週刊文春が自民党若手地方議員たちの夜のリビドー発散に並々ならぬ関心を寄せている。
和歌山県の不適切なパーティー問題に続いて埼玉県連で2016年に起きた「SM緊縛二次会」の写真を発掘してきた。
文春の記事は主催者の過去の騒動について併せて紹介している。それが物議を醸した虐待禁止条例だ。
つまり今回の記事の本質は不適切な夜の遊びではなく自民党地方議員の世間一般との感覚のずれにあると言える。
週刊文春と文春オンラインが問題視しているのは2016年の青年局有志の二次会の写真である。つまり和歌山県連の不適切なダンサー事件から見ると少し「格落ち」になる。国会議員が参加していたわけでも公式の集まりでもない。文春の呼び込み記事はこの点については触れておらず時事通信が主催者側の釈明として紹介している。
一連の記事を見ると「自民党の若手議員たちはかなりストレスが溜まっているのだろうな」と感じる。
時事通信と週刊文春の情報を合わせると、新年会の後で(おそらく大宮や浦和あたりから)京浜東北線で気軽に行ける距離の蕨駅前近くのバーに流れた。そこはコスプレ衣装が置いてありSMプレイも楽しめる。店内には「亀甲縛り始めました」と書いてある。単価は銀座の高級店などには及ばない。1時間あたり2,000円程度だそうだ。
若い男性が羽目を外すのはよくあることだという気もする。きちんと本業さえやってくれれば問題はないのかもしれない。
だが今回の件はむしろ「不適切な二次会」を主導したとされる田村氏の問題を思い起こさせることとなった。
自民党県議団田村琢実団長とはどんな人なのか。
2023年10月に埼玉県議会に出されたある条例案が波紋を広げた。児童虐待禁止条例である。NHKが「埼玉県議会「子ども放置禁止」条例の波紋 留守番は虐待?反対意見相次ぐ 議論の経緯は」で経緯をまとめている。
埼玉県の最大会派である埼玉県議会自由民主党議員団(自民)が児童虐待を禁止する条例を提出した。だがその内容はあまりにも現実離れしたものだった。これを厳密に守ると働くお母さんが適切な施設を見つけることができなかった場合「虐待」に当たる可能性が出てくる。
働くお母さんの実情を知る会派は提案に反対したが自民党県連側は頑なだった。とても働くお母さんや共働き世帯の実情を想像しているとは思えない。
- 「すぐに駆けつけられる状態が確保されないかぎり放置と考える」
- 「待機児童が解消されるように、県が市町村と連携して努力するべき。置き去りや放置から悲惨な事故が起きている事実があり、見逃せない」
- 「細かい距離や時間の問題ではなく、子どもの視点にたって、子どもを危険な状態に置かない、放置しないという社会的機運を高めていくべき」
まさに問答無用と言ったところだ。
さらに問題だったのは県民に「通告義務」を課したという点だ。この時の条例案は「罰則がない」と書いている。だが罰則がないからこそ不適切だとも言える。ご近所の「通告」に依存しようとしていた。
罰則こそないものの地域住民が危険だと見做せば働くお母さんが虐待をしていると行政に告げ口ができる。密告を奨励し集団圧力で働くお母さんを家に閉じ込めようとしてると見做されても仕方がない。集団圧力が強い日本では道徳に基づいた同調圧力は暴力になる場合があるが自民党議員団はそれに行政のお墨付きを与えようとしていたことになる。
この時、田村琢実団長は「説明不足だった」として改正案を取り下げている。だが実際には彼らの認識は世間の認識とは決定的にずれていた。説明不足ではない。この時は「一体この人たちはどんな人なのだろう」といううっすらとした違和感はあったがその内情が語られることはなかったのである。
その後、週刊文春は田村氏についての不倫と非適切な経理処理を問題視した記事を掲載している。かなり行状が不適切だったようだ。
まず不倫キス写真だが「県議団の受け付けの女の子を飲食店に連れ出してキスをせがんだ」という内容だ。昭和の経営者にはこういう人もいたなあという内容である。田村氏は期限内に取材に答えず否定も肯定もしていない。文春はお相手の女性もまんざらではなかった様子としている。
また二番目の記事は議員団の仕事を自分の会社(代表の名義は書き変わっている)に流していたという疑惑である。
- 《虐待禁止条例を撤回》 自民党埼玉県議団長・田村琢実県議が“北川景子似”受付嬢と「不倫キス」写真 「こちらのほうが子どもへの“虐待”では…」
- 《虐待禁止条例、「不倫キス」写真に続き…》自民党埼玉県議団長・田村琢実県議が政務活動費1700万円を“身内企業”に還流させた疑い 田村氏は「不適切な点はない」と主張
これらの件はいずれも「不適切ではあるがまあどこの政治家もやっているかもしれない」レベルの話だ。だがやはりどこかで歯止めをかけないと「お母さんが外で働くなど虐待にあたるのだから地域に密告させよう」というような発想に至ってしまう。
中央集権の日本における都道府県議会は「どうせ誰がやってもそんなに違いはないだろう」と軽視されがちだ。だが価値観が違う人たち放置すると時にはギョッとするような提案が出てくる。
虐待防止条例はSNSの反発で止まったが誰も反対しなければそのまま通っていた可能性がある。
おそらく田村さんたちのような議員たちを放置しているのは無党派層の無関心と一部の熱心なサイレントマジョリティたちだ。
古い感覚を残したサイレントマジョリティたちは心の中では「女の人が外で働くなんて不謹慎でわがままだ」くらいの感覚を持ちつつ田村さんたちの提案に期待していたのかもしれない。そうでなければこのような昭和の常識から抜け出せない「不適切にも程がある」議員たちが長年議席を保ち続けるはずなどできるはずはないからである。