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「女性の期待に応えてない」上川陽子外務大臣の答弁で参議院が一時紛糾 麻生太郎氏は「おばさん」発言を撤回

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立憲民主党の田島麻衣子氏は参議院の代表質問で上川陽子外務大臣に対して「麻生太郎氏の発言に抗議するべきだ」と求めた。だが上川外務大臣はこれに応じなかった。不服とした立憲民主党の理事たちが議長席に詰め寄り議事が10分程度中断された。上川氏は本人の意図とは離れたところで「女性代表」に祭り上げられてしまったことになるが潜在的に上川氏がリーダー候補とみなされ始めていることもわかる。思わぬ騒ぎに発展したことで結果的に麻生太郎副総裁は英語でも過去の問題発言が報道された上で発言を撤回することとなった。キングメーカーどころか道化のような機能を果たしたことになる。

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経緯をおさらいする。

  • 麻生太郎氏が地元福岡県芦屋町で講演した。講演で上川氏を取り上げた。キングメーカーを気取っており上川氏を新しいスターと持ち上げる狙いがあったものと見られている。
  • しかしながら「男性は女性を上から評価しなければならない」と考え「容姿は大したことない」と発言した。名前も間違えたことでワイドショーなどで否定的に取り上げられた。
  • 上川氏はこれを受け流す発言をした。
  • 普段からおじさんたちの無神経な言動を笑ってやり過ごすしかない女性たちは上川氏の受け流しにも反応した。なぜきちんと反論してくれないのかというわけだ。
  • 最終的に田島麻衣子氏が代表質問でこの問題を取り上げたが上川氏は正面から麻生氏を批判することはなかった。
  • このため立憲民主党の理事たちが議長席付近に集まり与野党理事協議のために代表質問が10分ほど中断された。上川氏は再答弁に応じなかった。

個人的には「男性の女性に対する品定め」というレベルの議論に堕ちることなく自身のWPSを宣伝した点に強(したた)かさを感じた。政治家はやはり政策や心情で評価されるべきだ。だが、世論の評価は必ずしもそうではなかったようだ。男性の品定めにうんざりしてはいるが自分は矢面に立ちたくないと言う人が大勢いる。この人たちは「誰か偉い人が代わりに戦ってくれること」を期待しているのかもしれない。

東京新聞によると立憲民主党の田島氏の質問は次のようなものだ。

立憲民主党の田島麻衣子氏は代表質問で、麻生氏の発言を問題視しなかった上川氏の対応について「同じ境遇にある女性たちも同じように対応しなければならないと感じるリスクはないか」「問題があるとすれば何か」「なぜ大臣は抗議をしないのか」と質問を重ねた。

この質問に答えるならば、男女問わず「嫌なことは嫌だ」ときっぱりと言い切れる精神的な強さを持つべきであろうと思う。英語ではアサーティブネスという。「私は本心としては嫌なのだがそれが言えない」状態が続けば、確かに田島氏が考えるように「同じように対応しなければならないリスク」を抱え続ける人は多いだろう。実際に嫌なことを嫌と言えない人は多いのではないか。

男性上位の政治状況において上川陽子氏が「女性である」と言う境遇と戦ってきたことは容易に想像できる。今回もご本人は盛んにWPSについて情報発信しているにも関わらず、世論はこの問題にほどんと関心を寄せていない。仮に上川氏が男性政治家であればこんなことにはなっていないはずであり同性からの過度な期待も「ガラスの天井」を形成しているものと思われる。

女性政治家は男性社会に従順な「弁えた女」か「男性のように戦う戦士」と言う両極端な対応を求められているようだ。このため、上川氏のようにニュートラルな姿勢の政治家が容易に受け入れられない。上川氏は緒方貞子氏をロールモデルにしこの両極端からの脱却をうたったえたように思えるがそのメッセージはあまり響かなかったようだ。

一方で今回の事件は上川氏が単なる閣僚の一人ではなく「リーダー候補」として認知され始めたことを意味しているのかもしれない。人々はリーダーに自分の境遇を重ねてしまう。上川氏が今後どのような女性リーダー像を確立するのかにも注目が集まると同時に「リーダーは志願してなるものではない」と言うこともわかる。周りの期待によって本人の意図とは関係がないところで作り出されてしまうものなのだ。

結果的に麻生太郎氏は「キングメーカー(この場合ではキングではないが)」としての役割をご本人の意図とは別のところで果たしたことになる。キングメーカーというよりはピエロに近い。「なにかと上から評価・品定めしたがる昭和のおじさん」が具現化した形で存在感を発揮した。この麻生氏の侮辱発言はガーディアン紙にも取り上げられた。過去の問題発言なども紹介されており「変わらない男性上位の国日本」の象徴として描かれている。時代からも世界標準からも取り残されているがご本人は大立者気取りというわけだ。岸田総理はこの人を過度に恐れており気の小ささも浮き彫りになった。

本筋とはややかけ離れるが、このところSNSの「集団性」について考えることが多い。アサーティブになれない日本人は常日頃からさまざまな抑鬱を抱えている。このため、この怒りが何らかのきっかけに噴出すると収まりがつかなくなることがある。

例えば文春の告発をきっかけにして過去のさまざまな問題行動が報道されることになった松本人志さんのケースもその一例だ。私も被害を受けたと言う人が続々と週刊誌に駆け込み毎週のように新事実が報道されている。また、「セクシー田中さん」の芦原妃名子さんの死をきっかけにして「私も原作をボロボロにされた」と訴える原作者が増えている。ご本人に抗議の意思があったのかは必ずしも明らかではないが、その意思とは関係がないところで何らかのきっかけになっているのは確かなことだろう。

日本人は個人では抗議ができないが集団になるとその動きが変わる。誰がターゲットになるのかはその時々の空気次第だが一度表面化するとそれを鎮めるのはなかなか難しい。SNSで時々起こる「炎上的な騒ぎ」はそれ自体が一種の抑止効果を持っているのかもしれない。

いったん騒ぎが起きると「同じような目に遭いたくない」と言う人は行動を抑制する。決して効率的だとは思わないが、これが日本ならではの独特の問題解決策であることもまた確かである。

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