ミシガン州選出のアメリカ下院議員ティム・ウォルバーグ氏が「長崎と広島のようにガザを扱うべき」と主張し物議をかもしている。ガザに原爆を落とせば問題は解決し世界が平和になるとの主張と受け取られたからである。本人は比喩だったと釈明しているが、比喩だったとしても「戦争を終わらせるために広島と長崎の被爆者たちが犠牲になるのは仕方のないことだった」という意味になってしまい日本人としては看過できない。
もはや驚くことではないが、アメリカ合衆国には「日本への原爆投下は米軍の犠牲を最小化するための止むを得ない措置だった」と信じている人たちが少なくない。
近年では歴史の再評価も進んでいるが、年配の人の中にはいまだにこれを信じている人たちがいる。日本文化が好きだと主張する人でもさらっとこういうことを言う人がいるため要注意だ。今回の議論でもガザに原爆を落とすことについては批判が集まっているが長崎や広島の被爆者を配慮した批判はほとんど見かけなかった。
ウォルバーグ氏の反論は日本でもよく見かける典型的な政治家の言い訳の域を出ていない。まず単なる比喩だったと釈明し「全文を読めば正しく理解されるはずだ」としてSNSのXに釈明文を画像で掲載した。つまりコピペで切り取りとられみんなが誤解するだろうというわけである。
SNSのXの反応も日本とよく似ている。まず自分達は誤解していないとするコメントが多く見られる。また、とにかく辞任しろと言うコメントも多数寄せられていた。
日本との違いはミームの存在かもしれない。イメージに加工を施して直感的に感情を伝えると言う手法である。ナチスドイツをイメージするものが多かった。イスラエルのガザ侵攻に対しては「かつてナチスドイツがユダヤ人にやったことを今度はイスラエルがパレスチナにやっている」という評価がありそれを直感的に表したものだろう。
思考が介在する余地はほどんどなく感情的なリアクションが多い。今後の日本のSNSの政治言論の未来図もおそらくこのようなものなのではないか。感情が支配し論理が尊ばれなくなる世界である。アメリカの状況は10年遅れて日本にやってくるなどと言われる。
さらにウクライナの戦争の目的はウクライナを救うことではなくロシアを打ち負かすことであるとも主張したようでこれも批判の対象になっているそうだ。
今回最も興味深かったのが日本人の対応である。このニュースそのものには反応したがメンションをすれば本人にメッセージが届けられると着想した人はほとんどいなかったようだ。日本語の世界と英語の世界は完全に切り離されている。
BBCのインタビューにおいて「なぜ裁判の時にあなたは何もしなかったのか」と質問された東山紀之社長はキョトンとした顔をして思考をまとめることができなかった。
おそらく東山氏は自分の領分はステージでありそれ以外のマネージメントなどの「大人の領域」には触れてはいけない考えていたのだろう。アザー氏はそこに「知っていながら見て見ぬ振りをした東山氏」と言う印象を持ったのだろうが、日本人は「自分が触れていい領域」と「そうでない領域」を厳密に分けていて無自覚に選択しているのかもしれない。
わかっていて避けていると言うよりはそもそもその領域が見えなくなっている。多くの日本人にとってのアメリカ政治は「自分の世界の外にあるもの」だと見做されているのだろう。
このため日本人がこの手の発言に複雑な思いを持っていると言うことを知っているアメリカ人はほとんどいない。発言がなければ「なかったこと」にされるのがアメリカ社会だ。日本は原爆被害を受け入れていると無自覚に考えているアメリカ人は多いはずだ。日本人はこの手の発言に直接抗議してこなかった。
ティム・ウォルバーグ氏は1951年生まれである。原爆の被害の甚大さに驚いたアメリカ合衆国は「あれは仕方がないことだった」と原爆投下を正当化する道を選んだ。この論文はスティムソン論文として知られ今でもアメリカ人の認識に大きな影響を与えている。
- コラム:広島「原爆神話」、米国はどう海外攻撃を正当化したか(Reuters)
スティムソン論文はキリスト教の罪悪感を払拭するための正当化の議論だったが占領統治化にあった日本からこの論文に対する反論などできるはずもなかった。ウォルバーグ氏はおそらくこの説明をそのまま無自覚に受け入れた世代だ。ミシガン州の下院議員を経験し2011年から連邦下院議員を務めている。
ウォルバーグ議員の宗教的なバックグラウンドも今回の発言に影響を与えているものと思われる。
ムーディー バイブル インスティテュートと呼ばれる福音派系の聖書研究大学で働いていた経験がありインスティチュートでは牧師経験もあるそうだ。専業の聖職者を置くカトリック系と違い信者の代表者が指導的役割を果たすことも多い。この経験から政治家を志したものと思われる。
つまりこの発言は熱心なキリスト教徒を自認する人の発言ということになる。ガザにいる人たちはイスラム教徒なので同じ人間ではないと言うことなのかもしれない。今回のXの批判を見るとやはり「ウォルバーグ氏が福音派である」ことを批判するコメントが散見される。
福音派(エバンジェリカリズム)はよく原理主義化したアメリカの象徴として語られる。カトリックは訓練され序列化された司祭たちと教皇が教義をかなり厳密に固めているのだが、民間人が牧師になることが推奨されているエバンジェリカリズムはアメリカの民意を受け入れやすくその分だけポピュリズムにさらされやすいと言うことなのかもしれない。
アメリカ人の中には宗教的自由を謳歌し続けるためには世界中の「悪」や「災い」と戦い続けるべきだと信じている人たちがいる。これを守り続けるためには神の火がどうしても必要であるという考え方はどうしても出てきてしまうわけで、これが核兵器への執着をうんでいる可能性がある。
アメリカ合衆国は通商の自由を肯定する民主主義国家であると同時に信教の自由も重要視される国家である。このアメリカの宗教的側面をよく知らないという日本人は割と多いのではないかと思われる。