ロシア南部のダゲスタン共和国でロシア正教の教会やシナゴーグへの大規模攻撃が行われた。BBCによると犠牲者のほとんどが警官だったが武装組織の男5人も亡くなった。このほかにロシア正教の司祭が1名亡くなっている。ダゲスタンはチェチェンに隣接する共和国で住民のほとんどがイスラム系だ。チェチェンはチェチェン人が多数派だがダゲスタン共和国はコーカサス系8割・トゥルク系・ロシア系の混成地域になっているという。
当局はこれを「ウクライナと西側の陰謀」と説明している。だが仮にそうでなかった場合には2011年のコーカサス発の民主化ドミノ懸念という混乱を引き起こしかねない危険な状態を放置している可能性がある。コーカサスの混乱が2010年台と同じような規模に発展すると、プーチン体制の内部崩壊につながりかねない。これはまさに泥沼の展開である。
プーチン大統領はコーカサス発の混乱を収拾することで国民の支持を獲得した大統領だ。つまりこの前提が崩れると一気にロシア人のプーチン大統領離れが加速することになる。
BBCによると当局は「襲撃者の背景はおよそわかっている」と主張している。まともなマスコミがないロシアでは当局の言い分がどの程度正しいのかはよくわからないが、プーチン大統領を支持する高齢の人たちはSNSなどをあまり信頼せず国営のテレビや新聞などから情報を取っている。このためどのように国民を納得させるかというメディア戦略は極めて重要だ。
ロシアのメディアはセルゴカラ地区長の息子2名が襲撃に加わっていると伝えているが同時に「これはウクライナの策謀である」とする要人たちの説明も広く伝えられている。
メリコフ首長(首長は共和国の大統領に当たる)はロシアがウクライナを攻撃していることを引き合いに出し「今回の襲撃の背景にはウクライナがいる」と示唆している。またロシア下院の国際問題委員長レオニード・スルツキー氏(元サッカー選手だそうだ)も同じような主張を展開している。クリミア半島のセバストポリに攻撃が行われ4人が死亡した事件と結びつけ「ウクライナがロシア内部を攻撃している」との印象を植え付けようとしている。3月に行われたクロッカス・ホールの事件でもロシアは「すべてはウクライナの仕業である」と根拠のない論を展開していたため、これがロシア的な大本営発表のトーンなのだと考えられる。
なぜこれが問題になるのか。
チェチェン独立紛争が制圧されたあとロシアではコーカサス系のテロが相次いだ時期があった。チェチェンのテロ対策は2009年に制圧されたがスラブ系民族はコーカサス系の民族を差別的に扱っておりロシア国内でテロが多く起きていた。また「チェチェン紛争の解決」もまやかしだった。チェチェン人の自治が実現されたと喧伝されていたが実態はカディロフ首長による強権政治だ。
この当時の状況を伝える広瀬陽子氏の記事がSynodosに残っている。当時の状況を知る貴重な文献で今でもよく引き合いになる。
北コーカサスでは最近、きわめて情勢が悪化している。2月17日にロシアの人権センター「メモリアル」は、北コーカサスにおけるロシアの法執行機関や軍などが、武装派によって受けた攻撃のデータを発表した。2010年には289名が死亡し、551人が負傷。また、2009年には273名が死亡し、562人が負傷していた。このデータによれば、ダゲスタン、チェチェン、イングーシ、カバルディノ・バルカルがとくに深刻な状況を呈していたが、2009年と2010年の違いとしては、チェチェンとイングーシの死傷者の減少と、ダゲスタンとカバルディノ・バルカルのその増加が指摘できる。
- ロシア空港テロ事件 ―― その背後にあるもの(Synodos)
- ロシア政権が恐れる北コーカサス問題と民主化ドミノ(Synodos)
プーチン大統領は「この不安定な状況を改善するためには強い大統領権限が必要だ」と宣伝し大統領権限を強化させていった。権限が大統領に集中すればするほど敵意を力で抑える必要が出てくる。つまりこれは後戻りできない一方通行だ。
だからプーチン大統領は次のように説明せざるを得ない。BBCがクロッカスホール事件の時のプーチン大統領の説明を書いている。
ウラジーミル・プーチン大統領は当時、ロシアは「宗教間の調和、宗教間・民族間の団結というユニークな例を示しており」、「ロシアがイスラム原理主義者によるテロ攻撃の標的になることはありえない」と主張していた。
ロシアがウクライナの戦争に傾倒してゆく中で国内統治が疎かになっている可能性がある。その影響は均一なものではない。スラブ系の不安を高めないためにはその他の民族が先に大きな代償を支払わされるだろう。
だがコーカサスの混乱を隠蔽するとクロッカスホール事件のようなことが再びロシアで起きかねない。今回のダゲスタンでの攻撃は失敗に終わったようだが、今後成功事例が出てくると2011年に広瀬さんが心配していたような「民主化ドミノ」が起きかねない。また統治の失敗が明らかになれば高齢のプーチン支持者たちが動揺することになるだろう。つまり、これはロシアとっては「泥沼」の再燃を意味している。