ざっくり解説 時々深掘り

民主主義の成立と崩壊の要件(仮説)

「立憲主義が崩壊する」という話が世間を騒がせているので、いろいろと考えている。モデルを作ったので検証してみる。
民主主義が成立するためには次の要件が必要だ。

  • 必須要件
    • 調停者:共通文化があり、話し合いができること。
    • 事業:敵が存在し、戦争の可能性があること。戦争がない場合には、それに代わる事業があること。
    • 国民参加:占有リソースがなく、戦争のための資金を税で徴収する必要があること。占有リソースは天然資源と外国からの援助。
  • 追加要件
    • 紛争の解決手段として武力行使が蜂起されていること。

民主主義と言えば西ヨーロッパだ。外敵のために、各国家がまとまる必要があった。内戦が繰り返されたが、外からエネルギーが供給されないので、無限に戦争をする訳には行かなかった。紛争解決のためにはキリスト教の権威が使われ、国民の協力を取り付ける必要があり民主主義が発展した。最終的な内戦は第二次世界大戦だが、さすがに「これはまずい」ということになり、武力放棄(正確には防衛の共同主権化)を行った。西ヨーロッパが失敗しつつあるのは、外から非キリスト教徒が流入してきたからだ。共通文化が阻害され、不安に思ったイギリスがヨーロッパ世界からの離脱を試みている。共通文化を保持しようとしているのだ。
アメリカ合衆国は成熟した民主主義とキリスト教を建国の共通文化として引き継いだので、内部の紛争解決のために暴力が使われることはあまりなかった。最近になっておかしくなったのは、外敵が消滅してしまったからかもしれない。格差が拡大するとポピュリズムが台頭し、民主主義が阻害される。アメリカは武力を放棄していないので、各地でテロが起るようになった。
ヨーロッパと同じような通路を取っているのがソマリランドだ。氏族間対立があり内戦に突入したのだが「報復合戦は不毛だ」ということに気がついたソマリランドでは内戦が止まった。その他の地域では武力の放棄がなくならなかったので内戦状態が続いているのだという。しかしソマリランドでは民主主義は発展せず、部族長の調停のようなことが行われているようだ。ルワンダでも内戦があり大規模な虐殺があった。外からの武器供給もあったようだが、国が崩壊する寸前で「内戦は不毛だ」ということになった。ヨーロッパが民主主義を獲得する前段階にあると考えられる。ルワンダはヨーロッパに統治された経験があり、民主主義による解決が図られている。
民主主義の成立要件として、占有リソースの不在は重要な要素だ。例えば北朝鮮は東西対立のためにソ連や中国から特別な援助を受けていた。ソ連からのリソースを占有することで朝鮮労働党が優位を保ってきたのだ。このため民衆の協力を仰ぐインセンティブがなく民主主義が発展しなかった。北朝鮮が内戦に入らないのは、民衆が武器を持っていないからだろう。武器の流入経路が中国しかなく、中国は北朝鮮が混乱することを望んでいない。
問題解決の手段として武力の放棄がなされず、共通文化があり、占有するリソースがある場合は南スーダンのようになる。南スーダンではアラブ人という共通の敵がいたために、諸民族がまとまる必要があった。これが取り除かれた(取り除いたのは国連)ために、内戦に突入し、収束のめどが立っていない。内陸国なのでどこからでも武器が入ってくる。
共通文化が取り除かれることで内戦に突入する場合もある。ユーゴスラビアは南スラブ系の諸民族が合同してできた国だったのだが、共産主義という共通文化がなくなったことで内戦に突入した。言語にも宗教にも共通性はなかったからだ。外からのリソースの供給がなかったので内戦は9年で収束した。諸民族が武力を持っていなければ、紛争解決のためには民主主義が使われていたのかもしれない。ソ連からロシアに代わる移行期だったので、東西の代理戦争にならずにすんだのだが、それでもヨーロッパは長期間混乱した。
共通文化とは何かという問題が出てくる。例えば中央アメリカや南アメリカはスペイン語という共通文化を持っていた。しかし、結果的には数千万人から数百万人単位の勢力に分裂した。アメリカはイギリスという敵があり、ヨーロッパはアメリカやロシアとの競争上まとまる必要があったと、考えると中央アメリカや南アメリカには明確な敵(あるいは競争相手)がいなかったことが問題なのだと言える。中央・南アメリカが統一されず、かといってヨーロッパのようなまとまった戦争にならなかったのは、交通が不便で市場が統一されなかったからだという説があるそうだ。スペイン語圏は、メキシコ・中央アメリカ・コロンビアとしてまとまったのだが、やがて小国に分離することになる。いくつかの国では国家として成立しないほどに分裂が進み、市場が崩壊した。一方、地理的なまとまりがあったポルトガル語圏はブラジルとしてまとまった。
武力を放棄しなかったニカラグア、武力を放棄したコスタリカ、石油という占有リソースをもっていたベネズエラと違いが出ている。民主主義が発達したのはコスタリカである。武力と占有リソースがなかったのだ。ベネズエラは石油という占有リソースを持っていたために、経済が大混乱している。
このフレームワークから、日本の民主主義について分析できるかもしれない。日本は孤立していたために、大きな敵の存在がなく国民の協力を得る必要がなかった。そこで、民主主義が十分に成立しなかった。同一言語で市場が単一だったために、共通文化が成立した。兵役と参政権が導入されるのは、ロシアや中国との戦争のために国民の協力を得る必要があったからだ。また、リソースがなかった点は民主主義発展の一助となった。しかし、民主主義が成立するまえに敵が失われたために、民主主義の成熟が中途半端に終わってしまった。
いずれにせよ「立憲主義」とか「民主主義」というのは結果であって、それ自体の保護運動というのはあまり意味がないのかもしれない。
この分析ではイラン(ペルシャ社会)やロシアで民主主義が成熟しなかった理由は分かる。天然資源が豊富なので国民の協力を仰ぐ必要がなかったからだ。インドは資源がないために民主主義を成熟させる必要があった。皮肉なことに共通文化はイギリス植民地の経験と英語だ。しかし、敵の存在が希薄なので格差が温存されている。イスラエルは強大な敵がおり、リソースもないので民主主義を発展させる必要があった。
ただ、この仮説に当てはまらない国もある。中国にはこれといった資源がなく、さらに市場が統一されており、漢語という共通文化もある。内戦も経験しており民主主義が成立しても良さそうである。しかし、内戦が途中で止まり、独自の中華秩序を作って安定してしまった。このため民主主義も発達せず、技術革新も途中で終わった。現在は軍管区がある程度の緊張関係を持っているそうだが、不思議なことに内戦に発展しない。
これは中国が民主主義や戦争によらない独自の調停手段を持っていることを示唆するのだろう。ヒントになりそうなのがソマリランドだ。ソマリランドは氏族社会で集団主義なのだが、集団の中に民主的なプロセスがビルドドインされているのだろう。中国はきわめて集団主義の強い国であり、独自の紛争解決手段を持っているのだと考えられる。
日本で立憲主義の崩壊に危機感を持っている人たちは、所属する集団を持たない人たちだ。例えば、会社の下層にいる人たちや、学者、フリーのジャーナリストなどである。一方、家族、企業などの集団に属している人は、自民党の台頭にあまり危機感を持っていない。これは日本が集団主義・個人主義という指標でちょうど中位に位置するからではないかと考えられる。
つまり調停のためには3つのアプローチがある考えると分かりやすい。それは下記の3つだ。民主主義は人間の集団がきわめて抽象化された時に成立する調停解決手段なのだ。だから「マニフェスト」や「政党」といった、契約が発展するのだろう。

  • 戦争と内戦
  • 個人主義的な契約
  • 集団主義

Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です