池田信夫さんという経済学者さんが「奨学金制度」について批判している。そもそも大学入学というのは投資なので、給付型の奨学金には経済的な正当性がないというのだ。この話を読んで少し恐ろしくなった。
経済的に考えれば池田さんの説は正しい。全ての投資には回収の見込みが必要である。回収の見込みのない投資はすべて却下されるべきだ。そもそも大学の学習にはそれほどの経済的付加価値はない。代わりにあるのは「シグナル効果」だ。学歴があると「そこそこの知性がある人だ」とみなされるのである。ある意味、大学は少し高い金を出してルイ・ヴィトンの財布を持つのに似ている。
だから、貧しい人を救いたいから弁護士資格が取りたいという人は排除されるべきだ。極端な事例だと言われるかもしれないのだが、似たような職種は意外と多い。例えば「子供が好きだから」という理由で保育士になりたい人などがいる。それも正当化できない。
池田さん的な世界では「貧乏な人を救いたいから弁護士になりたい」という欲求や「非正規雇用の人がまともな生活をするために手助けする弁護士になりたい」という欲求は正当化されない。理由はシンプルだ。経済的に見込みがないからである。保育士になるのも止めた方がいい。絶対にもとが取れないし、昔のように30歳くらいで結婚して専業主婦になるということもできない。故にこうした職業は消えてなくなるはずである。
こうした職種とは「ケアをする人々」だ。実は「ケアは無駄」というメンタリティは広く浸透している。子育て中の母親が「私は世間から切り離されている」と思うのはケアは労働価値がないとされているからである。実際に子育てでイライラしているときに「俺が稼いでいるんだからお前は黙っていろ」と言われる人も多いだろう。
そもそも、マイナス経済下では「余剰資金のない人は大学に行くべきではない」。投資は現在価値で決めるのだが、経済成長率がマイナスの場合「どんな投資もお金を借りてまではすべきではない」というシンプルな結論が得られる。平たく言えば「貧乏人は非正規雇用社として企業に使われて疲弊したら退出しろ(つまりさっさと死ねということ)」ということなのだが「これが正当化される」というポジションは経済的には成り立つ。というか、これ以外の結論にはならない。繰り返しになるが、マイナス成長下ではいかなる投資も行うべきではないのだ。
実際に経済はマイナス成長なので現状維持目的以外の投資は滞っている。みんな「経済原則」に従っているのである。直感的・感情的には「こんな世界はおかしい」と思えるのだが、思考レベルでは「賢い選択」なのだ。
面白いのは経済が「スパイラル」を形成するということだ。子供や弱者を救済する制度がないために子育てをする人が減り、その結果として経済が縮小する。すると投資の正当性がなくなりますます経済が縮小する。市場がなくなれば企業も投資をしなくなる。すると消費が疲弊して……という負のスパイラルが形成される。だが、これは全て「経済的に合理性のある選択」の結果だ。
ここまで考えてくると「こうした考え方をする人たち」が経済を縮小させていることが分かる。「経済を膨らませるためにはある程度のリソースの無駄」が必要なのだ。種籾を取っておくのはなぜだろうかを考えてみればよい。こうした「無駄」を管理するのが「公共」の役割なのだといえる。公共について考えるためには長期的な視野が必要だ。個別的・短期的に正しいことが必ずしも集合的・長期的に正しいとは限らないということになる。
日本人は第二次世界大戦に負けてからしばらくの間「公共」へアクセスできなかった。国を統治していなかったから当然なのだが、その間に育った人たちに「公共への投資をする」という視点(平たく言えば、世間に恩返しをするということだ)が欠けているのは不思議ではないのかもしれない。
同じような「公共心の欠如」は中国人の間にも見られる。共産党独裁なので国民は公共に投資しようという気持ちが働かない。だから、自分の家の財産は自分たちで守る。具体的には海外に資金を逃避させる。資金だけでなく親族を何人か海外に送り市民権を取らせたりする。日本人はここまではやらないが、数年の空白だけでも「未来や公共に投資しない」というメンタリティが生まれてしまったのだろう。
ここまで読んできた人は「池田さんを批判している」と思うかもしれないが、そうではない。あくまでも短期的・個別的に経済合理性を追求すれば、マイナス経済成長下では奨学金は(給付であろうと貸与であろうと)正当化されない。しかし、こう考えていては成長を取り戻すことはできなさそうだ。これが現在アベノミクスが直面している壁である。
奨学金の問題にだけ着目すると、再配分を効率的に行うためには、分野を限って、貸し手が審査した上で奨学金(あるいは補助)の配分をきめ細かく決める必要がある。例えば文学みたいな分野は有給階級のたしなみなので余裕のある学生が進学すべきだ。
だが、日本人は個別のカウンセリングに基づいて組織を運営するのが苦手で、こうした担い手を非正規化するのもトレンドになっている。福祉の相談員やハローワークのカウンセラーなどは真っ先に非正規化されている。官僚にとってカウンセラーは、なんの経済合理性もない職業なのだろう。