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国民生活を置き去りにしたまま進む「共同親権」議論

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共同親権に関する議論が進んでいる。法務省は民法改正を視野に入れた改正案を今国会で成立させる見通しだ。だがこの議論にはわからないことが二つある。「なぜそんなに急ぐのか」という点と「どうしてこんなに反対意見が多いのか」という点だ。つまり「何をそんなにもめているのか」が見えてこないのだ。

現在の日本の制度では親が離婚した場合親権はどちらかの親が持つことになっている。これを単独親権という。法制審議会の家族法制部会はどういうわけかこれを問題視していて共同親権の導入に向けた議論を始めた。しかしながらこの議論にはDV被害者から懸念の声が上がっているという。ついには超党派の議連まで立ち上がり「議論が拙速なのではないか」と主張し始めた。だが実はもう3年も議論をしているそうだ。

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この一連の議論を見ると日本の政治が機能不全に陥っていることがよくわかる。つまり日本の政治は何も決められなくなっており統治機構として崩壊していると言って良い。

答えだけを先に書いてしまう。法務省が議論を急いでいるのは外国から圧力がかかっているからである。つまりガイアツに起因する議論なのである。そこで議論を始めたのだがDVに関する対策が不十分なため弱い立場に置かれることが多い女性側からの懸念が消えなかった。社会が性差別を放置しているせいでDV被害者たちの懸念を払拭できなかったとうことだ。

産経新聞によるとこの共同親権は3年もの間、両者の意見が対立し続けたのだという。

今回の議論では「外圧」についてはいっさい触れられていない。政府広報のNHKの記事には次のような記述がある。

離婚後もできるだけ協力するという理念を掲げ

つまり政府側は道徳的理想論で議論を押し通そうとした。しかしながらこれはDV被害者や養育費ももらえないシングルマザーにとっては単なるきれいごとに過ぎない。そもそも養育費すらもらえない人が大勢いるのだから「協力も何もあったものではない」ということにしかならない。

議論ではこうした懸念を払拭するためにさまざまな「付帯意見」がついているものの「では具体的に誰がこれを監視・執行するのだ?」というところで議論が行き詰まってしまった。

日本の「家族」はさまざまな問題を抱えている。たとえば子育てひとつをとって見ても度々「児童相談所がもっと介入すべきだったのではないか?」という意見が出る。社会の介入が減っており亡くなる子供もいる。だが、コミュニティの機能不全を全て国家が代替するわけにもいかない。全ての家庭に国家が介入していては人がいくらいても足りないという状態に落ちいってしまうだろう。

DV被害者の懸念は具体的だ。外形的な証拠が残りにくいDV被害を受けている人が「離婚しても親は親なんだからできるだけ協力して仲良くやってゆくべきだ」と言われることがあるようだ。こうした道徳的圧力に晒された時に抵抗できないと感じる人は少なくないようである。

逆に一方の親が子育てから完全に排除されるということもあるという。子供に面会させてもらえないという親もいるそうだ。こちらはこちらで「子供に会う権利が保障されていない」として懸念を表明している。

総論では「共同親権を導入すべき」という方向がある。だが、具体的に話し合うと現場の困りごとがこれでもかという具合に噴出する。結局両者の溝は埋まらず3年の期間を浪費することになった。

では法務省はなぜ結論を急ごうとするのか。

日本は国際結婚が破綻した後の子供の連れ去りを防止する「ハーグ条約」に加盟しているが、その義務を履行していないとしてアメリカ合衆国から不履行国に認定されている。アメリカ合衆国国務省によれば日本は子供の拉致を容認している野蛮な国ということになる。オーストラリアも共同親権を導入するように申し入れをしている。おそらく法務省が気にしているのはこの「ガイアツ」なのだろう。日本政府は世界(と言っても欧米のことだが)の圧力に弱い。

結果としてかなり異様なことが起きている。支持率が底辺を彷徨っている自民党は当事者たちの困りごとを置き去りにしたままで勝手に「共同親権推進」方針を決めてしまった。そもそも議員に世襲家庭の出身者が多く世間の感覚からは乖離している政党だ。

これに慌てた議員たちもいる。懸念を表明した超党派の議員の中には自民党の野田聖子氏も入っていて「議論が拙速だ」としている。ここでも話し合われているのは「国際的な要求」や「離婚しても家族として仲良くやってゆくべき」という理想論ではない。

離婚した当事者も出席。パスポート取得の同意が得られず、子が海外の修学旅行に参加できなくなるなどの懸念を伝えた。

確かに国益の観点から共同親権の導入は推進すべきなのだろうが、当事者たちの困りごとは全く置き去りになっている。話をよく聞いてみると共同親権の問題というよりも、女性(母親)の方が男性(父親)よりも弱い立場に置かれている点に起因しているようだ。しかし、法務省はこうした当事者たちの困りごとに実効性のある答えを提示できていない。また岸田総理のリーダーシップも見えてこない。

今回は共同親権について観察したがおそらく同じようなことは色々な現場で起きているのであろう。国民は今後の生活に不満を感じつつも政権交代のような大きな変化は望んでいない。この状態を所与のものと考えると、我々はしばらくはこうした現状に耐えていかなければならないのかもしれない。ただこうした状態が続く限り日本は何も決められない国であり続けるだろう。

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Comments

“国民生活を置き去りにしたまま進む「共同親権」議論” への2件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    日本で共同親権に関する議論が数年にわたって続けられていますが、なかなか議論が進まないですね。個人的には、共同親権は理想的だと思いますが、日本ではその下地が全然出来上がっていないため、反対する人たちの気持ちは理解できます。共同親権を採用している国でもDV被害者はいると思うのですが、そういった国ではどういう対策を講じているのかを調べ、日本でも取り入れないと議論は進みそうもなさそうですね。それと、日本におけるジェンダー格差の問題も関係してそうだなと思いました。
    「子供の連れ去り」については、連れ去った母親から事情を聴き、DV被害あっているなら海外での相談方法を周知する必要があるいかもしれません。

    1. このエントリーはたいして読まれなかったのですが、Xでのリポストがいくつかありました。共同親権の導入に不安を抱えている人は多いみたいですね。コメントありがとうございました。