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武田良太氏の言い訳は「二階俊博氏は象徴だから悪くない」 政治倫理審査会初日はやはりパフォーマンスに終わる

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政治倫理審査会の第一日目が終わった。当初予想されていた通りのプロレス試合になった。岸田総理はパーティーを野田元総理に叱られて「在任中にはやりません」と誓わさせられたことだけが新しかったが、後は従来の見解を繰り返すのみだった。

武田良太氏は最初から「二階俊博会長のために泥をかぶる俺はカッコイイ」と思っていたようだ。任侠映画じゃあるまいしという気がするが、国民ではなく二階氏に仕えているという気持ちが強いのだろう。二階氏は「象徴」であり自分もお金のことは全く知らなかったと言い訳した。二階氏を象徴天皇に喩えて擁護したことになり不適切極まりないと感じる。

立憲民主党の泉代表はSNSのXで野党が予算を人質に取っているのはデマと主張した。読売新聞はSNSでの解説について「代表のやることか」との冷ややかな同党議員のメッセージを伝えている。立憲民主党はおそらく「本当に予算審議に影響が出ては困る」と考えているはずだ。勝負勘のなさは深刻だと感じる。

小野寺予算委員会委員長は職権で3月1日に予算を通すことを決めた。いわゆる強行採決だ。この強行採決に野党がどう対応するかは見ものと言えば見ものだがおそらく何かあったとしてもプロレスで終わるだろう。小野寺予算委員長の解任動議などが予定されているなどとも伝わる。

政治が全体として全く国民の方を向いていないということを改めて認識させられる1日となった。

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自民党は国民に説明するつもりなどさらさらなくおそらく野党も政治とカネの問題で最後まで戦うつもりはないのだろうなあということがわかる第一日目となった。岸田総理の弁明は当初予想されたものとなり特に新鮮味はなかった。時事通信が弁明をまとめている。

武田良太氏の弁明の組み立てはいかにも武田さんらしいものになった。二階俊博氏は象徴であり何も知らないと言っていた。これは第二次世界大戦が終わった時に「玉体」を守るために使われた理論である。おそらく武田良太氏は二階氏のために体を張る俺はかっこいいと思っていたのではないか。本来の国会議員の仕事は国民に奉仕するのが仕事だが武田氏はおそらく二階氏に奉仕するのが自分の役割だと考えているのではないかと思う。

武田氏の主張は次の通りだ。

志帥会を作ったのは自分でも二階氏でもない。会計担当者は今裁判の途中なので証言を聞くことはできない。二階氏は象徴であって実務的なことは何もしていない。私は二階氏の代わりに色々なことをやっていたがお金の問題だけは全く知らなかった。他の議員が何をやっているのか自分にはわからない。どうか信じてください。時事通信が弁明をまとめている。誇張だと思う人は読んでみるといいと思う。

立憲民主党の寺田学氏は一定の仕事をした。清和会はパーティー収入を議員に還流していたが志帥会はトップに吸い上げていた。つまり一種の上納システムを持っていたものとみられる。読売新聞の記事に図表があるが裏金化かの場所が違っている。寺田氏が着目したのは今回の訂正が幹部だけのものであったのはなぜかという点だった。おそらく幹部を通じてどこかに分配していたのであろう。当然、武田氏が答えられるはずもなく「裏金ではありません信じてください」と繰り返えすばかりだった。

志帥会は二階派と呼ばれることが多いが二階氏が作った派閥ではないのは確かである。志帥会は山﨑拓氏に議員を引き抜かれて弱体化した中曽根派と清和会から離脱した亀井静香氏が作った派閥が母体になっている。その後亀井派から伊吹派と変遷するが伊吹文明氏が衆議院議長になったことで二階氏に引き継がれた。宏池会や清和会のような政策ベースの派閥ではなく最初から互助会的な色合いの強い派閥だったと言えるが二階氏が派閥を引き継いでからはさらにその色合いが強くなった。

二階俊博氏は宮沢内閣不信任に参加し当時オワコン化していた自民党を離党し小沢一郎氏の側近となった。その後小沢一郎氏と離れ保守党を作り自自連立政権に残るが(このため政権は自公保政権となる)その後保守党への支持が伸び悩んだことで「二階グループ」を作り自民党に復帰している。

武田良太氏は亀井静香氏の秘書を経験した後に衆議院議員選挙に立候補した。しかし10年間は当選が出来なかった。地元にはエリート(宏池会系)のライバル候補がいた。ようやく無所属で当選し、その後自民党に入党している。ところが郵政民営化で亀井静香氏らに従って造反したために公認が得られなくなり無所属で二戦目を戦った。武田氏の地盤は北九州市近郊の豊前地方のため宏池会系エリートよりも庶民派の武田氏の方が人気が高かったのかもしれない。

その後、武田氏は第一次安倍政権の人気凋落の原因となった郵政造反組復党で自民党に再度入党しその後は山崎派に入会している。しかしながらしばらくすると山崎派を離れしばらくは無所属で活動していた。

このように紆余曲折が非常に激しい政治家で自分の居場所づくりに大変苦労している。

武田氏の地元の北九州市を含む福岡県は麻生太郎氏、山崎拓氏、古賀誠氏らの重鎮がいまだに影響力を持っている。武田良太氏はこの争いに加わり「福岡三国志」と呼ばれる勢力争いに加わっている。

これが政策論争であればそれはそれで構わない。だが、その実像はおじいさん達の意地の張り合いに過ぎない。そこに世襲議員の後任争いが加わるという「人間関係」の争いが延々と繰り広げられている。麻生太郎氏が中央からたびたび人材を連れ帰り地元の地方議員達との間に軋轢が繰り広げられる。北九州市ではこの争いが膠着している。福岡9区では自民党支部長(次の自民党の公認候補)が決まらないという異常事態が続いているが福岡10区も保守分裂選挙になる可能性があるそうだ。

おそらくこうしたおじいさん達の縄張り争いには多額のお金が必要になるだろう。

二階氏は元々寄せ集めだった派閥を掌握した後で郵政造反で離れた人たちや公認調整で自民党に入れなかった人たちなどを広く集め自分の派閥を形成してきた。民主党出身の細野豪志氏も長らく二階派の特別会員(いわば宿客扱い)だった時期が長く、同じく民主党出身の長島昭久氏も二階派だ。おそらくは派閥議員から資金を集めそれを使って仲間を増やし政権でポジションを買うというようなことをしてきたものと思われる。地元で勢力を維持するためには県議会議員や市議会議員などの面倒を見る必要があり多額の資金が必要になる。

「二階さんは象徴に過ぎず何も知らない」などという発言を信じる人は誰もいないだろう。

それでも武田氏は二階氏を天皇に例えるようにして「責任はありませんでした」と弁明したことになる。長い間苦労に苦労を重ね昭和の長老達と揉み合っているうちに国会議員は国民への奉仕者であるという初心を忘れてしまったと同時に派閥を使ってお金を集めてポストを買うというようなスキームも崩壊した。だが武田氏は弁明を繰り返し今も派閥のボスを守ろうとしている。

背景を知るとこの弁明の哀れさと物悲しさがよくわかると思う。政策なき政党の末路と言えるような光景である。野党にも戦う気はなく、検察が武器にしている法律は穴だらけである。国税もどうやら政治家への調査には乗り気でないようだ。有権者はそもそもこの問題に関する興味を失いつつある。

自民党は自ら総括しない限りこの空虚さから抜け出せないように見えるが、岸田総理にはその意思はなさそうだ。

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政治が全体として全く国民の方を向いていないということを改めて認識させられる1日となった。