さて、天皇退位問題が面白い展開を見せている。まずは陛下に近いところからリークがあった。それを政府側が否定した。否定しきれないとなると「憲法があるから無理だ」と言い出している。
突っ込みどころはいくつもある。アメリカに圧力をかけられると、憲法を曲げてでも集団的自衛嫌の行使ができると「曲芸的な」解釈を見せたのだから(そもそも自衛隊が曲芸なのだが)陛下の意思も忖度すべきだろう。しかし、それはやらないのだ。今上天皇よりもアメリカのほうが恐いということになる。「我が国固有の伝統を取り戻す」などと言っているが、ちゃんちゃらおかしい。
自民党のコアな支持者たちは「天皇中心の国家を作りたい」と考えているようだ。国民の主権を制限するためには便利な言い訳だ。しかし、天皇を元首に戴く言っても、政治的な権能を与えるつもりは全くなさそうだ。世界で最も古い君主の家系であり、政治的な機能を持たないというのが便利なのだろう。
生前退位をみとめてしまうと、いくつかの問題が出てくる。まずは退位が政治的な意思表明になってしまう可能性がある。つまり何も言えなくても「印鑑だけは押したくない」ということができてしまうのだ。天皇に拒否権(生涯で一度しか使えないが)が生じる。また、経験者が2名ということになり「神聖性」が薄れる。これは、ローマ法王の時にも問題になった。さらに、単なる皇族になった上皇には憲法の縛りがなくなる。皇族が政治的な発言をすることを禁止する法的根拠はない。この状態で「平和を希求する」などとやられると困るのだろう。
例えて言うと、第二次世界大戦の参戦に参加したくない昭和天皇が退位するということができる。昭和天皇にはそんなオプションはなかった。極端な言い方をすれば、ただ国民を抑圧し兵士を無駄死にさせるためのお人形として周囲に利用されたという見方もできるのだ。
いっけん天皇を敬っているように見える改憲勢力だが、実は天皇制度を便利に利用したいと考えているだけであって、陛下ご本人を敬おうという気持ちはこれっぽっちもなさそうだ。自称愛国者と呼ばれる人たちは権力を国民から簒奪したいと考えているだけであって、愛国心などみじんもないのだろう。
もし仮に天皇を慕うのであれば、総理大臣などは単なる臣下に過ぎないのだから、すぐに馳せ参じてご意向を伺うべきだろう。それもしないで「報道は承知しているが、何もしない」と言っているわけで、これ以上の不忠はない。なぜ君主が臣下の事情を忖度しなければならないのか、という話になるし、そもそも皇位は国民の総意で天皇に下賜したものではないので、退位は君主の自由であるべきだろう。
つまり、自民党と改憲主義者は革命勢力なのだ。
革命が悪いとは言わないのだが、自民党には「独裁してでも国を良くしたい」という気概はないようだ。せいぜい都議会のように利権が欲しいと考えているだけの人が多数なのであろう。「神武天皇は実在した」という妄言を吐いた議員もいたが、歴史について真剣に考えたことなどないのだろう。
その意味では自民党の改憲案は立憲主義を否定しているだけでなく、そもそも統治行為の正当性がどこから来るのか、独裁を維持するのにどんなコストが必要になるのかさえ理解していないのだ。なぜ、そんな人たちに振り回される必要があるのだろうか。