権力者の側から見ると、民主主義は民衆の力を借りた権力の維持だと記述できる。日本では岸田総理と自民党が問題解決能力を失ったまま政権にしがみついており機能不全の状態に陥りつつある。権力維持が民主主義の最大優先順位と考えるとこれは「正しい」動きだ。
イスラエルとアメリカでも同じような動きがある。ネタニヤフ首相がアメリカの政策を批判する声明ビデオを出し波紋が広がっている。ホワイトハウスはこの声明に激怒し会合をキャンセルした。ネタニヤフ氏はバイデン政権がイスラエルに協力的でないと主張すればトランプ氏に有利な状況が生まれる。トランプ氏が勝てば自分の政権延命に活路が開かれるとすればネタニヤフ氏にとってはこれが「正しい」動きだろう。
だがイスラエルでは人質解放を求める動きが加速しガザ地区には多くの犠牲者が生まれている。アメリカでも世論を二分する抗議運動が起こり時には治安の悪化を招くことがある。権力闘争に埋没する民主主義は破綻した民主主義と言えるだろう。
ネタニヤフ首相は厳しい状況に置かれつつある。戦時内閣からライバル政党が離反し、足下では国民主導の抗議運動が拡大している。北部ではヒズボラが徹底抗戦を呼びかけており戦線が南北に拡大しかねない。ヒズボラは協力国キプロスを牽制すると同時にイスラエル北部への侵攻を仄めかす。兵士は戦線の拡大と犬死を恐れている。
バイデン政権は民主党党大会までにこの状況を収拾しなければならない。そこで独自のロードマップを展開し国連安保理の決議まで漕ぎ着けた。またイスラエル軍にプレッシャーをかけ武器・弾薬の供与を絞っている。
イスラエル極右パレスチナとイスラエルの共存が盛り込まれた内容を認めたくない。板挟みにあったネタニヤフ首相はアメリカの親イスラエルの民意に働きかける選択をした。アメリカの親イスラエル勢力が権力維持・権力奪取のためにイスラエルカードを利用したいと知っているのだ。
ネタニヤフ首相は突然ビデオ声明を出し「ホワイトハウスが支援を遅滞させている」と主張した。共和党は兼ねてから「バイデン大統領は左翼に乗っ取られている」と宣伝し「イスラエルを支援するためには共和党が躍進しなければならない」と主張している。つまりネタニヤフ首相の声明は共和党の主張を裏付ける内容となり共和党とトランプ氏の選挙を支援することになる。
ホワイトハウスはこの声明に当惑した。AXIOSのまとめによると予定されていた会合をキャンセルし、カトリーヌ・ジャンピエール報道官は目をパチクリさせて「何を言っているのかわからない」と困惑してみせた。
ホワイトハウスもまた選挙結果に介入しているといえる。徹底抗戦を求める極右+ネタニヤフ首相にプレッシャーをかければ市民の支援を背景にした野党勢力に有利な条件が生まれる。そこで軍への支援を絞っている。
これに呼応するかのようにイスラエル軍は地域と時間をかぎって軍事行動を抑制している。当初ガラント国防大臣には報告があがっていなかったとされていたがのちにガラント氏は話を聞いていて承認もしていると内容が変わっている。ただネタニヤフ首相にはレポートは上がっていなかった様子だ。自衛隊が岸田総理に報告をあげなかったと例えるとその異常さがわかるが、そればかりでなく「防衛大臣と総理大臣が意思疎通できてない」可能性があるということだ。
イスラエル軍は「ハマスとガザ地区は一体になっているからハマスを根絶することは不可能である」と表明した。この発言はネタニヤフ首相に対する抗議と受け止められている。自衛隊のトップが岸田総理の考え方は間違っていると主張したことになる。イスラエルでもこれは異例のことなのだそうだ。
イスラエル軍の危機感は理解できる。極右主導の内閣に追随すれば命がいくつあっても足りない。ヒズボラが北部への侵攻を仄めかしつつキプロスも牽制している。アメリカの支援が先細る中で戦線が拡大すればイスラエル防衛軍(IDF)の兵士が多数犬死しかねないと言う不安があるのだろう。すでに多くのイスラエル軍人がガザ地区の激しい戦闘で命を落としている。
ネタニヤフ首相から見ればこれは民主主義的闘争の一環だ。ただし自力では戦争も権力も維持できないためアメリカの選挙事情をイスラエル情勢にリンクさせようとしている。アメリカでは別の文化闘争が起きておりトランプ前大統領と共和党はこれを利用して勢力を拡大したい。ネタニヤフ首相は7月24日に超党派の招きによる議会演説が予定されている。バイデン政権もイスラエルの内政に影響を与えるべくIDFへの支援をコントロールしている。
単にこれを「権力闘争である」として面白おかしく観察することもできる。だがこの権力闘争で多くのガザ市民が飢餓と衛生状況の悪化に見舞われている。大勢の子供たちが手足を失うような怪我をし将来の展望も切り開くことができないでいるのだ。とても許容できない。
日本でも同じような状況はある。政治的に結束できない無党派層は政治的に顧みられることがない。岸田政権と自民党から見ると無党派層は「いないも同然」の人たちである。確かにこれはひどい話ではあるのだが無党派層が命まで取られることはない。国民は「子供を作らない」と言う選択を通じて静かで無意識の抗議運動を展開している。だが、日本の無党派はその気になれば選挙権や被選挙権を行使することはできる。
一方でガザ地区やパレスチナの住民はそもそもイスラエルの選挙権がない。このため彼らが顧みられることはなく、失われるべきではない命が日々失われてゆくのである。
「権力闘争としての民主主義」の悲惨さがそこにある。