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鹿児島県警察の異常な「隠蔽体質」が次第に明らかに

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朝日新聞出版(AERA.dot)とTBS報道特集が相次いで鹿児島県警の隠蔽体質について報道した。AERA.dotはこの件について2本の記事を出している。

登場人物が多岐に渡るため「真相は藪の中」といったところだが県警が捜査妨害のためにネットメディアに踏み込んだことで騒ぎが多くなった。元々は県警本部の保身と組織防衛だったがこの「暴挙」のせいで権力による言論の自由を阻害事件に「格上げ」されてしまったのだ。

今回の件について大手メディアが取り上げず体臭が動かないと不満を訴えいる人がいる。日本経済が萎んでゆく中で日本人の意識が中進国化していることがわかる。中進国では警察・軍・官僚の腐敗が起きやすく経済が発展しない「中進国の罠」と呼ばれる現象が起きる。

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今回の事件では2名の警察官経験者が情報漏洩の疑いで逮捕されている。両者とも大筋で容疑を認めているため、表向きは公務員の情報漏洩問題として扱われてきた。

最初にこの問題を本格的に報道したのは朝日新聞出版のAERA.dotだった。週刊朝日がなくなってしまったのでオンラインで発行しているのだと思ったのだが週刊朝日は厳密には「おやすみ状態」ということになっているようだ。TBS報道では一部に筑紫哲也イズムが生きている。筑紫哲也氏は朝日新聞の出身で「朝日ジャーナル」の編集長を務めていたことがあるそうだ。

日本のジャーナリズムは「学生運動などでドロップアウトした人たちの吹き溜まり」だった時代がある。筑紫哲也氏は1959年の入社だそうである。ちょうど最初の安保闘争が起き学園が混乱していた時代だ。この時の出版社には官僚や大企業への就職を諦めてマスコミに就職した人が多かった。このため「反骨精神」を持ちメインストリームに対抗するという意識が強かった。

ところが高度経済成長期の末期(いわゆるバブル化が進んでいた時代)に変化が起きる。「テレビニュースはつまらない」ということになり「一足違ったニュースショー」が求められるようになる。久米宏氏が初代キャスターを務めたニュースステーションなどがその草分けとなった。1985年の放送開始だそうだ。

経済が成長していた時代の出版社や新聞社は反骨精神を持った人たちを受け入れることができていた。さらに大衆が豊かになるとテレビが「現在の体制に疑問を持つ」報道を求めるようになった。自信を持ち主権者意識に目覚めた大衆は権力批判をする余裕を持つということがわかる。強い主権者意識と権力監視は「成長の原資になる余力」の現れだ。

バブルが崩壊すると人々は自信を失い「権力に逆らうとロクなことにはならないのではないか」と恐れることになる。また次第にマスコミも花形職業のように扱われることが多くなって行った。さらに大衆は強いものの側に立って弱いものに石を投げる遊びを覚えた。

日本が経済的に自信を失ってゆく過程で権力批判意識は萎んでいった。これが腐敗を助長し日本をますます成長できない国にしてゆく。今回これに抵抗を見せているメディアは成長期の最後の生き残りと言えるのかもしれない。

北朝鮮では裁判が娯楽になっている。韓国の音楽を聞いた人たちを公開裁判にかけ見せしめにする事例が報告されている。日本でも同様なことが起きている。服従が進むと体制の側に立って石を投げることを好む人が増えるようになる。成長を追求するよりも他人に石を投げる方が簡単だからである。


AERA.dotの文章は2部構成になっている。警察がオンラインメディアに踏み込み十分な説明がないままで資料を押収した。情報を漏らした裏切り者を挙げるための証拠を探していたとみられている。また性被害者が泣き寝入りを強いられている。加害者とされる人(事件化されていないため容疑者ではない)は警察OBの家族だったようだ。どちらもまるで「ロシアか中国のようだ」という印象を持つ。

TBSは性被害の事件については触れておらず(逮捕された巡査部長については扱っていたので「一体これは事件と何の関係があるのだろう」と感じた人も多かったかもしれない)かつて冤罪を生み出した志布志事件や北海道の警官裏金事件と接続し「上位下達の警察には隠蔽体質がある」などとまとめていた。裏金事件では「最近の若手警察官は妙に正義感が強いから彼らから追求されても誤魔化せるようにしておくように」というない内部文書も作られていた。

つまりTBSはこれを現在の自民党政権と重ね合わせており「体制の腐敗」という大きな絵に持ってゆきたいのだろうということがわかる。

ただ大衆がこれに違和感を感じず「権力とはそういうものだろう」と織り込んでしまう可能性もある。中には体制の側に立って石を投げたり「水清ければ魚住まずだ」などとして腐敗を是認する人とも出てくる。中進国ではありふれた成長できなくなるという社会への転換を予想させる展開である。

TBSは今回の件を説明するために「キャリア・ノンキャリア」というわかりやすい図式を導入していた。志布志事件に見えるように鹿児島県警察もともと組織的な隠蔽体質がある。そこに中央からキャリア官僚が天下ってくる。ノンキャリアは中央に介入されたくないためキャリアを守り「中央」に送り返す。すると中央でそのキャリアの地位が上がり「共存共栄」できる。キャリア官僚は「腐敗した環境を整備して改革する」ことで地位を上げることができない。むしろ今回の件では共犯者どころか「首謀者」扱いされている。平安時代から見られるような地方と中央の関係が今も生きていることがわかる。

警察への信頼を取り戻すためには政治の介入も必要とされるが、そもそも今の自民党政権も同じような裏金体質を持っている。腐敗した人が別の腐敗した人を裁くことはできない。

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