小池百合子さんが「待機児童問題を解決するために空き家を利用すればいい」とドヤ顔である。これを聞いてとても腹が立った。
空き家にも持ち主はいる。借り手と貸し手の間でトラブルが頻発することは明白だ。設備が壊れたら貸し手が修理するのだが、空き家の持ち主がそこまでしてくれるだろうか。国土交通省もデータベースを作っただけで空き家問題を解決しようとしている。細かなトラブルは市町村で解決してほしいと考えているようだし、市町村はそうしたトラブルは当事者同士で面倒を見てほしいとおもっているようだ。不動産の貸し借りというものを甘く見ているのではないかと思う。
さらに小池百合子さんは「空き家をシェアハウスにすれば、賃金を5万円も上げなくてよい」と言い放った。これ実はとてもひどいことを言っている。保育士も結婚して家庭を作りたいはずだが、それを諦めろと言っているのだ。なぜ、誰も突っ込みを入れないのだろうかと腹が立った。シェアハウスで自分の子供を育てろというのだろうか。
確かに都がこうした家を市場価格で買い取って、家を解体したうえで、新しい保育施設を建ててくれれば万々歳だろう。しかし小池さんのアイディアは「小額のレンタル料で家が借りられる」という点にあり、人件費も抑制できるだろうと言っている。つまり、いろいろな市場の失敗を空き家の持ち主と保育士に押し付けているのである。
まだ、子供相手だからと考えている人がいるかもしれないが、同じことは実は介護にも言えるのだ。介護士の給与も安いから、空き家を借り手シェアハウスで高齢者の面倒を見ろ、そして自分の家庭を持つことを諦めて、シェアハウスで暮らせということである。ずいぶんと印象が変わって見えるのではないだろうか。
もちろん地域住民も黙ってはいないだろう。保育施設を新しく作るのでさえ大騒ぎになる。子供は騒音をまきちらすからだ。こうした問題をNIMBYというそうだ。空き家にある日突然子供たちがやってきて大騒ぎになるのだ。地域住民はこれに耐えられるだろうか。
確かに「反対意見ばかりでは何も変わらない」のは確かだろう。都の優秀な職員が関われば、解決策も見つかるのかもしれない。だが、問題の本質は別のところにあるように思えてならない。
小池さんは国の大枠(軍事・外交・憲法など)の大きな政治にばかり関心があったようだ。過去の発現も国防や憲法がらみのものが多い。中には「現行憲法を停止して、新しい憲法を施行しろ」という革命まがいのものや、日本もアメリカから核兵器を借りろという過激なものもある。こういう問題は「頭の体操」としては理解できる。
だが、こうした人たちは介護や福祉を小さな政治問題を「簡単に片付く取るに足らない問題だ」と考えているように思えてならない。地方自治体というのは、こうした「取るに足らない問題」の集積なのである。
普通の人々の生活にシンパシーがない「優しくない政治」が展開されることは明らかだろうし、事によってはかつての前任者たちのように途中で都政を放り出すことになりかねない。