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音喜多駿氏のフライング? SNSに監視される維新の「政治と金の問題」対応

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政治と金の問題が新たな展開を迎えている。岸田総理の働きかけにより公明党と維新の協力が決まりつつある。おそらく公明党は支持者(創価学会)への説明材料を得たことでこのまま賛成に回るだろう。だが維新はこの件でかなり危ない状況に追い込まれるかもしれない。

「領収書問題」が浮上している。維新の実務担当者側は「領収書は保管するという言質を得た」と説明しているため、仮にこの線を外れる提案があった時には「賛成できない」ということになる。だが執行部には「どうせわかるのは10年後なのだからこの際自民党に借りを作りたい」という気持ちもあるのではないかと思う。

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ことの発端は国民民主党の玉木雄一郎氏の投稿だった。政策活動費の公開は10年後であるが領収書は10年とっておく必要はないと指摘している。また仮に10年後に公職選挙法に抵触するような使い方があった可能性が浮上したとしても既に時効が成立しているため罪に問われることはないという。

これに対して音喜多駿氏が「当然領収書の保存は当然なされる」と情報発信した。のちに「当然法律が施行されればの話だが」と若干軌道修正しているが基本的なラインは変わっていない。

しかしながら本当にこのような大胆な改革が実行できるのだろうか?という疑念がある。各社報道を参考にすると次のようになる。政治資金の問題は茂木幹事長のもとで行われていた。ところが茂木幹事長が党内調整をしている形跡がない。岸田首相は「総理大臣が直接乗り込んで解決しなければならない問題」と認識し木原幹事長代行に再調整を命じた。つまり「茂木外し」を行ったのである。

つまり木原氏はインパクトがわかっていて問題を引き取ったことになる。

局面が変わったのは5月29日夜。首相側近でもある自民の木原誠二幹事長代理が維新の遠藤敬国対委員長に再協議を持ちかけた。遠藤氏は「旧文通費や政策活動費に関し、維新の考えを丸のみしてくれるぐらいでなければ」と慎重な返答にとどめたが、翌30日に木原氏が示した文案は、今回の合意文書とほぼ同内容の踏み込んだ書きぶりだった。

麻生副総裁は岸田総理に電話をかけ「公明党の案を呑むな」と警告したそうだ。一方で麻生茂木ラインとパーティー収入に依存する選挙区基盤が弱い人たちを敵に回したことになる。

首相の決断について、政府内では「世論の動向を考えればいい判断だった」との見方が出ている。だが、麻生氏周辺からは「これまで政権を支えてきたが、今後の対応は考えざるを得ない」との声が漏れるほか、「5万円超」容認派の中堅議員も、「首相の決断が遅かったため、党が迷走している印象が出てしまった」と語った。

安倍派・清和会がこの問題で岸田総理側につくとは思えないのだから、当然木原氏は独断で法案を準備しこれを早急に(6月3日法案審議、6月4日委員会採決などと言われている)法律化しなければならない。6月中旬にはイタリアでサミットが行われその後23日に「会期延長なし」で国会は閉幕する予定である。つまりもうほとんど時間がない。

政策活動費は自民党だけで年間14億円も使途不明になっていると言われている。中國新聞によると選挙のたびに茶封筒に入れられた100万円を車の中でこっそり候補者本人に押し付けるような慣行が残っている。この全てに領収書を発行することなど考えられない。車の中で茶封筒を渡し「いいから取っておきなさい」と申し渡した後に「ところで領収書の宛名と費目は」などと言えるわけもない。

また岸田総理は過去にも派閥の解体を唄いながら麻生氏と茂木氏に押し返されて断念したという過去があるが、岸田総理は相当な混乱を覚悟で14億円の特権(アシのつかない金)を茂木氏から剥奪する必要に迫られる。

となると維新がなぜ今回賛成に回ったのかが気になる。おそらく今後出てくるであろう全ての矛盾に目を瞑ったままで法案に賛成し「これが空文だったとわかるのはどうせ10年後だ」と開き直ることもできたはずだ。

ところが国民民主党の玉木一郎氏がSNSで介入したために一連の議論が全て公開されることになってしまった。音喜多氏に呼応するように青柳仁士氏も「はっきりと領収書保管の義務があると相手から告げられた(「自民側」と言っているので木原さんのことなのだろう)と書かれており、木原氏が自民党を説得すると約束したと読み取れる内容になっている。

非常に重要なのはこれが衆人環視のオープンな議論であるという点であろう。仮に木原氏が自民党の説得に失敗し「騙し討ち」になった時に維新がどのような対応を取るのかに注目が集まる。SNSの政治議論など役に立たないと言われることが多いがやはり「みんなが見ている前で議論をする」ことには意味があるのだと感じる。

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