者が首相時代の汚職で逮捕されたのは戦前・戦後通じてこの事件だけなのだそうだ。裁判が長期化したこともあり、ロッキード社から流れた金の大半はどこに流れたのか分からないとのことである。
ドラマは演劇的で面白かった。謎が多い分だけいろいろなことを考えたくなる。背景にはアメリカの軍需産業が日本に兵器を売り込みたいという動機も見えるし、アメリカの世界戦略の中で田中角栄が邪魔だったのだと言われれば「ああ、そうかな」とも思う。
しかし、英語版のWikipediaを読むと少し印象が変わる。日本国内の記事を読んでも、なぜロッキード社の事件が明るみに出たのかという点が問題視されていないのだ。国内問題ではないので軽視されているのかもしれない。
英語版Wikidpediaには次のように書いてある。

The U.S. Government had bailed out Lockheed in 1971, guaranteeing repayment of $195 million in bank loans to the company. The Government Emergency Loan Guarantee Board, set up to oversee the program, investigated whether Lockheed violated its obligations by failing to tell the board about foreign payments.

1971年、アメリカ政府は$195 million の銀行ローンの支払いを保証してロッキード社を救済した。支払いを監督するために、政府緊急ローン保証委員会が結成され、海外支払いについて偽証がないか調べることになった。

政府保証ということは税金ということになる。ロッキードが海外に不正な支出をしていることが分かれば、それを税金で保証しているということになってしまう。そこで、問題がないことを調べようとしているうちに、「実は世界各国に賄賂を渡していました」ということが分かったわけだ。ロッキードは、西ドイツ、イタリア、サウジアラビア、オランダに資金を流していた。イタリアでは大統領が首相時代に賄賂を受けていたことが問題視されて辞任する騒ぎに発展し、オランダでは王配が関わっていた。だから、英語版でLockheed Bribary Scalndalsと複数形になっている。
これだけ大騒ぎになったスキャンダルだが、アメリカ人の逮捕者はがでなかった。当時、アメリカ人が海外の高官に賄賂を渡すのは違法ではなかったのだ。違法ではないのだから強制的な捜査はできない。そこで、全貌解明のためには、ロッキードの重役たちを免責する必要があったのではないかと考えられる。「アメリカは特別の国」という独特のプライドがあり、海外で裁かれるのは避けたかったのかもしれない。関与した重役たちは、辞任はしたが有罪判決を受けたものはいなかった。後にカーター大統領の元で海外の高官に賄賂は禁止された。
ロッキード社が賄賂に頼らざるを得なくなった事情はNHKの番組の中で語られている。ロッキード社はもともとはベトナム戦争で大いに儲けた会社なのだが、戦争が終わると民間機に転向せざるを得なくなった。しかし性能や品質が追いつかず、それをカバーするために政府高官に働きかけを行うようになったわけである。結局、ロッキード社は民間機部門からは撤退し、現在では軍需産業に戻っている。
数々の陰謀論は脇に置いて(NHKのドラマでは、児玉誉士夫が日本の再軍備を夢みてロッキード社と組んでいたのではないかということがしきりに仄めかされていた)も、もしロッキード社が破綻してアメリカ政府に資金援助を求めていなければ、こうした裏金の存在は表に出なかったことになる。日本の民主主義は遅れたままだったかもしれない。田中角栄は、政治的口利きの見返りに政治資金を得ることを当たり前だと考えていたようだ。もともとは軍用機の政府調達問題だった(この件は未解明)ようだが、完全に民間の取引であるべき民用機の選定にまで首相が口を出すというのは、どう考えても異常だが、当時の政治文化では当たり前のことだったのだ。政府の民間介入がおおっぴらに行われていたのだ。
アメリカはこの時かなりのリスクに晒されていたということも、あまり考慮されていない。当時は自民党と社会党が争う55年体制だった。マスコミは「田中は怪しいのではないか」という雰囲気を作り出していた。もし自民党が田中角栄を守れば「自民党は金権体質だ」ということなっただろう。これは選挙で自民党が負けることを意味する。社会党が民主的に政権を取れば、日本が中国やソ連に接近することも考えられたわけだ。チリでは社会主義政権(1970年)ができ、イランでは革命(1979年)が起きている。
結局、自民党は金権体質を改めることはできず、リクルート事件で揺れ、バブルの収束に対応できず、1993年の細川内閣では野党に転落することになった。ただ、日本ではこれが直ちに反米運動には発展しなかった。後に社会党は自民党と連立して政権を作る。皮肉なことにここから社会党の凋落が始まるのである。2009年には民主党が政権を取ったが、これも民主党凋落のきっかけになった。

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