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どうにかしてあいつを落選させたい 不支持票投票の理論的支柱

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小選挙区制が採用されるようになってから投票率が下がり続けている。同時に「当選させたい政治家はいないが落選させたい人は大勢いる」という人々の声を聞くことが増えた。これまでは「民主主義ではそんなことはあり得ない」と思っていたのだがある本の中に不支持投票の話が出てくる。2018年に書かれたラディカル・マーケットという本だ。

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最初にお断りしておく。この本は特に「気に入らない政治家を排除しろ」というような主張の本ではない。自由主義の意思決定をどのように効率化できるかという仕組みを提案した至ってまじめな本である。だがそれではあまり興味を持ってもらえそうにないので表題を落選運動にしてみた。

ラディカル・マーケットは資本主義・民主主義経済の行き詰まりとその代替案について扱っている。E.グレン・ワイルとエリック・A.ポズナーの共著だが、E.グレン・ワイルは1985年生まれの経済学者でマイクロソフトの研究員である。テック業界寄りの若い経済学者で政治学者ではない。現在は、イェール大学でデジタル経済の設計というコースを担当しているそうだ。彼の関心は民主主義の不効率さを経済学で補正することである。

グレン・ワイルらは現在の民主主義には問題があると考えている。この民主主義の問題点の組み立てにはアベノミクスの主張の柱となったトリクルダウン批判も含まれており非常に興味深い。サプライサイド経済学は成長を加速せず独占を通じて資本主義を非効率化しただけだったと分析している。

この民主主義と経済の諸問題を補正するために編み出されたのが二次投票(Quadratic Voting)という制度だ。Quadraticは平方根の意味だそうだ。つまり一次投票・二次投票という意味ではなく「平方根で補正された投票」という意味になる。

有権者に「投票予算」を分配する。有権者はこの投票予算で好きな問題について票を買ったり投票予算を貯蓄することができる。こうした集められた票を好きな分野に投資するというのが二次投票の制度である。多数決の弊害を補正するために1ボイスクレジットで買うことができる票は1票だが400クレジット出しても20票しか買えない仕組みになっている。

そもそもなぜ「票を取引する必要があるのか?」という気がするがこれは本を読まないと理由がわからない。そもそもの問題意識は独占の問題を解消するための意思決定にある。これを自由主義的に達成しようというアプローチになっている。

この二次投票の仕組みは日本人にはあまり響かないのではないかと感じた。日本人は政治を予算分配と考える。つまり政治を「国家が集めてきた予算をどう配分するか」という問題として捉えたがる。

だがどうやらアメリカ人の考える政治はそうではないようだ。

2次投票の例題として使われているのは住民投票だ。北海道に住むアダチ・ケンタロウは父親を熊に殺される。その復讐のために猟銃の自由所持を認めさせたいが日本では抵抗がある。このためアダチ・ケンタロウは40年かけて地道に票を集める運動を行い自らも票を貯蓄していた総数では反対票が多かったが「重み」によって補正され猟銃の自由所持が認められる。

つまり投票に経済原理を持ち込めば「使い道を慎重に考えるようになるだろう」という前提が置かれている。

住民投票では「予算配分」よりは「コミュニティのあり方」が重要な問題とみなされる。これは極めて欧米的な考えであり「そんな難しいことはお上が決めてくれればいいのに」と考える日本人にはそぐわないかもしれない。

しかし読み進めているうちに日本人にも響きそうな例題が出てきた。それが不支持投票(つまり落選運動)である。ムラによる監視と縛り合いを好む日本人にはぴったりの制度である。

クリントン・トランプ両候補は「両候補が好きか」ではなく「反対候補が嫌いか」によって選ばれたと著者は見ている。このため最終的に残った候補は最も相手から嫌われた候補だった。この極端と極端の争いはアメリカでは大きな問題となっている。ついには連邦国家予算が決められなくなりさまざまなイシューで国を二分するような争いがおきている。

これを防ぐためにラディカル・マーケットでは「自分が当選させたくない人」に票を振り分ける落選票を提案している。極端な政策で相手を攻撃する人にはそれだけ多くの落選票が集まるので評価が高く嫌われていない人が最終的に当選することになるという。

この変種として各議員にそれぞれクレジットを配っておいて自分が推進したい法案に使ってもらうという手法も提案されている。

この二次投票制度は「票をクレジットに変換する」という制度なので「失言の多い議員に投票して議員資格を失わせる」というような使い方も考えることができる。つまり、落選運動を制度化することも可能だ。票を乱用されても困るので「落選票」を事前に配っておいてそれを使ってもらうという制度を作ることもできる。また選挙区に投票したい候補者がいない場合に票をリザーブしておいてそれを後から「失職運動」に転用するという制度も作れる。この場合は投票率が低ければ低いほどのちに失職する可能性が高まることになる。

グレン・ワイルはこの2次投票制度を実験するためにQディサイドという会社を設立している。また2019年4月にはコロラド州の民主党議員団が政策立案のためにテストしたという実績もあるそうだ。だが、この時は匿名投票だったために州の住民の知る権利が阻害されるとして違法の判断が出ているそうだ。

また仮想通貨を使った方法もサイバー攻撃に耐えられるのかとか極端な政治層を持った人たちが偽りのメッセージを駆使して票を買い取ってしまうのではないのかといったさまざまな批判が出ている。

普通に考えるとこうした提案はアメリカですら夢想的であり日本で実現することはないのだろうと感じる。例えばキャンセル運動は相手を否定する運動なので国民と政府が財政再建などで対立すると「予算が決められなくなる」というリスクがあるだろう。

日本では0歳児投票という幼稚なアイディアが維新から出ているがこれは所詮「子育て世帯の票」目当てのその場凌ぎの提案であろう。その程度の提案を思い切った提案というならば、選挙に行かなかった人に「キャンセル権の保持」というくらいの着想があってもよさそうなものだ。

おそらくこうした制度が真剣に議論されるようになるのは日本の政治がアメリカのように膠着した時であろう。現在の日本は債務を持った国なので直ちに財政が破綻するというような危険性はなく、おそらく現在の高齢者世代はキャンセルを好まない。

さらにその場合にもアメリカのような複雑化する意思決定に利用されるのではなく「政治家に制裁を加える」というところから導入されるのではないか。縛り合い体質の日本人にとってはおそらく何を決めてもらうかよりも何を決めさせないかの方が重要なはずだ。

今後政治が行き詰まるにつれて「国民拒否権」をどう実装するかという議論が出てくるはずだ。

なおこのラディカル・マーケットは脱・私有財産の世紀という邦題がついている。なんとなく社会主義的な含みがあるが実際には自由主義の効率化提案になっている。またテクニカルな話やSFめいた話が出てくるため日本ではあまり評判にならなかったようだ。ここに書かれている提案を日本人好みにアレンジできる評論家もおそらくいなかったのだろう。現在の制度を根底から考え直してみるという意味で非常に興味深い本になっている。連休に時間のある人は図書館などで取り寄せて読んでみるのもいいかもしれない。

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