玉木雄一郎国民民主党代表がSNSのXで維新の新しい医療政策について評価している。この時、SNS民と対話を試みているのだが全く噛み合わない。中にはきちんとした意見を持っている人もいるが集まると衆愚状態になる。そもそも維新の主張は「現役世代が生き残るためには高齢者が犠牲になるべき」というものなので話が噛み合うはずはない。日本で無党派層獲得がいかに難しいかが良くわかる貴重な例となった。
所得倍増計画を推進した池田勇人は国民は経済の難しいことはよくわからないだろうと考えた。そのため「計画」というあたかも約束されたかのような表現を使い選挙対策をやっている。政策を選択するのも実際に稼働するのも国民なのだがその実態を国民が理解できるとは限らないということになる。晩年池田勇人は「国民を甘やかしすぎた」と後悔したそうだ。
加えて外に敵を設定する政治手法が蔓延している。維新の音喜多政調会長は政治の最新のモードをよく熟知しており「高齢者がのさばるか現役世代が助かるかの二択だ」という対立フレーム作りを試みている。音喜多政調会長はSNSアカウントに寄せられた批判的なリプライを選んで「選挙を恐れずに戦います」などと打ち返していることからもそれは明白だ。現役世代と戦う闘士という印象づけができる。実際に意識しているのは発信しない・できない「その他大勢」だろう。選挙対策としてはうまいやり方である。
仮に日本維新の会の政策が優れたものであれば音喜多政調会長の手法は「結果的に」肯定されるのかもしれない。おそらく維新=万博というイメージも払拭できるだろう。全ては政策次第だ。
時系列を整理すると次のようになる。維新の音喜多政調会長が「医療費一律3割負担」を訴えたとこから始まる。ネットで有名な評論家が「玉木さんは維新案をどう評価するのか言明すべきだ」と発言する。玉木さんはこれに応えるのだが「わかりにくい」と不評だった。そこでもう一度投稿をしたがやはりよくわからない投稿だった。
玉木雄一郎さんは「高齢者対現役」というフレームを「社会保障費から税へ」というフレームに転換したい。国民民主党は連合を背景に持つ既得権益政党なので世代間闘争ができない。むしろ財源論に転換した上で議論をしたいのだろう。非常に頭の良いやり方だ。
だが、維新の狙いは「世代間闘争を焚き付けて支持を集めること」である。「自分達は損をしている」と考える現役世代はそれを証明してくれる誰かを求めている。だからそもそもフレーム転換など無駄なのだ。
最初の投稿では直接的な評価は避け「国民民主党の案も維新案に似たようなものになるかもしれない」からご期待くださいと終わっている。
反応は極めて興味深かった。日本人は心情に合わせた議論を好み事実はあまり重要視しない。だが「事実に基づかない感情的な議論は良くない」という心情も持っていてダブルバインドに陥っている。このためAIを使えば議論が理解できるのではないか?と考えてChatGPTに議論を解釈させた人が複数いた。彼らはおそらく何が分かっていないかも分かっていないのだろう。
そこで玉木さんは「評価できない」論拠を示したうえで詳しい説明を試みている。大蔵官僚出身で、無党派層の支援に期待しており、人柄も誠実なのだろう。そして最終的に国民民主党案も比べてみてくださいねと言おうとしている。
だが維新の狙いは「とにかく現役世代が割を食っている」と主張することで現役世代の支持を集めることだ。つまり最初から「結論ありき」であり財源などの細かい話には興味がないはずである。
かなりたくさんの数のコメントがついているが議論は拡散しておりまとまる気配はない。現役世代は今の自分達は不当に扱われていると感じており「国民民主党は結局自分達の味方はしてくれなかった」というような噛み合わない印象を持って終わりになってしまう。
所得倍増計画の例を考えると、政治家はまず理論的な裏打ちを持った上で、それをパッケージ化し、さらに国民の印象に合わせた包み紙をつけて「はいどうぞ」と言って渡さなければならない。池田勇人総理大臣が死ぬ前に「国民を甘やかしすぎた」と言ったのはおそらくそのためだろう。
池田勇人と大蔵省の官僚たちのプランは「ケインズ経済学に基づいていた」と表現されることが多い。これは需要と供給に着目した経済学理論だが最近ではあえて「ケインズ経済学」などと言われなくなっている。つしかしながら当時はマルクス経済学を実践している人たちが多くいた。岸信介は満州でマルクス経済学を実践している。正確に言えばマルクス経済学を土台とした国家社会主義の実験と言って良い。
国家主導の戦時経済を経て戦後復興・朝鮮戦争特需に沸いた当時の日本人にとって「経済は自然に流れるものである」という世界観は非常にわかりにくいものだった。そして、おそらく現在の政治家もあまりこの辺りのことがよく分かっていない。
日本の労働者は真面目なので「一生懸命に働く」ことに抵抗感を感じる人はそれほど多くない。だが働くならばできれば組織の生産性の向上と個人の所得のアップに努力を振り向けたいと考えているはずである。だが、実際にやっている作業の多くは不効率との戦いや限られたパイの奪い合いという極めて生産性の低い作業ばかりだ。つまり社会全体として均衡の均衡点が極めて低い状態にある。これを改善して流れを作り現役世代の努力を報われるものにするのが政治の本来の役割だ。だがそのそも現役世代が経済がスムーズに流れている状態を知らないのだから着想ができない。
現代の日本の政治家が直面するジレンマはおそらくそこにある。国民が議論をして最適な計画を選ぶというような経験を日本人はしてこなかった。このため国民の支持なしに最適な政策を選びそれをわかりやすい形で示して支持してもらう必要がある。だから直接SNSで対話しても不毛なものにしかならない。
最後に維新の新しい作戦についても言及しておきたい。
維新には二つのチャレンジがある。一つは「高齢者から奪ってでも現役世代を救済すべき」という主張が有権者にどの程度受け入れられるかである。その資金石として着目されるのが東京15区の補欠選挙だろう。アメリカ共和党の例を見るとトランプ前大統領のメッセージに惹きつけられる人は多いが穏健な共和党支持者は選挙に行かなくなる可能性が高い。東京の都市部で対立志向がどの程度通用するかは注目したいが、なんとなく大阪のようにはならないのではないかと感じる。
もう一つのチャレンジは実際にこの案が現役世代の救済につながるかである。おそらくストックの奪い合いはそれほど高い救済効果をもたらさないはずだ。玉木氏の二番目の投稿からもそれは明らかである。縮小均衡(つまり少子高齢化のこと)下で企業が負担を嫌がると考えると国民負担は自ずと上がってゆく。これを多少現役世代から高齢者に付け替えたところで「焼石に水」にしかならない。だがこれがわかるのは実際に維新が選挙で成功してから先のことになる。