ゴールデンウィークに入り政治ニュースはお休み状態になる。XをぶらぶらしていたらWiredの記事を見つけたので、これをもとに記事を書きたいと思う。テーマは「民主主義はオワコンなの? コモンズの可能性」である。
だがおそらく「民主主義はオワコンなの? コモンズの可能性」などというタイトルを書いても誰も読まないだろう。そこでタイトルを「河野太郎大臣は旧Twitterの仕様を理解していなかった」にした。
天才経済学者に訊く、コモンズと合意形成にまつわる10の質問(Wired)
まず本題の「IT痛」について片付けておきたい。
Wiredの記事を読んで2つの点に気がつく。一つは文字が多くて難しい。そしてその難しい課題に嬉々として取り組んでいる天才たちが質問と回答を書いている。成田悠輔氏などが質問側に回っている。おそらくこれでは誰も読まないだろう。さらにWiredは普段購読制限をかけている。この記事は実は2021年に書かれており対象になっていないが、意識高い系のお金持ちでもないかぎりこんな記事は読まないだろう。
2021年のコンセプトの記事が広がらなかったのはおそらくこのためだ。流れをざっくりとした上で入門用に解説する人がいないのだ。この記事の元になった「ラディカル・マーケット(2019年)」が書かれた頃にはQuoraのような知的コモンズの運用が始まったがこのコンセプトも理解されることはなかった。むしろ政治的分極化が加速してゆき政治課題はAIによる一斉BANなどが行われている。
一般人は賢者が期待するような振る舞いは見せてくれない。Quoraは政治的な言動の荒れを経験した後に古参ユーザーの馴れ合い交流サイトのようになり現在もそれなりに楽しく続いている。
その後に起きたのが生成AIブームである。人々はChatGPTを人間の言葉を理解したうえで即座に回答を出してくれる魔法の箱として理解した。改めて2021年の賢者たちの話を聞いてみるとAIやweb3も複雑化する民主主義の意思決定をサポートするためのツールとして期待されていたことがわかるが元の意図を考えるとその反応はキラキラとしたガラスに群がるサルの群れのようなものと言って良いだろう。
生成AIブームが起きたことでアメリカの株式市場は加熱している。この加熱ぶりは現代の金鉱と喩えられることが多い。「コラム:AIで「稼ぐ力」、市場の大手IT評価に明暗」では現在のAIブームは金を掘る道具を売る人たちが儲ける一方で、その金の使い道については開発が進んでいないと分析している。もっと直裁に「金を売るよりツルハシを売れ」という格言があるそうだ。
自民党の中にもIT通を自認する人たちがいる。平井卓也デジタル大臣(菅政権)平将明氏などである。だか彼らの情報発信を見ているとどこか薄っぺらいものを感じる。どうやら彼らはクリプト・カレンシー(暗号資産)やAIが金鉱であるということには気がついていてそれを利権化しようとしている。
ところが実際にはAIが「金脈になる」ためには当然「金の使い道」を考える人がいなければならない。彼ら自称IT通の人たちは「アメリカでブームになっているのだから当然日本にも流れがくる(かもしれない)」から今のうちに一枚噛んでおこう程度の気持ちしかないようだ。
これが日本の政治家の限界と言える。発想の背景にある理屈を理解した上で説明しようという人がいないのである。
一連のグレン・ワイル氏の記事を読むと彼の考え方の基礎にはアメリカのリベラルが考える伝統的な考え方があるということがわかる。アメリカ合衆国は分散主義の国であり中央に大きな意思決定機関を持つことを嫌う。リベラルなオバマ政権下で流行したのが「都市論」だった。アメリカは多様な都市を持ちその都市の中にも多様性があるという議論だった。
ところがこの都市論はトランプ政権下で縮小した。サンフランシスコ・ベイエリアのような都市は確かに発展し才能を引き寄せたが、住宅費の高騰や治安の悪化などの問題も引き寄せてしまった。さらにトランプ政権下では不満を持つ製造業地帯の政治的発言権が増しリベラル憎悪と言って良い状態が生まれている。
今回見た新しいコモンズの議論はこの多様な都市をリアルな空間からバーチャルな空間に拡大させたものであるという気がする。そのコンセプトは別の記事に表れている。QVという新しい投票方法が提案されている。有権者に投票権をクレジットとして持たせておいて好きな分野での投票に使ってもらうというシステムである。まず国家予算をいくつかのセグメントに分解する。例えば教育予算に興味がある人は教育に関する予算の使い道の意思決定に参加し「クレジットを消化する」というやり方のようである。
このようにグレン・ワイル氏の提案は、コンピュータで多元的な意思決定をサポートすることにより最適化を目指そうという提案になっている。現在の日本の小選挙区制度にせよアメリカの大統領選挙にせよ全ての意思決定の代表者を1名しか選ぶことができない。
アメリカではこのやり方は限界に達している。いくつかのアジェンダが抱き合わせになった結果、イスラエル予算は通してもいいがウクライナは絶対に嫌だからそもそも予算審議しないという状態になっている。誰もがこの在り方に問題を感じるだろうが、選挙制度を作り直せというラディカルな提案はアメリカでも行われていない。
さらに、自民党の自称IT通たちはそもそもこれを「アメリカ初の新しいブーム」程度にしか見ていない。
ここまで読んできて「あれ、河野太郎は?」と思った人もいるだろう。この自民党の自称IT通たちはそれでも供給側の理屈をそれなりに理解している。ところが、普段の言動を見る限り、河野太郎氏はそもそもそれすら理解できておらず「ITにちょっと強いおじさん」程度のようだ。これまではうっすらと「ああユーザーレベルの人なんだろうなあ」という認識だった。
ある日、Xに「河野太郎氏は実はミュートのつもりでブロックを使っていたようだ」というビデオが流れてきた。これが本当なのかはわからないのだが、仮に本当だったとすると、そもそも「ITにちょっと強いおじさん」ですらなく「単なる勘違いさん」だったことになるだろう。真偽の程は明らかでないものの何回かリポストされており「ああやっぱり」という声が多く寄せられていた。
このブログは2008年ごろに都市論が流行していた頃から書いている。もともと読書ブログだったのだが政治・時事問題を扱うことが増えていた。今回取り上げたのは2021年の記事だがそれでも「民主主義に代わる新しいコンセプトの模索」は続いているんだなあとの感想を持った。