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OSを破壊するユーザーとしての自民党

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あなたがシステムエンジニアだったと仮定しよう。お客さんのところに要件を聞きに行く。お客さんは企業の情報部門なのだが、情報工学を勉強したことはない。代わりになんだかいろいろな知識は豊富だ。つまり「システムを良く知っている」と思い込んでいる。
お客はいろいろ言い出す。どちらかといえば細かな注文が多い。彼らは今のオペレーティング・システムは使いにくいからなんとかしろという。システムエンジニアは思う。「だけど、それは暴走防止のための措置なので、それを外すと暴走しかねませんよ」。失礼かなとは思ったが、思い切って言ってみる。するとお客さんは言う。「いや、そんな使い方はしないから大丈夫だ。俺たちが使うのだ。だから俺たちが一番良く知っているのだ。」と。
自民党が憲法改正案で主張しているのは、まあ、そんなところだ。憲法はOSだ。ユーザーがOSをいじるのは危険だろう。
「憲法は国を縛る」という立憲主義という呪文はひとまず置いておく。憲法はOSのようなものである。法律はその下のレイヤーで動くのだ。OSには設計思想というものがあり、制限がかかっている。制限を「アフォーダンス」という。(ちなみに、wikipediaによると、ノーマンの「アフォーダンス」は誤用なのだそうだが、とりあえずこの考えで行く)
例えば、MacOSはUnixを制限したものである。最近はスマホとの連動性が重視されている。MacOSには3つの基礎がある。

  • Unixから余計なコマンド群を隠し、ユーザーが仕事に集中できるようにしている。
  • 一貫性を与え、MacOS10.1のユーザーでも基本的な仕事ができるようにしている。これはWindowsにはない考え方だ。
  • スマホやマルチデバイスの連動がうまく進むように機能が進化し、一部のUIが変更されている。一方で、古い機能の中には取り除かれたものもある。例えばPowerPC関連の機能は全て削除されている。

MacOSが出始めの頃は、インターネットはあったがクラウドはなかった。日本のOSを設計するにあたり重要なのは、憲法には上位概念があるという視点である。いわば、OSのOSである。
では、日本のOSのOSとは何だろうか。当初、連合国は戦争を防止するために「戦争そのものを禁止して自衛だけを残す」という構想を持っていたようである。誰も他の国を攻撃しなくなるわけだから、自動的に戦争はなくなる。日本の憲法から武力行使が「完全に」除かれたのはそのためだ。一方、ドイツのOSには別の設計思想があった。こちらは最初から集団自衛になっていて、西ドイツはヨーロッパの戦争に「自動的に巻き込まれる」義務を負っている。
ところが、国連はOSの作成に失敗してしまう。代わりに機能していたのがアメリカ軍だ。だが、アメリカは日本を守りきれなくなり、「アプリケーションレベル」で自衛隊を作った。アプリケーションではなくハックなのかもしれない。日本は長い間「不良OSをハックして使っていた」わけだ。これがうまくいったのはこの機能が使われることはなかったからだと考えられる。つまり、戦争がなかったからハックレベルでも構わなかたのである。
日本には三つの選択肢がある。一つは上位概念のOSをうまく機能させるという方法だ。「戦争はいけないことだからなくす」ということだ。もう一つは現実を受け入れて、OSの中に組み込むという方法である。最後の選択肢は「とりあえず動いているから放置する」というものだ。
左派は最初の選択肢を取るべきなのだが、うまく行かない。多分英語すら話せず、国際的に影響力を行使できないからだろう。代わりに国内勢力を攻撃する方法を選んだ。これは筋違いだし、意味がない。
だが、右派にも問題がある。あろうことか「制限をなくす」ことに熱心になっている。自民党がユーザーとして困っていたのが「人権」という概念だ。人権は「左派のよりどころ」になっている。あるいは大した思惑すらなく左派潰しがしたいだけなのかもしれない。だが、これを改変すると全体が暴走しかねない。これはユーザーの意思とは関係がない。OSは「誰が使うか分からない」わけで、ある程度どんな想定でも暴走しないように設計しなければならない。
自民党は「日米同盟」をOSの上位に置こうと考えているようだが、日米同盟も変質しつつある。アメリカの地位が変わりつつあるからだ。自民党はこれに対応できていないので、大騒ぎして憲法を変えても効果は限定的かもしれない。アメリカ人の多くは「アメリカが世界を守ってあげるのは過大な支出」と考えているようだ。
憲法がOSだという理解は、憲法学者にもないらしい。最近長島昭久議員が、小林節さんを「攻撃」していた。もともと小林さんは「憲法では細かいことは想定できないので、解釈しながら使うのが当たり前だ」と言っていたのだが、最近では「安倍首相が解釈するのはけしからん」と言っているというのだ。
このことから、小林さんがOSとしての憲法に、上位概念を置いていることが分かる。それは日本人の持っている行動原則のようなものだ。「まあ、OSに穴があっても無茶な使い方をしないだろう」ということだ。だが、最近「無茶な使い方」をする人が現れたので、態度が変わってしまった。そして、想定以外のことは「絶対にやってはいけない」と言い始めたことになる。
ちなみに、長島議員は「ハッカー」で、自衛隊は合憲だと言っている。憲法学者はプログラミングに参加できないのだからハッカーになるしかないのだが、議員はプログラマだから「ハッキング」で喜んでもらっては困る。
もともと憲法学者は「ハッカー」だったわけで、これを「ユーザーレベル」の自民党が攻撃しているということになる。機能しないOSが機能していると言い張る部外者がたくさんいて「ハッカー」の一部と組むようになった。
どっちを支持するのかと聞かれたらこう答えるしかないだろう。「デザイナーはどこにいるのですか」と。