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「ウクライナに白旗を勧める」ローマ教皇の踏み込んだ発言が波紋

ローマ教皇がウクライナに白旗を勧めた。この「政治的発言」の背景について波紋と憶測が広がっている。特にヨーロッパには「教皇は実はロシア寄りなのではないか」という懸念がある。教皇フランシスコは歴史的に極めて特異な立ち位置の教皇だ。

一方、日本人が本来持っている自説に固執する性質と情報リテラシーの低さも浮き彫りになった。有名なジャーナリストの中にもオリジナルの情報を確認せず切り取られた情報を鵜呑みにしたとみられる人がいる。日本人が普段の生活で政治問題を語るのはなかなか難しいだろうなと感じる。

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ローマ教皇がウクライナに白旗を勧めたというニュースを日本語で最初に出したのは共同通信だったと思う。普通この表現はロシアに降伏しろという意味になる。日本ではこの部分だけが広がった。

英語の情報を確認すると少し違う状況が見えてくる。ローマ教皇フランシスコはスイスの公共放送RSIのインタビューを2月に受けた。教皇がさかんに和平交渉を勧めるのでインタビューアーが「白旗」という言葉を使って聞き返した。ロシアの脅威に対して現状を認めることはヨーロッパのスタンダードでは白旗になる。これに対して教皇は「それも一つの解釈である」として否定しなかった。これがタイトルとして使われている。番組自体の放送は3月20日になる。つまり教皇が何を言いたかったのかは本放送を見ないとわからない。

ジャーナリストの江川紹子氏は「ローマ教皇は、なぜロシアに「勇気をもって撤退を」と言わないのでしょうか…。」と苦言を呈している。もしかするとローマ教皇はロシア側にも「こんなことをやるべきではない」と言っているかもしれないが本放送を待たなければ本当のところはわからない。だが、日本語の情報では、この「白旗」が最終結論のように使われていた。

自分達の発言が切り取られると怒る人は多いが、他人の発言について切り取りになっているのでは?と懸念する人は少ない。江川氏の発言は朝日新聞を受けたものだがよく読むと「インタビュー放送に先立って」と表現されている。ジャーナリストとしての訓練を受けている江川氏ですら読み飛ばしているのだから、一般の人の中にも読み飛ばした人は多かっただろう。

江川氏の心情を彼女に代わって想像するのは適切ではないが「力による現状変更など決して許されるべきではない」という感情が正義感となって固着しているのではないかと感じる。人が人として生きてゆく上で道徳感は極めて重要な感情だが時には現状を理解する上での障害ともなり得る。

では、ローマ教皇は精神世界のリーダーとして本当に「公平な」判断をしているのか?ということになる。実はこれこそが大問題なのだ。そもそも「公平とは何か?」ということから考えなければならない。

POLITICOに「Behind the Pope’s tin-eared stance on Russia’s war against Ukraine」という記事がある。「教皇のロシアのウクライナ戦争についての「ブリキ耳」の態度の背景」というような意味合いになる。ブリキの耳は普通「音痴」の表現なので「ローマ教皇は政治音痴だ」という非常に激しい表現だ。

この記事が問題視しているのがローマ教皇のロシア帝国主義を容認しているととられかねない発言だ。

教皇はロシア正教の若者たちにたいして「偉大で啓蒙的なロシア帝国の遺産を大切にしなさい」と言っている。プーチン大統領はロシア帝国の偉大な継承者としてウクライナを再併合しようとしていたためこれが政治的だと受け取られた。バチカンは帝国主義を称賛する発言ではないと反論しているがPOLITICOは「だったらどうして同じことをイギリス国教会にも言わないの?」と納得していない様子である。

POLITICOは教皇フランシスコは以前にも「NATOがロシアを威嚇していた」からウクライナ戦争が起きたと仄めかして騒動になったと書いている。ローマ教皇はこれに懲りて用心していたはずなのに「また、同じような発言をしてしまった」と呆れ気味だ。

ヨーロッパ人が教皇フランシスコに対して複雑な感情を抱くのは彼が新世界出身者だからである。教皇は初のアルゼンチン出身の教皇であり軍隊的な規律で知られ布教のためには政治への介入も厭わなかったイエズス会の出身者でもある。ローマ教皇としては極めて特殊な人なのだ。

西側(アメリカ合衆国とヨーロッパ)が第三世界を搾取しているというアルゼンチンが持っている政治感・歴史的感覚を持っているとも疑われている。つまり教皇庁がヨーロッパ的価値観にそぐわないことに対して苛立ちを募らせているのである。

教皇フランシスコに対するヨーロッパの眼差しは極めて複雑だ。ローマン・カトリックはヨーロッパ発の宗教だが現在の信徒の3/4は非ヨーロッパ人である。つまり今後もヨーロッパの政治的信条にあった教皇が誕生する見込みは極めて薄い。ヨーロッパ人は潜在的には強い不満を感じながらもそれを口にすることができないという状態にある。このために教皇フランシスコがウクライナの戦争に対する評価を口にするたびに「政治的に偏っている」という議論が巻き起こるのであろう。

第三世界には経済的に困窮している人も多い。だが、西側世界はそのことを気にかけることはなく自分たちのエゴと優位性を強調してウクライナ支援ごっこにかまけていると見ることもできる。結局のところ何が政治的に偏っているかはその人の立ち位置のよってあらかた決まってしまう。

この件についてQUORAに記事を書いたところ、当初「ウクライナは原状回復できない」主張してバッシングされた人が「訂正してほしい」と怒っていた。開戦当時に「ウクライナの全面領土回復などあり得ない」と主張する人たちに対してバッシングがあったことは確かである。

だがこの人は「自分が正しかったと認定せよ」と言っている。日本人の中には「ムラの中に正解は一つしかない」という心情的世界を生きている。おそらく2年の間「非主流派」扱いされてきたことを恨みに思っていたのだろうが、背景には「主流派」の存在がある。欧米の側に立ってきた人たちである。今でもなぜプーチン大統領は負けないのだと苛立っている人は多いだろう。

政治スペースを主宰しているとこの手の「どっちが正しいんだ問題」は常に課題となる。この「どっちが正しいんだ問題」を超克しないと普段から政治の話題を語り合うという空間などつくれないが、日本人が克服するのが難しい壁であることもまた確かである。

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