週刊誌の報道に端を発した舛添叩きがエスカレートしている。普段は地方行政に何の関心も示さないテレビ局は(NHKまでもが)昼間のワイドショーの時間帯に都議会の様子を流した。彼らの関心は「どの議員がこっぴどく舛添都知事を叩くか」という一点だけだ。自民党の鈴木都議は明らかに腰が引けていて「今後は気をつけろよ」という姿勢だった。これを見た司会者が「手ぬるい!」と叫び、コメンテーターはしたり顔で「これは参議院選挙に影響が出ますなあ」と言っていた。
確かにアンケートをとると「納得できない」とか「辞めろ」という声が90%にのぼる。だが、実際に「自分がリスクを取ってまで辞めさせたい」と考えている人は一人もいないだろう。冷静に内容を聞いてみると、会議と称して卵サンドを18000円分買ったとか、家族旅行を政治活動に偽装したとか、情けなくなるくらい小さな話ばかりだ。他に叩く対象はいくらでもあるだろうにと思う。
「マスコミはこんな下らない報道をすべきでない」と書きたいのはやまやまなのだが、これが一番数字が取れるのだろう。なぜ数字が取れるかも明白だ。人々は正義の側から他人を裁きたがっている。他人が断罪されて堕ちてゆく姿を眺めるのは快楽なのだ。
都議たちはこの劇場の役者としては明らかに技量が不足していた。足りなかったのは三谷幸喜のような優秀なシナリオライターだろう。「隠された真実」を持ち出して、舛添都知事が膝から崩れ落ちるようなシーンを演出しない限り、観客は納得しないだろう。
舛添都知事はどうするべきだったのだろうか。舛添さんは正義の側に立って、誰か弱者を叩くべきだった。すると劇場にいる人たちは、今度は舛添さんの側に立って誰かを叩き始める。何の問題も解決しないが、人々は「これこそが真の政治家なのだ」と思うだろう。叩く対象は大企業でも、朝鮮人学校でも何でもよい。怠惰な公務員なんかもうってつけの素材だ。
次の都知事として期待されている一人に橋下徹元大阪市長がいるが、この人は劇場型政治のうまい人だった。敵を設定して叩くことで「戦う政治家」を演出する。そのように考えると、日本人も「トランプ型の政治」に傾く素地を十分に備えているということになるだろう。
石原慎太郎元都知事も悪を名指しして熱狂的な支持を得ていた。尖閣諸島を購入すると言い15億円近くの寄付を集めたのは記憶に新しいところだ。
最近「なぜ、若者は政治に関心を持たないのか」と考えている。その問いに答えるには「なぜ中高年は政治に熱狂するのか」という問いを立てる必要があることも分かってきた。この舛添人民裁判を観察すると、中高年の多くが無条件に「自分たちは常に正義の側にいて、悪を裁く権利があるが、難しいことは知る必要はなく、市民感情で善悪が判断できる」という根拠のない自信を持っていることが分かる。反対に「自分たちは保護される弱者の側におり、主張は必ずしも広く受け入れられていない」という自己像を拒絶するのだろう。