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修羅場と化した東京15区 公職選挙法改正は問題解決にならないだろう

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東京15区(江東区)が修羅場になっているらしい。ついに逮捕者が出たとも伝わる。野党は総理大臣に対策が必要なのではと訴えていた。総理大臣は「対策は必要だ」と答弁したそうだが、おそらく「いや、自民党は関係ないし」と思っているだろう。

おそらく公職選挙法を改正してもこの問題は防げないだろう。理由は二つある。ルールの範囲でそれを踏み越えることが快楽の源になっているのだからルール改正は「ゲームに新しい楽しみ」を与えるだけだ。さらにルール改正はこれを外から眺めている人たちを取り締まることはできない。彼らにとってみれば現状の政治の破壊こそが中核的な政治的アジェンダなのである。

この問題を解決するためには割窓理論の検討が必要だ。

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まず、何が起きているのかをみてみよう。特定の候補者が他陣営に突撃を加えている。状況を煽り相手が怒ってきたら私人逮捕しようという作戦になっているようだ。この私人逮捕系動画を見ると別の動画がお勧めされる。別のお騒がせ系政治家が「あいつは嘘つきで私と裁判になってますからね」などとやっていた。これを喜んで見る人が大勢いる。

有権者は何もわかっていないと考えたくなる。社会ルールは自分達には全く優しくないのだからそんなものは全て破壊されてしまえばいいと考える人が増えている。

彼らにとっては議席獲得を目指さない政治活動の方が「純粋に」見えてしまう。政治家は(本心では有権者のことなど考えていないのに)議席のためならなんでも言うというと思われているからである。

おそらく既存の政治の機能不全を望む人は少なくない。だが、実際には自分の生活を犠牲にしてまで破壊活動を行うことはできない。だからこそアンチヒーローとして一線踏み越えて見せる人に対する需要が生まれる。これはアメリカでも実際に起きていることで日本の問題というよりは現代民主主義が抱える本質的な問題の一つであろう。

アンチヒーロー候補たちは、実に熱心に既存ルールを研究する。だがそのルールの研究はそのルールに則って成功することではない。ルールを研究した上で「あくまでも合法的なアプローチで」相手のエラーを誘うためだ。ルールに則って制度を破壊すればそもそもその社会体系が欺瞞だと証明できる。ルール破りこそがゲームの本質なのだからルールを変えても単に彼らに新しいパズルゲームを出題するだけになってしまう。そしてルールを利用したい人よりも破壊したい人の方が良い研究家になることがある。

さらにシャーデン・フロイデと呼ばれる感情がある。群れで生活するヒトはルール破りをする他人を罰するために道徳感情を発達させた。周囲から同調圧力をかけて「邪な野心」を持っている人を妨害することで快楽を得る脳の仕組みが備わっているなどとも言われる。よく「メシウマ感情」などと言っている。

選挙の当事者は攻撃を加える人を本体だと思っているだろうが、実は本体はそれを眺めている人たちだ。これは実は学校のいじめと同じ構造を持っている。傍観者こそがいじめの本質である。ルールで傍観者を規制することはできない。だから意味がない。

事情はさらに複雑である。立憲民主党の蓮舫氏も被害に遭っており維新、国民民主党、立憲民主党の利害は合致しているように思える。

ところが昨日別のエントリーで述べたように維新の音喜多駿氏は「札幌の事例」を挙げて対策の重要性を訴えた。これは「アベ政治を許すな」という左派の政治運動だった。つまり具体的に「どこで線を引くか」を決める時点で陣営によって意見がまとまらなくなる可能性が高い。そもそも岸田総理は「今回の選挙には自民党は参加していないのだから俺は関係ない」と考えているはずで議論に参加する動機がない。

また具体的に警察が介入して「選挙妨害」に規制を加えることを想像してみれば実現可能性はさらに下がる。一般的なマニュアル作りは難しいだろうから警察が独自に判断することになる。公権力(行政)が政治に介入することになるということである。民主主義国家の日本では実現は難しいだろう。実際に運用されれば「与党に有利」と批判されるはずだしそもそも「一線踏み越える」ことが称賛される環境下では前科も勲章になる。本来自由に行われるはずの選挙活動が警察の監視下でしか行えない都というのは民主主義の敗北だ。

テクニカルに考えるとこの敗北は既に日本の公職選挙法に組み込まれている。日本の公職選挙法は選挙カーで政策を訴えることを禁止している。また戸別訪問も禁止されている。政策を衆人環視の固定された場所でしか行えないように公権力が規制をかけているのが日本の選挙制度だ。戦前には「民主主義という危険思想の取り締まり」という側面があったが、戦後は売買収の取り締まりが主な目的になっていた。

ところが戸別訪問を禁止したことでわざわざ特定の場所に足を運ばなければ立候補者の考えを聞くことができなくなり、有権者と選挙の距離が遠ざかった。今回も苦肉の策として事前予告なきゲリラ街宣という手法が採用されているそうだ。つまりますます有権者を選挙から遠ざけることになっている。

状況を変えるためにはどうすればいいのか。これは典型的な「割れ窓問題」だ。割れ窓理論とは都市の環境の悪化と犯罪に相関関係があるという仮説である。ここから、都市環境を整備すれば犯罪は防げるのではないかという仮説が生まれた。実際にその通りに行動したところ犯罪が減る傾向があり仮説は確からしいと証明されている。

ここで政治家たちが党派性を乗り越えて政治について穏健に語ることができる超党派のスペースを作り政治言論空間を整備することができれば問題は解決すだろう。特に政治に詳しい専門家がいる必要はない。むしろ敷居が低く誰でも政治について話せるような状況が望ましい。

今回の愉快犯的な候補者は自民党を模倣している。岸田政権が世間に向けて「ルールに合致していれば裏金を作って脱税をしても別に構わないんですよ」と説明した。本来の政治の目的とは大きくかけ離れているが「ルールさえ守れば別に目的に合致していなくても構わない」ということだ。野党はそれを批判するが最終的な目的は自分達に票を集めることである。これもある種の私的関心の追求とみなされている。だから彼らは超党派の場所作りには興味がない。

だからこそ「ルールの範囲」で「有権者に静かな意思決定の時間を与える」という目的から踏み越えて見せることに意味が生じてしまう。今回愉快犯的な行動をおこなっている人たちは実は自民党の手法をコピーし一枚岩になれない野党を嘲笑っている。

各政党が「政治について語れる党派性のない環境づくり」の重要性を無視し、目先の票を求め続ける限り、同じような問題は次々と生み出されることになるだろう。

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