少し古いニュースになる。日本の政治報道が「政治とカネの問題」で頭がいっぱいになっている最中の1月15日に金正恩総書記が最高人民会議で南当局を大韓民国と呼称した演説を行った。第一の敵国と呼んだことから、融和を促進するものではなく統一政策の破棄と見られている。「同じ民族だから平和的に統一できると考えていたのは間違いである」とした上で通告なく南に軍事行動を仕掛ける権利があると主張している。
朝鮮半島情勢は大きな変化を見せているが日本のメディアはこの動きにあまり注目していない。支持率回復で頭がいっぱいになっている岸田総理は自らのリーダーシップを誇示するために北朝鮮と交渉したいと考えていてミサイル開発についてはあえて触れていないそうだ。政治が動かない以上は記事にできないということなのかもしれない。
この演説以降、南北統一を目指す部署が廃止になり平壌にある統一のモニュメントも破壊されたと考えられている。軍の創設記念日の演説でも金正恩総書記は同様の方針を示しており今後の行動に注目が集まる。
岸田総理は衆議院予算委員会で拉致問題について触れた。いつものように自らのリーダーシップを誇示する内容で「私自身が先頭に立って金正恩総書記に直接働きかける」としている。産経新聞は次のように書く。拉致問題を長年取り上げてきた産経新聞らしい書き方だ。
首相は答弁で、北朝鮮の核・ミサイル問題への非難と受け取れるような発言をしなかった。対話姿勢を金氏にアピールし、首脳会談への前向きな対応を引き出そうとしている可能性がある。
では実際の北朝鮮情勢はどのようになっているのか。
1月15日の最高人民会議での演説で金正恩総書記は南当局を大韓民国と呼称した。その上で「これまでは同じ民族だから平和な統一ができると考えてきたがそれは間違いだった」と主張している。つまり韓国を認めたわけではなく「第一の敵対国」と規定するためにあえて大韓民国の呼称を使ったのである。
続いての創軍記念日の演説でも同じラインで演説が行われた。「宣戦布告なき攻撃」を仄めかしたことから韓国ではさまざまな憶測が広がっている。
保守系の中央日報も革新系の聯合ニュースも次のように伝えている。おおむね次のような内容だ。
- 韓国は北韓から最大の敵国であると名指しされた。
- 今後「同じ民族だから」という理由で対話や協力を行うことはないようだ。
- 北韓は相手に事前に通告なく戦争を起こすことができるとしている。
BBCとCNNはさらに詳しい分析を行なっている。BBCの記述から主な内容を拾うと次の通りとなる。
- 北朝鮮は憲法を改正して国民に韓国が主要な敵国であることを教え込まなければならない。
- 朝鮮半島で戦争が勃発した場合、占領、奪還、編入の手順を憲法に書き込まなければならない
- 統一を任務とする全ての組織は解体する
BBCは今回の変化を「統一政策の放棄」とみなしている。北朝鮮を厳しく監視してきた38ノースは「金正恩氏は戦争の戦略的決断を下した」と分析している。プーチン大統領との間に国際交流があり核兵器が搭載可能なミサイルなどもいよいよ実践配備可能な段階に入った。つまり、実際に金正恩氏が戦争を行うことができる体制が整ったと言って良い。さらにBBCはトランプ大統領との首脳会談が金正恩国務委員長を失望させたのではないかとも付け加えている。
ただしこれは北朝鮮の脅威を伝えてきた38ノースの分析にすぎない。
CNNは「これまでことさらに北朝鮮の脅威を喧伝することがなかった専門家も今回は警戒が必要だと考えている」としている。CNNの分析もBBCのものによく似ている。つまりレベルが一段上がったと考えられている。
- 朝鮮半島の情勢は1950年6月(朝鮮戦争開戦前夜)以来最も危険だ。
- 韓国との平和的統一もアメリカとの関係正常化も諦めたのだろう。
- ウクライナとイスラエルで問題が起きている。金正恩氏がこれを好機だと考えても不思議ではない。
- トランプ大統領再選を前に交渉材料を多く作ろうとしている可能性もある。
辺真一氏は今回の件についてこれまでの発言から軍事境界線を国境と呼ぶのは時間の問題だと見ていたと指摘している。北朝鮮内部では具体的な変化がいろいろと起きているようだ。
- 共和国の歴史から「統一」「和解」「同族」と言った言葉が消えた。
- 南北一体を表す言葉が禁止され、これまでの南北合意の基本文書が無効になった。
- 南北対話の窓口は解散させられた。
中でも象徴的なのは「祖国統一3大憲章記念塔」解体のニュースである。読売新聞も大きく扱っている。
祖国統一3大憲章記念塔は平壌にある巨大なモニュメントだ。2000年6月に行われた南北首脳会談をきっかけにして2001年8月に金正日総書記によって建造されていた。日経新聞によると19日の衛星写真では確認されていたが23日の写真にはなかったということで極めて短時間に破壊されたものと見られる。
岸田総理は「自らのリーダーシップで拉致被害者を救出する」としている。これは安倍元総理を模倣した発言である。安倍元総理は小泉訪朝で拉致被害者救出に大きな役割を果たしたとされている。誰も注目していなかった時にこの問題に注目しライフワークにしたという実績もあるが小泉総理によって作られたリーダーであるという点も見逃せない。小泉訪朝は2002年9月だった。つまり金正日総書記が西側との融和路線をとっていた時代だった。安倍氏は随分時季に恵まれていたのだ。
もともと誰も注目しない中で産経新聞だけがこの問題を取り上げていたという自負があることはわかる。産経新聞としては「多少の変化」には目をつぶり大きな成果を上げたいと考えているのだろう。
だが、時代は大きく転換した。
そもそも、北朝鮮はトランプ大統領との対話を通じて「もうこれ以上対話をしても無駄なのだ」と感じているのだから仮に岸田総理がリーダーシップに富んだ外交の天才であったとしても時季に恵まれた安倍氏と同じ成果を上げることができるはずもない。さらに付け加えるならば岸田総理はリーダーシップに富んだ外交の天才ではなく次期総裁選のことで頭がいっぱいの終わりかけの総理大臣にすぎない。
今回の北朝鮮の決定はある種「世界のトレンド」に沿った動きといえる。
1989年ごろから起こった東西冷戦崩壊から30年以上が経過した。アメリカを中心とした世界平和の均衡は大きく崩れ、国連のような統一組織が西側の経済的優位性を背景にして世界平和を維持するのが難しくなっている。結果的に、第三次世界大戦のような大規模な陣営間衝突は起こらず各地で散発的かつ複雑な構造の対立が多く生まれている。
ここで「この人は頭がおかしいのではないか?」と言われることを覚悟で書くのだが、平和維持のコストが跳ね上がる中で結果的に核兵器の開発は極めて安上がりな自衛方法になっている。大きな国は各国との同盟関係を構築しそれなりの「陣営」を形成することができる。しかし小さな国にはそのような選択肢はない。このため、自らの体制を守るためには「最もコストがかからず最大の効果を上げる」兵器が必要になる。
核兵器開発における障壁は国際的監視網とウランの調達だけだ。国際的な融和を諦めた国々もロシアのような国を通じてさまざまな物資を調達することができる。「枠外の核兵器保有国」は北朝鮮だけではない。今後こうした国々からの技術移転によって核兵器は広がってゆく可能性がある。西アフリカではマリ、ニジェール、ブルキナファソがフランスの影響下にあったECOWASを抜けてロシアに接近している。ベラルーシもロシアからの核兵器を自国領内に運び入れた。イランの核兵器開発も先行きが見通せない。
これは非常に奇妙な状況を生み出す。これまで国内ではタブー視されてきた「アメリカの核の傘」についての議論は促進されなければならない。一方で管理なき核拡散の危険性を前提にした大胆な核兵器の禁止についての枠組みに積極的に関与する必要もある。つまり「絶対持つか持たないか」というような白黒のはっきりした議論はおそらく意味をなさなくなるだろう。これはヨーロッパが今ロシアに対して感じている懸念と同質のものだ。
さらに、防衛コストが高く通商の自由が保障されないという我が国にとってはかなり不利な状況が生まれつつあることもわかる。アメリカの意思決定は4年に一度の大統領選挙に大きく左右されるため過度な日米同盟依存は危険だ。しかしながら現実的なリスクは増すのだから今ある米軍資産は最大限に活用しなければならない。そもそも自衛隊が憲法に依拠していない日本はまずそこから議論を始めなければならない。
ここから考えると現在の日本の政治状況はかなり危険といえる。
自民党のトップは次期総裁選で頭がいっぱいになっており、とても隣国の大きな政策変更にまで気を回している余裕はない。北朝鮮との対話は「支持率向上のカード」にすぎない。また国賓待遇の訪米のためにはなんらかのお土産が必要だ。
とはいえ野党も「政治と金の問題さえ追求すれば支持率が上がるのではないか」との幻想に囚われている。最近躍進を見せていた維新もなぜか大阪・関西万博という取るにたらないお祭りに夢中になっており、夢洲(一部では70cmも沈降するなどとも言われているようだが)なみの地盤沈下を見せている。
国民はそんな政治状況にしらけつつ「とは言え何も起きていないのだから別に政治に関心など持たなくてもいいのではないか」と感じている可能性がある。さらにどちらかの「陣営」の主張を取り上げると「ムラの監視網」に引っ掛かることになり盛大に叩かれる。結果的に「前例踏襲が一番だ。新しいことを考えるのはよしておこう。自分が何を言っても状況が変化するわけではない。」ということになってしまうのだ。
このため近隣で大きな変化が起きたとしてもどうしても「見て見ぬふり」をしてしまうのだろう。自発的縛り合いの恐ろしい側面である。
コメントを残す