麻生太郎副総裁がホームグラウンドの福岡県(遠賀[おんが]郡)芦屋町で講演を行い上川外務大臣を評価した。ただしこの時に「美しいとは思わない」と発言している。普通の人なら「女性の容姿をイジっている」として批判されそうなところだが、麻生さんの場合「ああまた言ってるよ」ということにしかならない。逆に「上川外務大臣を後継候補として評価しているのだ」という評価まで出ている。
よく日本の政治は老害が支配するなどと言われる。変わらない日本の政治について考える。
麻生太郎氏が福岡県(遠賀郡)芦屋町で講演を行い上川陽子法務大臣を「堂々としている」と評価した。しかしこれで終わらないのが麻生流だ。「美しい方とは思わない」と「軽妙なユーモア」を発揮した。さらに名前を「カミムラ」と間違えている。上川陽子氏個人にはさほど関心がないことがわかる。
麻生太郎氏の地元は産炭地として知られる飯塚だ。芦屋町などの遠賀郡とは遠賀川で接続されており石炭の積出の経由地として発展してきたこともあり筑豊とは一体性が強い。また芦屋町には町の半分を占める航空自衛隊基地と芦屋ボートレースがあり税収が豊かな地方自治体でもあると言われてきた。遠賀郡は北九州市に隣接しているため僻地とはいえないが住宅地が限られる上に鉄道の駅もなく人口は流出気味だ。こうした事情から都市部でありながらもどこか時代に取り残された昭和の気質が色濃く残っていても不思議ではないという感じの土地柄である。
昭和の男尊女卑にはどこか屈折したところがある。実際には女性の働きなしでは立ち行かないのだが男性はそれを認めたがらない。男性が女性の上に立つべきだという社会圧力が強く「女は黙って男を支えていればいい」と考える人が多い。このため、評価するにしても上から被せないと気が済まないという感情があるのだろう。自分の所有物である家族を「愚妻が」「愚息が」と謙(へりくだ)るような感覚もあるかもしれない。
このため、まずは容姿を「さほどでもない」と下げておいて「でもまあまあ見所があるじゃないか」と言っている。こうすることで自分は彼らの下につくのではなくリーダーとして押し上げてやったのだという認識を作る。
こうした昭和型の男尊女卑で思い起こされるのが森喜朗氏だ。「(組織委の女性は)わきまえておられる」発言が炎上したことがある。マスコミがうるさいからあまり言わないがと前置きした後で「女はとにかく喋りたがる」と発言した。最終的には男を立ててくれる「ノーと言わない女」が求められるのである。
現代の感覚を持った人なら「この人何を言っているのだろうか?」と唖然としてしまうような発言だが、実はホームグラウンドでは発言が受け入れられやすい。普段は称賛されるのになぜかマスコミには叩かれる。そこで「マスコミこそが間違っている」という被害者意識が生まれる。
本来ならば女性票など無党派層を取り込んで組織票の流出を抑えたいはずの自民党は常に「価値観がずれた長老」たちに振り回されてきた。いわゆる自民党の老害問題だ。
オリンピックでは森喜朗氏を中心に騒動がおさまらなかったが安倍晋三総理は森氏のスポーツ界への強い影響力を無視できず「森さんは黙っていてください」とはいえなかった。岸田文雄総理も派閥解散を言い出してみたものの麻生太郎氏が怒っていると聞いて怖くなり「お詫び」をした上で、派閥は政策集団に生まれ変わるとトーンダウンしてしまう。前者は清和会の上下関係があり、後者は宏池会系の上下関係がある。いわゆる「頭が上がらない」という状態だ。
ではなぜ総理大臣たちは「長老」に気を使い続けるのか。これがよくわかるのが茂木派の事例だ。
茂木派(平成研)にはかつて小渕恵三という盟主がおり今でもその娘に時期リーダーとしての期待がある。小渕氏に使えていた青木幹雄氏は茂木氏を認めず「小渕優子こそが平成研のリーダーにになるべきだ」と主張していた。今回小渕優子氏と青木氏の息子(青木一彦氏)が茂木派を離脱しておりなんらかの立て直しが求められる。
だが冷静に考えてみるとこれは不思議だ。青木幹雄氏は既に亡くなっている。
青木幹雄氏が亡くなっても世襲で「父親が先代にお世話になった」という人が大勢いると、なかなか実力本位の人事が行えないという事情がある。小渕優子氏が抜けた平成研は「魂が抜けた」状態だがおそらくその「魂」とは世襲による世代を超えた人脈なのだ。茂木氏は事務所を閉鎖して「政策集団移行」をアピールしようとしているが、資金の受け皿となる政策集団は温存したい考えだ。平成研の魂は抜けても蓄積したお金だけは取っておきたいのだろう。
宏池会をめぐっては古賀誠氏が林芳正氏を後見しているという事情がある。麻生さんは岸田さんの後見人として岸田政権で高い地位を得てきたわけだが、就任時には「岸田さんの後見人」の地位をめぐって一騒動起きている。
だが「岸田氏の後見人」の地位にはあまり意味がない。岸田政権にはもう将来がないからである。宏池会(岸田派)も解散したため優秀な上川氏の後見としてもう一花咲かせようとしているのかもしれない。
現在の小選挙区比例代表並立制のもとでは有権者は実質的に候補者を選べない。また、自民党は世襲性が強く「先代が先代にお世話になった」という人間関係が出来上がっている。「老害」と言われつつも高齢の長老の影響力が衰えないために結果的に優秀なリーダーを国民が選べないという状態が続いている。
ただ、昭和型の政治の裏には大勢の支援者がいる。麻生さんの「カミムラは美人じゃないけどまあそこそこやりよるじゃないか」という評価にキングメーカー気取りで聞き入っていた聴衆も芦屋の講演会場には多かったのではないかと考えられる。もっとも、これは芦屋に限ったことではないのかもしれない。