都知事選が始まった。皮肉なことに選挙が始まると「候補者を公平に扱う」という原則が発動するため選挙報道がテレビから姿を消す。ここでは都知事選挙については扱わずに小池百合子氏のカイロ大学卒業議論がなぜ無駄なのかを考える。小池さんが信頼できる人かを測るための参考にはなるがこれを根拠にして立候補資格を問うてもあまり意味はない。
むしろ「なぜAIゆりこのような一方的なコミュニケーション手法を多用するのか」や「経歴を盛る傾向にある小池さんの主張を信頼していいのか」を有権者は冷静に判断すべきだろう。
カイロ大学は国際的な評価は高くないもののアラブ世界では名門とされている。イスラム教に詳しい人の中には「カイロ大学の文学部を卒業するためにはアラビア語での論文を書かなければならないが小池百合子氏にはその実力はないだろう」と指摘している。
ところがカイロ大学は(どのような理由かはわからないが)形式的に小池百合子氏がカイロ大学を卒業したと認定しているようだ。軍が母体の政府と小池氏が取引をして卒業を認めさせたのではないかと噂する人もいる。JBpressがこの問題をまとめている。JBPressはこれをサダト大統領時代の「complementary certificate」だとしている。
JBPressはこれを「実質的な不正」としているが実際には西側の大学の名誉博士号などに似ている。ただエジプトの場合は内部で勉強していたという実績まで作るそうだ。「カイロ大学」に特別高い権威が与えられておりその権威を欲しがっている人が多いということがわかる。
すでに刑事告発まで出ているようだが卒業実績を問題にしてもこの問題が解決することはない。
さらに日本独特の事情もある。テレビ番組に「東大卒」や「名門大学卒業」のタレントが起用されることがある。だがこの時「この人はどのようなスキルを身につけたのか」が話題になることはない。日本の大学は少数のエリートと多数の兵隊を育成することを目標にしている。このため東大などの旧帝国大学に入った時点で「勝ち組」ということになってしまう。つまり何を勉強したのかよりもどこに入ったのかが重要な社会なのだ。
西側のスタンダードでは「大学の学位は卒業生の質を担保する」保証書としての意味合いがある。カイロ大学が国際的に信頼されないのはそのためだろう。だがイスラム圏では「権威」という別の指標がある。また日本の大学に対する考え方も極めて特殊で「何を学んだのか」よりも「どこに入門したのか」を重んじる傾向がある。
冷静な識者の中には「卒業実態を問題にすべきだ」と言っているという人もいる。もっと厳密に考えるならば「大学で何を学んだのか」と「それが小池さんのキャリアにどのような影響をもたらしているのか」を問題にしなければならないということだ。
このように冷静に考えると「そもそも」の疑問にぶち当たると気づく。
仮に小池百合子さんのアラビア語ん実力が悲惨なものだったとしよう。それが東京都政にどのような影響を持っているのかを証明しなければならない。都知事がアラビア語を話せなかったとしても「だから何?」ということにしかならない。
つまり小池さんの経歴に「(実質的に)名誉卒業」の経歴があったとしても、それは小池さんか小池さんの周囲にエジプトとの強いコネがあったということを意味しているのに過ぎないのだということになる。
あえて都知事選の争点にするならば「小池さんは経歴や実績を盛る傾向にある」ということを問題にすべきだろう。
小池さんは共同記者会見において次のように言っている。この「90%」も単に盛っているだけなのではないですか?ということだ。
小池氏は「首都防衛に力を込めている。『東京大改革3.0』を続けていく。都民の命と東京の未来を守る戦い、これを都民に訴えていきたい。2期8年、全公約164項目の90%を達成、推進している。都民のため都民とともに世界で1番の都市、東京にしていく」と述べました。
また1000億円の経費削減をしたと主張しているが蓮舫候補は次のように言っている。
事業の見直しで毎年1000億円規模の予算を新たに捻出しているとPRする小池氏に対し、蓮舫氏が「予算のデータが非公開で疑わしい」と批判すると、小池氏が「数字は全部出ているのでご覧ください」と切り返す場面もあった。
有権者は何が本当で何がそうでないかを見極める必要があるのだろう。事業評価も削減実績も全て「お手盛り」である。マーケティング的に表現すると「単にメーカーがそう主張しているだけ」というものが極めて多いのである。