アメリカ・日本・フィリピンが首脳会談を行い、中国を念頭にした防衛協力網の整備が話し合われた。バイデン大統領の狙いは明白だ。アメリカを中心にした国際協調体制を構築できることを示し、トランプ氏との「格の違い」を際立たせようとしている。
ただ、この問題はアメリカ国内ではそれほど重要視されていない。イスラエルとイランの問題やウクライナ情勢などに埋もれて優先順位の低い問題として扱われることになりそうだ。
バイデン監督の映画において岸田総理はグローバルパートナーどころかセリフのない脇役を割り振られただけだったといえるだろうが、それでも映画に呼ばれたのだから精一杯やるしかない。
アメリカ・日本・フィリピンが首脳会談を行った。バイデン大統領の狙いは日本ではなくフィリピンを中国陣営から引き剥がしアメリカが主導する国際協調の枠組みに組み入れたと誇示することだった。アメリカの映画なのだからアメリカが主役でなければならない。岸田総理の配役は脇役程度だったが、まあ映画に呼ばれただけでも「よかった」と言って良いだろう。
非常に興味深いことに一部の日本のメディアはアメリカと日本を図のセンターに置き「日米がハブになってインド太平洋の平和構築に貢献している」という絵を作りたがっていた。かつてG7として「世界の頂上(サミット)」に立っていたという甘い思い出の続きはまだ続いていると思い込みたいのだろう。
合衆国も同様だ。トランプ氏は「バイ(2カ国間)」でのディールベースの国際協調を好むが、アメリカが多国間協定の牽引役であった時代に郷愁を感じる人たちも少なくない。未来思考を強調すればするほど過去への郷愁が強調されチグハグな印象を与える。
このためにはどうしても敵役が必要になる。だが、本当に反撃されては厄介だ。その点では本音では正面衝突を嫌っている中国はうってつけである。大きくて怖そうだが決して襲ってはこない。
ホワイトハウスは「中国にやましい点がなければ何も心配することはない」などと発言し中国を無駄に苛立たせている。これまでもフィリピンは我々のグループだったのだから仲良くして何が悪いのか?というのだ。
しかしながらこうした茶番は本国のアメリカでも注目されなくなりつつある。少なくとも日本との首脳会談はアメリカ国内のメインニュースとしては全く興味を持たれていなかった。大谷翔平選手の元通訳の問題は報じられたが岸田総理との会談については扱いがなかった。つまりもともと脇役だった岸田総理の訪米は「セリフのない脇役」として扱われてしまった。
バイデン監督の映画は興行収入が良くない。トランプ氏という強烈な敵役がいて初めて注目される程度である。背景にある問題は二つある。
バイデン大統領のアフガニスタン撤退は明らかに失敗であった。予算制約の中で中国包囲網というシナリオにこだわるあまりアフガニスタンを撤退してしまいプーチン大統領のウクライナ侵攻を招いてしまう。観客たちの注目は一気にゼレンスキー大統領に向かう。しかしながらこれはダラダラといつまでも成果なく続くつまらないストーリーだった。そこでアメリカの観客は徐々に飽きてしまう。
そこにハマスの奇襲という新しい物語が突発的に生まれた。ところがどういうわけかこの物語においてイスラエルもアメリカも「敵役」になりかけている。これはアメリカ人が好むストーリではない。どうにかどんでん返しを用意しなければならない。そこで導入されたプロットがイランという敵役の存在だった。
かつて西側陣営の盟主だったアメリカはその当時の状況を再現しようとしている。だが結果的にどれもうまく行っていない。
もう一つの問題が経済運営の失敗である。
コロナ禍の対策として信用を過剰供給しこれがインフレを招いた。FRBとバイデン政権はこのインフレを過小評価したためにFRBは金利を高く引き上げざるを得なくなる。現在でも高いインフレが続いている。明らかに過剰信用供給の後遺症だが大統領選挙を前にしてFRBは金利引き下げ圧力に晒される可能性がある。トランプ氏がインフレ問題と高止まりする金利をバイデン政権の失策として喧伝するのは間違いがないだろう。
こうした行き詰まりを打開するためには「新作映画」で人々の目先を変えるしかない。だが結果的にバイデン監督が出してきたのは不発の「中国対アメリカ」というシナリオの焼き直しである。さほど売れないとわかっていてもバイデン監督はどうしてもこの映画がやりたいのだろう。
だがも俳優としては監督に呼ばれたら出て行って何か演技をしなければならない。例えそれが脇役であろうが売れない映画であろうが何かやって見せないわけにはいかなかった。
バイデン大統領のスピーチライターを雇い、民主党にも共和党も怒られない内容を丸暗記し、LとRやBとVなどの日本人が間違えそうな発音を間違えないように慎重に発音しながらなんとか議会スピーチを乗り切った。あとは故郷に帰って「ああハリウッドはすごかった」「私の英語は素晴らしかった」「スタンディングオベーションの嵐だった」「ヤバダバドゥのギャグも冴えていた」として甘い思い出に浸ることになる。誰にでも甘い思い出は必要だ。