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森喜朗氏が麻生太郎氏にどなりこみ 「平成の妖怪」が混乱させる政党改革議論

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「森喜朗氏が麻生太郎氏に怒鳴り込んだようだ」としてニュースになっている。森喜朗氏が麻生太郎氏に怒鳴り込んだらしいと最初にテレビで話したのは田崎史郎さんだった。森喜朗氏が首相だったのは2000年から2001年までのわずか1年だがその後もスポーツ界と清和会にさまざまな影響を持ち状況を混乱させ続けている。東京オリンピックのゴタゴタもこの人の人事が遠因だった。能登半島地震の混乱の一つとなった馳浩知事の誕生にも大きな役割を果たしている。今度は麻生太郎副総裁に怒鳴り込み自民党を破壊しようとしているのかもしれない。朝日新聞は「「森さんという妖怪が…」安倍派処分めぐり、森元首相が怒りの直談判」と書いている。

政党は政策をどのように精緻化させるべきかという議論は先送りにされ、まるでゴシップ報道のような政局報道ばかりが新聞誌面を埋め尽くすという異常な事態が続いている。

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田崎さんによるとポイントは3つだ。

  • 一つは森喜朗氏の怒鳴り込みだ。田崎史郎さんの表現は「ねじ込んだ」になっている。
  • 二つめは安倍派幹部の茂木幹事長への抗議だ。「立件が理由で離党になるのなら岸田派と二階派はどうなんだ」と抗議したという。
  • 三つ目は安倍派の中堅・若手であるの抗議だ。こちらは逆に幹部が責任を取らないせいで我々が迷惑していると主張しているという。

なぜ今になって妖怪が暴れ始めたのかについて、田崎史郎氏は言及していなかったが、森元首相を含めた安倍派の幹部7名の不起訴が確定したタイミングだからなのだろう。これまでは検察の動きがよく分からなかったため妖怪は暗闇に身を潜めていたということになる。公民権停止になってもさほど困らないとは思うのだが、さすがに起訴されるのは嫌だったのかもしれない。

不思議なのは岸田総理と茂木幹事長の挙動だ。なぜそんなに長老たちに怯えているのかがよく分からない。すでに岸田総理はすでに麻生副総裁に詫びを入れ「派閥の解消はやりませんから」と説明している。岸田氏はとにかく長老格の麻生太郎氏に頭が上がらない様子だ。今回の森喜朗氏の怒鳴り込みにも「非常に大きな影響力がある」とされている。

朝日新聞によると「報道されている内容は全然違います」と森氏を取りなしたとしている。つまり「安倍派の幹部の処分などしませんから」と説明したことになる。岸田首相はとにかく怯えてしまい「党幹部が弁明した」からという理由で遠巻きに推移を見守っているそうだ。さすがの田崎史郎氏も岸田総理のリーダーシップのなさについて弁明するのは諦めたようだ。

一方で、中堅・若手・参議院の間では別の動きも広がる。茂木派を中心に離脱の動きがある。主に動いているのは総理大臣候補になることが少ない参議院に所属している茂木派だ。また麻生派からも岩谷元防衛大臣が離脱の意向を示している。谷垣グループや菅グループなど「派閥未満」のグループも解散を決めた。結果的に、麻生太郎氏と茂木敏充氏の派閥への固執ぶりが目立つ形になっている。

今回の議論には決定的に欠けているものがある。それが「政策をどう作るか」という問題だ。

元々日本の保守は有力な政治家の元に議員が集まるというところから始まっている。ところがこれでは先に合同した左派・社会党に勝てない。そこでアメリカが主導し保守政党が合同したという経緯がある。つまりそもそも自民党は派閥の連合体にすぎなかった。だがこれにはいい面もあった。お互いに政策的な競争ができたのだ。

例えば所得倍増計画の元になったプランは1950年代に非主流派だった池田勇人らのグループが構想している。このグループは「宏池会」と呼ばれた。岸総理と福田赳夫氏はこのプランを盗もうとするのだが、最終的に池田勇人にやらせた方が得策だと考えるようになる。結果的に安保で岸総理が退陣することになり池田総理のもとで「所得倍増計画」が実行された。

福田赳夫は逆だった。福田氏は池田氏の自由放任式のやり方には批判的だった。だが田中角栄が総合病院方式の「選挙から政策まで」という体制を構築したため、対抗できず政権基盤が作れなかった。自分の政策を実現するためには仲間が必要だということになり、それまで自分が持っていた緩やかな政治グループを基礎に派閥を形成した。これが「清和会」の本格的なスタートだ。

つまり日本の保守政党においては「政策と人事(権力闘争)」が一つにセットになっている。その核になっているのは東大を卒業して大蔵省に入った人たちだった。民主主義が未成熟な日本では選挙の代替として「基本的な議論のリテラシーを持っている人たちの政策コンペ」が派閥を中心に行っていたことがわかる。そして一旦案ができるとマスコミを通じて一般に流布される。政策を議論できない国民も「メニュー」を見せられれば「どちらが食べたい」といえるのだ。おそらく議論の本質は「東大・大蔵省」の代わりの人材育成をどうするかという点にある。単に優秀な人がいるだけでなく、彼らが共通言語を持って話し合える空間を作らなければならない。

日本の政策立案システムは佐藤派を簒奪して形成された田中派で形骸化する。田中派がロッキード事件を起こすと竹下登が田中派を簒奪するのだが、竹下政権下ではリクルート事件が起きている。自民党は「政治と金の問題」を克服できなかった。

おそらくは政策が作れなくなったことが問題の根幹なのだが、中にいる人はそれに気がつくことができない。前回の議論は「派閥こそが諸悪の根源なのだから選挙制度を変えなければならない」という方向に流れていった。

今回の政治と金の問題は選挙制度改革も派閥の政策集団化も問題解決に至らなかったということを示している。だが、自民党の中にいる人たちは「本当は何が問題だったのだろうか」ということを議論できていないように見える。

理由はさまざまななのだろうが、少なくとも「民主主義にあまり興味がない国民」「プロレス化した無責任野党」「権力に固執する老害と化した元実力者」などが絡み合い議論を妨げていることがわかる。岸田総理は議論を主宰することができないばかりか平成の妖怪退治にも失敗している。

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