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じんわりと苦しくなる庶民の生活実感と迷走する岸田総理の日本経済に対する「認識」

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TBSで鶏肉に人気が集まっているというニュースを見た。実質賃金が下がり続ける中で国民は支出を減らしている。どちらも2.5%程度の下落であり国民生活は「じんわり」苦しくなっている。鶏肉は価格も安くヘルシーな印象もあり牛肉より人気なのだというのがTBSのニュースのラインだった。物価だだけでも生活の質は落としたくないという庶民の慎ましい生活実感が反映されたニュースだ。

そんななか岸田総理の経済に対する認識が迷走している。賃金上昇をお願いしているから国民生活は良くなるはずだとして子育てに対する500円の実質負担増を正当化した。岸田総理はデフレからの脱却を言い続けているが、実際には物価上昇(インフレ)が始まっている。日銀は見切り発車で金融政策を変更すると予想されており今はその時期が「3月になるか4月になるか」というのが議論の対象になっている。

政府はこれまでも「デフレ」という主観的な言葉を弄んできた。このため現在の政府の説明は混乱している。ただし、最近の岸田総理はもはや国民の実感や事実をさほど重要視しなくなった。盛んに「私の認識では」「私の認識では」と繰り返している。自分がそう思い込みさえすればそれで構わないのだということなのかもしれない。確かにメンタルヘルスには役立つだろうが総理大臣としては不適切であろう。

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TBSが牛肉離れ・チキンの時代という特集を組んでいた。生活がじんわりと苦しくなる中で牛肉離れが加速した。しかし鶏肉にはヘルシーなイメージがあり「これはこれで美味しいのではないか」という特集だった。このニュースは実質賃金の二年連続低下のニュースと連動している。2.5%マイナスだった。物価上昇(インフレ)に賃金が追いついていないことから日本でインフレが始まっていることがわかる。国民は生活防衛意識を強めており支出も2.6%減少となっている。この二つのニュースの数字は辻褄が合っている。

国会では立憲民主党が少子化対策の実質負担は本当に500円で済むのか?と質問していた。総理大臣は実質負担増はないと言い続けているがそれは本当ではないのではないかというのだ。岸田総理は景気の好循環が間も無く訪れるから心配は無用と政策を正当化した。しかし、国民は支出を見直し生活の質を落とさないようにしながらも節約志向に転じている。総理の「認識」と実情の間には大きな乖離がある。

教育無償化を実現する会の前原誠司代表は日銀の金融政策と政府の政策の整合性について質問したようだ。岸田総理は日銀と意思疎通を図ってやってゆくと説明している。ただこれはもはや「岸田総理がそう認識している」だけであろう。では内閣府はどう考えているのか。ロイターに記事があった。残念ながら既に空中分解している。日銀の政策変更はインフレになったことを意味しているのだが、それでもデフレ脱却を前提にした共同声明(アコード)の重要性は変わらないという。

林氏は、日銀が物価目標の実現が見通せる状況になったと判断しても「デフレ脱却と持続的な経済成長をうたった政府と日銀の共同声明の重要性は変わらない」と述べた。政策変更を受けて共同声明を変えなければならないのではなく、今後も政府と日銀が共同声明の下で一緒にやっていくということかとの質問に「そう思う」と答えた。

内閣府の気持ちはわかる。仮に主張が破綻していたとしてもトップが認識を変えなければ「ごめんなさい、破綻してますよね、ワタシもそう思います」などといえるはずもない。ここはさまざまな生活実感を持つ人に配慮しながらも新しい状況に対応していますよと説明せざるを得ない。

内閣府が苦しい説明を強いられる理由は「デフレ」という言葉の曖昧さにある。

いわゆるデフレマインドは国民が感じている将来不安と閉塞感を感覚的に表した言葉である。仮に物価が全く変わらなくても「リタイヤして将来の収入が減る」と予測すれば支出を抑える。経済学的にはデフレではないが今の使われ方ではこれも「デフレ」なのだ。さらに「インフレで物価が上がり続ける中で収入が増えない」人もデフレ実感を持ち続けることになる。周りが上り坂であれば平坦な道であっても相対的には下り坂に感じられる。

いつ頃からこのような用法が生まれたのかは定かではないのだが、今の言葉の使われ方では「デフレ」は主観的な言葉であり周りとの比較の中で感じられるものにすぎない。失敗は誰かが一人ひとりが感じる主観をなんとなく掬い取り「デフレ」という言葉を主観的に用いてしまったのは失敗だった。おそらく経済統計がインフレになっても「主観的に生活が苦しくなった」と感じる人は「私はデフレを生きている」と感じ、岸田総理の主張に違和感を感じ続けるはずだ。

政府・日銀が円安に誘導している可能性も捨てきれない。観光と自動車産業にとっては実は有益な政策なのだ。トヨタの業績好調についてNHKは円安によって利益が押し上げられたとしている。この円安は消費者にとっては不利益になる。日本は既に貿易立国から内需牽引型に移行している。「いわゆるアベノミクス」の失敗はこの転換を意識しなかったことが根本原因になっていると指摘する経済評論家もいる。

いずれにせよ政府が基本認識を改めなければ日銀の政策が根本的に変わるとは考えにくい。金融政策の変更によって金利が上昇する中で円安が維持されると国民の多くは「インフレ下でのデフレ」を実感し続けることになるだろう。

このように考えると今の政府(自民党でも立憲民主党でも維新でももう誰でも構わないのだが)のファーストミッションは変化した経済状況を踏まえて経済政策・金融政策を組み直し、国民がやりがいを感じることができる経済政策を提示することにあるといえる。働いても働いても生活実感が良くならないのであれば「モチベ」は上がらない。また引退した世帯も「いつまでこの老後をやり過ごせばいいのだ?」と不安を感じることになるだろう。

岸田総理の答弁を聞いていると、もはや何を理解していて何を理解していないのかはよくわからない。政治とカネの問題では「私の認識」というフレーズを繰り返し使っていて、自分がそう思い込めば事実などどうでもいいと言った感じになっている。おそらく国民が少子化対策の負担増を感じても「私が認識しなければなかったことになる」と考えているのかもしれない。一方の野党も政権攻撃になんらかの多幸感を感じているようだ。とても落ち着いて経済につい手の考え方をまとめるというような状況になっていない。

国民民主党の一部には経済について冷静な認識を持った人たちがいるようだ。彼らも「もうだめだ」と思ったのだろう。岸田総理は玉木雄一郎氏の最後通牒にたいして「至急新しい提案を検討します」と約束したが、玉木雄一郎氏は可能性を感じなかったようで協議からの離脱を決めた。支援団体を一つでも獲得しておきたい岸田総理はガソリン利用者への配慮ではなく最後まで業界団体への補助金支給にこだわり続けた。

非常に皮肉なことなのだが「派閥」を破壊したことも混乱の一つの原因となっている。

1950年台の岸政権下で代替政策を検討したのが池田勇人・宏池会の源流となっている。のちに岸政権が安保闘争で倒れても日本が混乱しなかったのはバックアッププランとしての政党があったからだ。現代においては自民党内の派閥か野党が「落ち着いて政策を検討するだけの余裕」を持たなければ、そもそもバックアッププランの検討などできない。派閥とカネの問題の議論に決定的に欠けているのがこの視点だと個人的には非常に残念に感じる。

現在の政党や派閥はとにかく予算編成権を奪取しなければ生き残りが難しいという事情を抱えている。とても政策を練っている時間や金銭的余裕などないのが現在の日本の政治状況なのだろうが、それでは本末転倒だ。できれば彼らがどうすれば政策立案に集中できるかを聞きたいところだがとにかく色々と忙しそうで、彼らにはそんな余裕はないようである。

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