各紙の参議院選挙の調査結果が出た。改憲四党(自民・公明など)が躍進し、憲法改正の発議に必要な勢力を得る見込みだとされている。中には自民党が単独過半数を取ることができるとする調査もあるようだ。
これにともなって「無党派層が投票に行かなければ日本終了だ」と騒ぐ人たちが出てきた。だが、この予想には疑問がある。
現在の憲法改正議論は民主党が政権を取っていた時代にさかのぼる。そこで「日本人には基本的人権は要らない」という類いの過激な言動が出てきた。自民党の革命願望がにじみ出た論調がそのまま残っている。これが支持されるのも「民主党(=中国に支配されている)が妨害している」という漠然とした印象と被害者意識が残っているからである。
憲法改正が視野に入れば、これまで応援していた人たちは当然発議を求めることになる。すると国民の間に様々な議論を目にすることになるだろう。もちろん、結果によっては国民が「支持」することはあり得る。もし国民が結果を支持すればそれはそれで民主主義の結果なので受け入れるべきだろう。
一方で国民は変化を恐れ、評価が拮抗するものに大しては「とりあえず様子見をしよう」という気持ちが強い。現在民進党が支持を伸ばせないのは「一度失敗しているし、具体的な政策がなく何をするか分からない」と見なされているからだろう。つまり、憲法改正案はよほど国民に受け入れ可能なメリットがあると見なされない限り否決されてしまうのではないかと考えられる。
勢力が拮抗してしまうといつまでも破壊的な憲法草案が温存され、国民を悩ませることになるだろうが、自民・公明が勝てばこうした議論は国民の審判の対象になる。
日本人の多くが現在の政治状況にあまり危機感を持っていないのは、人民裁判権を留保していると考えているからではないかと思われる。いざというときに国民が大騒ぎをすればマスコミがプレッシャーをかけて意思決定に影響を与えることができると信じているわけである。閉鎖的な村落共同体的なシステムが働いているのだ。
村落的システムでは「利益を分配することにより妥協を勝ち取る」というシステムなのだが、憲法を改正しても特に見返りは期待できない。故に、支持母体が変化を受け入れる可能性は極めて低い。また、利益分配が関与しない関係にはきわめて冷淡だ。利益分配を怠った舛添元都知事が周囲からどんな目にあわされたのかを思い出せばその冷淡さがよくわかるだろう。
憲法改正を巡り極論が出た場合この人民裁判権が行使されることになる。自民党政権が世論を押し切るのは米国との要請があった場合に限られる。それでも押し切られてしまった時にやっと国民は投票に行かなければ大変なことになると感じるだろう。その意味でも、今回の選挙は重要な教訓になるのではないだろうか。