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山井和則議員が衆議院最長演説記録を更新 ただし参議院の最記録には及ばず

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山井和則議員が衆議院の小野寺予算委員長の解任動議演説で衆議院最長となる2時間54分の演説を行った。枝野幸男議員の衆議院での記録を更新したが参議院の森裕子氏の記録3時間1分には及ばなかった。この後、政治倫理審査会が行われた。さらに午後10時から鈴木財務大臣の解任動議が提出された。一時は徹夜国会になるかと思われたのだがこちらは日付が変わる前に裁決が行われ徹夜は回避されたそうだ。議員たちは土曜出勤となり9時から会議が再開される。

「野党のプロレス」と書いていることに気を悪くしている人もいるのではないかと思う。だが、別の記事にまとめた通り国民の負担増を「実質的な負担増なし」と説明する予算案の問題点はそのまま放置されている。一部の野党は「負担が増えるならきちんと説明してほしい」と総理大臣に要望していたが聞き入れられていない。また、劇場化する国会においてこの訴えに注目したメディアはほぼ皆無だった。

結果的に今回の裏金国会の解任動議劇場はこの訴えを掻き消してしまっている。徹夜明けの興奮した頭で「国会議員が本当にやるべきことは何か」を考えることができる国会議員はどれくらいいるのだろうかという疑問が残るがそれでも劇場化した国会は続いてゆく。国民は黙ってそれをみているしかない。

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岸田総理は「突発性決断症候群」を患っているという人がいる。突然決断をして周囲を驚かせるがその後の収拾を考えない。今回も政倫審への出席を決めた一方では予算の強行採決の話が進んでいたようだ。当然「踏み込み不足」との批判のある野党も何かやらざるを得なくなる。山井和則氏の演説はその期待に応えたものだったのだろう。

立憲民主党は被災者支援が入った予算を遅らせることで社会的な批判が集まることを恐れていたようだ。泉代表は早くから「野党が予算を人質にとっているのはデマである」と主張していた。山井氏の演説もそれに沿ったもので「もう11時間あれば被災者予算が上積みできていたかもしれない」と主張していた。

立憲民主党の本当の狙いは自然成立の阻止だった。週明けまで衆議院採決をずらすと憲法規定による予算の自然成立がなくなる。こうすると自民党は政治とカネの問題に対応せざるを得なくなってしまう。参議院が劇場化できるかできないかによって見せ場の数が劇的に変わってしまうのである。

ただ与党が「被災者対策支援を立憲民主党が妨害している」と宣伝したことで立憲民主党もまた応戦ムードに入ってしまったようである。山井氏を含めた立憲民主党もまた大局観を失っていることがわかる。

確かに政治理倫理審査会での清和会幹部の答弁はボロボロだった。松野氏は「裏の金を表の金にするために領収書をかき集めてきたのでは?」という疑惑に答えることができなかった。塩谷氏もおそらくは一度安倍総理が「やめよう」と言っていた裏金問題の放置を主導あるいは黙認したことがほぼ明らかになっている。刑事訴追は免れたもの「やはり何かやっているのであろうな」という印象は残る。岸田総理はこの疑念を払拭するだけの材料を持たない。参議院で引き続き追求が行われればおそらく岸田総理の株はさらに下落するだろう。

しかしながらこのために犠牲になったものも多かった。今回の予算案は前提として将来の国民の負担増を容認する内容が入っている。別途記事をまとめたが要約すると次のようになる。

政府は医療費の圧縮に失敗したため将来の負担増を国民にお願いするしかなくなっている。そこで岸田総理はそれを一部圧縮できる(はず)とした。そしてそれは新しい財源であるとして「実質的負担増はない」と説明している。冷静に考えれば直ぐに「いんちきだ」とわかる。結果的に国民の負担は増える。その負担増の一部を少子化対策に回しますよと言っているだけなのだ。

だが中途半端に頭がいい官僚たちの手が加わったことでその「言い訳」が複雑化してしまっている。官僚たちは現状を打開するひらめきは持っていない。与えられた問題を一生懸命に解こう解いて状況を複雑化させる。結果的に「政府は何をやっているかわからないがとにかく負担は増えるんだな」という漠然とした印象が残る。このためもう子供を持つのは諦めようと考える人が増えているする調査結果もある。

今回、この実質的負担増という言葉について指摘している政党が3つある。国民民主党と維新は「負担が増えるならそれをきちんと説明してください」と極めて真っ当な要望を出している。だがこの訴えはあまり大きく取り上げられなかった。公明党も政府の説明はわかりにくいとして苦言を呈している。

あくまでも結果論ではあるのだが「売り言葉に買い言葉」に人々の注目が集まったことで、政府の説明のあやふやさと曖昧さについて理解が深まることはなかった。これが劇場型政治の恐ろしいところだ。

「政府はどうせ何もしてくれない」と考える人が増えれば増えるほど将来への期待を諦める人が増える。特にそれが顕著に現れるのが未来への投資である。家庭は子供を作ることを諦める。また企業も人材教育に力を入れなくなる。結果的に社会が縮小に向かってしまうのである。

おそらく国会議員たちが今回の国会で本当に何を解決すべきだったのかを理解するのはずっと後のことになるだろう。少なくとも徹夜明けで興奮した状態では長期的なことは何も考えられないのではないか。ただ国民は黙ってこの劇場化した国会を眺めているしかない。本当に驚くほどできることが少ないのだ。

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