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他衛というまやかしについて考える

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憲法とか第九条の問題とか誰も興味がないことは分かっているのだが、分からないことがあったので書いてみる。それは他衛という概念である。橋下徹市長(当時)が使っていて、まやかしだなあと思った記憶がある。自衛と他衛は対概念であって、重なることはないはずだと思ったからだ。
だが、それも間違っていたようだ。そもそも自衛の反対は攻撃だ。攻撃されたから防衛するわけだ。で、あれば他衛って何なんだと思ったが、そもそもそんな概念は存在しない。自衛があり、それを拡張した形の集団的自衛がある。それだけである。集団的自衛を他衛の同義語だという人もいるだろうが、同じならなぜ言い換える必要はない。
ではなぜ、他衛という言葉が発明されたのか。それは集団的自衛ができないということになっていて、なおかつ集団的自衛には「関係ないやつを助けてやる」という含みがあるからだろう。
疑問はこういうことだ。人はなぜありもしない用語を聞いて「分かった」という感覚を得るのだろうか。その場合「分かった」とはどういう状態なのか。そもそもない概念を理解することなどできないはずだ。にも関わらずわかった感があるのは、人が言葉を使うからだろう。単語があると、そこに意味があるはずだと思い込んでしまうわけだ。
いろいろ考えてみて、集団的自衛と個別自衛の重なるところがどこかというのは理解ができた。「日本軍」を置いてみたのである。日本軍とはつまりアメリカの軍隊のうち日本防衛をミッションとしている部隊のことだ。その下請けを自衛隊が担っている。つまり、ここでいう日本軍はアメリカ軍の一部と自衛隊の連合体ということになる。
ところが、アメリカ軍は日本の軍隊ではないので、憲法ではコントロールできない。にも関わらず、憲法やその下位の法律で定義する必要があるわけだ。そうしないと、日本軍に癒着している自衛隊を動かせないからである。そこで「アメリカ軍が日本防衛をしているときに限り、日本の軍隊とみなす」必要が出てきた。そこで「限定的集団的自衛権」という概念が生まれたことになる。
しかし、日本は表向き独立国なのでそうは言えない。外形的には米軍は外国の軍隊だ。そこで「他衛」という言葉が出てきたのだろう。他とは「日本国憲法が及ばない」という意味だ。にもかかわらず「衛」の機能を果たしているわけだ。
すると「軍事技術が進歩した」というのは、アメリカと日本の軍隊が情報網で結びついているからだということになる。オペレーション上両者は完全に癒着していて切り離せない。別に敵の軍事技術が進歩したという意味ではないのだろう。
話がややこしいのはそこからだ。アメリカはあくまでも日本軍(つまりアメリカ軍にコントロールされている自衛隊)が海外でも治安維持活動をすることを望んでいる。そこでホルムズ海峡が出てくる。だからむりやり「邦人が乗ったアメリカの艦船」とか「日本向けの石油を積んだタンカー」を防衛するなどという理屈がでてきた。だが、自衛隊が出てきて「日本のタンカーじゃないから守れません」と言えるだろうか。それは無理というものだろう。結局、(アメリカでもない)他国のタンカーも守る訳だから、それはもう集団的自衛の範疇ですらなく、治安維持活動である。
ホルムズ海峡でタンカーを守るのは活動は米軍にとっても「日本防衛」ではない。日本もタンカーを使っているからという理屈で、拡大解釈しているにすぎないが、無理がある。
そもそもアメリカ軍は日本を守るために日本に展開しているのだろうか。恐らくそうではないだろう。アメリカは沖縄などに駐留している米軍基地とその権益を防衛している。日本防衛のための米軍などというものは恐らく存在しない。
この話はNATOが出てくるとより複雑になる。日米同盟での集団的自衛を認めたわけだから日本はNATOにも加われるはずだ。だが、それは難しい。なぜならNATOは集団的自衛体制なので、例えばスペインが攻撃されたときに自衛隊を展開させなければならない。だが、この区別が成り立つためには「アメリカが攻撃されたとしても、アメリカ軍が日本防衛のためにオペレーションをしていなければ、出動の義務はない」という前提を置かなければならない。
ところが安倍首相は米国議会での演説で「アメリカにミサイルが飛んだら日本が撃ち落としてあげる」と発現し拍手喝采を浴びている。つまり、そもそもアメリカにはフルの集団的自衛を約束していることになる。
安倍首相が嘘をついていると言う人もいるのだが、そうは思えない。そもそも話の整合性が取れない人で、相手にいい顔をしてしまうのだろう。多分自分が何を言っているのかよく分かっていないのだ。
さて、このような話を展開すると(そもそもこの文章を読んでいる人がいるという仮定を置いての話ではあるが)お前はホルムズ海峡の重要性を認識していないのかなどと言い出す人が出てくるだろう。少なくとも法理論的にこれを解決するのは簡単だ。自衛隊を日本国憲法の枠外に置けばいいのだ。法律か憲法で「日本は自国防衛を放棄し、同盟国に委任する。ただし、そのために必要な費用(人的なものを含む)を措置する」とすればよいのである。いわゆる自由連合契約だ。
こうすることで、日本国憲法の整合性を完璧に取りつつ現実に対応することができるし、あとは内向きな議論に耽溺できる。独立国としてのプライドはずたずたになるだろうが、そもそも誰がアメリカの大統領になるかをやきもきしなが見ているわけだから、実質的にはアメリカの精神的奴隷と言ってよい。であれば、現実を受け入れるべきではないだろうか。


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