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限界を迎えたAKB総選挙

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AKB総選挙を見た。今までは「なんとなくグロテスクだなあ」と思っていたのだが、それでもエンターティンメントの一種だと思っていた。だが、今回は「もう辞めた方がいいんじゃないか」と思った。それはある参加者が「摂食障害」を口にしたからだ。にも関わらず視聴者たちはさほど反応せず「なかったこと」にしたうえで、目の前で繰り広げれる競争に一喜一憂した。
摂食障害を起こした参加者は18歳ということだった。つまり、ハイティーンの時代に他の女性たちと競争していたことになる。数週間具合を悪くしていたが「直った」ので出てきたのだそうだ。また「これを公表したら嫌われるかもしれない」と思ったそうである。周囲の大人はどうしてこの人に「治療に専念するように」と言わなかったのか、なぜ公衆の面前でストレスを与えて病状を告白させたのか、フジテレビの人たちはなぜコンプライアンス上の問題を認識しなかったのかと思った。
摂食障害は自尊心の欠如から来る症状だ。容姿を比べられている人が「このような姿では人に愛されるはずがない」と思ったとき、食べなければやせられるのではないかと感じるわけである。ティーンエージャーの自尊心は大人ほど固まっておらず、この種のストレスに弱いと考えられる。故に「容姿による競争」が摂食障害の原因になっていることが考えられるわけで、その競争は病気を悪化させる可能性がある。「嫌われるかもしれない」というメンタリティはストレスの原因が全く取り除かれていないことを示唆している。「好かれるか嫌われるか」は相手次第であり、なおかつそれによってその人の人格の全てが決定されてしまうということだ。
摂食障害と言われて思い出されるのはカレン・カーペンターだ。悲惨な結末を最近の人は知らないのかもしれない。
AKB総選挙自体は悪くないかもしれない。多様な価値観があり、そのうちの1つが選挙だと考えることができるからだ。指原莉乃のようにバラエティでも活躍できて選ばれるというのは健康的な姿だろう。だが、そう思っていない参加者もおり、追いつめられてしまうのだ。
でも彼女たちは職業として競争社会に身を置くことを選んだのだし、別に自己責任だからよいのではないかと考える人もいるかもしれない。三点考えてみたい。
第一に、この競争は女性に悪影響を与えうる。女性は「選ばれる性」であるというメッセージを広める。女性の地位は容姿次第であって、容姿の完全なコントロールはできない。男性に受け入れられるためにはスレンダーでなくてはならず、規格外であれば無理なダイエットをしてでも受け入れられる「努力」をしなければならないという考えを広めかねない。総選挙に出るのは可憐な「かわいい」女性ばかりで、大柄の女性は出てこない。その方が「よく売れる」からだ。
例えばフランスではやせすぎたモデルの使用が禁止されているという。モデルの異常な体型が少女たちに間違ったメッセージを与えかねないからだ。生きたマネキンとして生気のない体型が好まれるのだが、それは健康的な姿とはいえない。そして、ティーンエージャー時代の栄養の欠如はその後の人生に壊滅的な影響を与えうる。
次にこの競争はCDを売るための演出として行われている。票は一人一票ではなく、CDの枚数によって決まる。多感な時期の女性の健康を搾取してまでCDを売るべきだろうかという問題がある。そのうえ病気の告白というセンセーショナルな話題でさえ「苦難に耐える女性が競争に打ち勝つ姿は美しい」という演出装置として利用されている。言い方はきついかもしれないが、これは搾取の一形態である。
しかしこの二つの問題は、最後の問題に比べると取り立てて大きな物ではないかもしれない。視聴者は女性が競争に苦しむのを見て、それをエンターティンメントとして楽しんでいるのである。テレビの向こうで起っていることは現実感が乏しく、参加者たちが大きなストレスに晒されていると感じにくい。ちょっとした苦痛はスパイスであり「いいぞ、もっと戦え」という気持ちにさえさせられるわけで、獣と戦士を戦わせて熱狂する古代ローマ人と変わりはない。見ている側の人間性が少しずつ蝕まれてゆく訳なのだが、そうまでしてCDのプロモーションにおつきあいする必要があるのか、今一度考えた方がいいと思う。


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