ゴッタルド基底トンネルを調べたついでに、スイスの山岳列車について調べた。鉄道ファンには楽しげなルートが満載だ。だが、そこで分かったのはこの国がアルプスで国土を分断されていてウリになりそうなのが険しい岩山しかなさそな国だということだ。日本で言えば、奈良県の吉野地方とか長野県、山梨県などに似ている。農業にも適さないし、大規模な工場を作るのも難しそうである。
にも関わらずスイスは一人当たりのGDPや国家競争力が高いことで知られる。日本もスイスのようになることができるのだろうか。
スイスはもともと帝国の圧政から逃れてきた人たちが自由を求めてできた共和国だ。そのため周辺3民族(ドイツ人、フランス人、イタリア人)が同居している。現在の人口は780万人だ。このため移民の受け入れに馴れている。出生率そのものは高くないようだが、移民が増えることで生産人口を保っている。移民といっても単純労働者というわけではない。
主な産業は金融・電力・精密機械・化学薬品工業などであり、低い税制を求めて企業がヨーロッパの本社をスイスに置いたりする。法人税が低くても国が成り立つのは給与が高いからだろう。移民も含めて優秀な人材が集まるということになる。
大学教育はかなり特殊だ。年間の学費は20万円以下なのだが、競争が激しいため20%しか大学に進学しない。入ってから選別が始まるのだという。このため学生は週に50〜60時間勉強する。かつては修士号しかなく80%が修士課程に進む。修士号がないと就職できない会社が一般的に存在するらしい。留学生も積極的に受け入れている。教育は二元教育システムになっていて職業訓練が充実している。給与面で差別されることはないそうである。日本のような正規・非正規差別が存在しないのだ。
企業は簡単に解雇ができるが、国全体の競争力が高いので仕事をすぐに見つけることができる。
ここまではスイスの良いところだ。日本と同じようにユニバーサルヘルスケアが実現しているので、アメリカのように医療費で破産するということはない。この他の政府の大きさについてはよく分からないが、少なくとも補助金に頼ることが多い農業がもともと少ないということは言える。耕作地そのものがあまりないからだ。
日本の場合、移民労働者といえば単純作業に従事する安価な労働者を意味する。法人減税をしても誘致が期待できるのは本社機能ではなく製造業の下請けや組み立てなどの単純工程が多い。結局低賃金所得者の面倒を見るのは福祉予算ということになってしまう。この意味ではスイスとは真逆の政策を行っている。本社を集約する国があると、本社機能はますます外に逃げてゆくので、あわてて「競争のため」と言って法人減税を促進するという悪循環に陥っている。ちなみにアジア地域で本社機能を集約している地域は香港だ。スイスと同じ多言語文化圏で英語が通じる高学歴の人材が集まる上に税制がヨーロッパに近いので、多国籍企業が本社機能や地域本社機能を移しやすいのである。
ところが、スイスにも貧困問題がある。現在は10人に1人が貧困レベルにあるという。特に問題なのが高齢者で、その貧困率は16%に及ぶ。50歳を過ぎるころから激しい競争に付いてゆけなくなる人が増えるのだろう。年金制度はあるがインフレもあるので年金が付いてゆかない。このあたりも日本とは真逆だ。
貧困を解消するために、ベーシックインカムが検討されている。6月5日に投票が行われる。もともと国民が発議した政策(イニシアティブ)を議会を経ずに国民投票(レファレンダム)にかけることができる直接民主主義が採用されているのだ。日本では高額のベーシックインカムのように報道されているが、現地の物価水準から見るとそれほど高い金額ではなさそうだ。
日本は集団性の高い国なので、誰も責任を取らず、何も決めない。しかし停滞しているので、愚痴を言いつつさぼりながら生きてゆくことができる国になりつつある。スイスは国民が積極的に政治に参加し変えるべきところは変えてゆく。地方自治も充実している。しかし、変化に付いてゆけなくなると貧困に陥る可能性がある。
もともと日本は、周囲を海に囲まれて国家観競争がない閉鎖地域に内線の末にできた中央集権の強い国家が徐々に民主主義を受け入れてできた国だ。そのため国民には未だに「臣民意識」が強い。また、単一言語単一国家という意味では世界有数の市場だ。一方でスイスは周辺の帝国からの離脱を求めた人たちが山岳地方に集まってできた国であり、地方分権意識が強い。また潜在的に周辺国との競争に晒されているので高い競争力がないと生きてゆけない。さらに国内市場にはあまり期待できないので、外貨を獲得して資本集約するしかない。
もし、状況を選べたとしても、どちらの国で生きてゆくのが良いのかを選ぶのはなかなか難しそうではある。
日本がスイスを真似するのは難しそうだ。可能性があるとしたら東京のような都市単位でスイスを模倣するという方法である。競争力の高い労働者しか住めないような環境にしてしまうのだ。政府の役割を縮小し、独自の法律を決めることができれば、他の地方を切り捨てて生きてゆくことができるようになるかもしれない。