先日来、国と地方行政のトップがなかなか被災地に入らない問題について「どこか冷淡だ」という記事を書いている。冷淡だと思う人もいればマスコミに先導されておかしな政府批判を展開しているのではという人もいるだろう。
ここでは視点を変えてこれまでの政権がどうだったのかについて考えたい。特に菅直人総理大臣の直接介入は現場を混乱させており貴重な反面教師になっている。つまり「すぐに現場入りすればいいってもんじゃない」ことはわかる。ではどうするべきなのか。さらに岸田総理の今回の行動はどう評価すべきなのだろうか。
阪神淡路大震災が起きた時、村山政権は初動が遅いと批判された。だが自民党が政権に参加しており「彼らが勝手に動いた」ことで救われている。さらにその後の菅直人政権の初動があまりにもひどかったため「民主党政権は村山政権を見習うべきだ」とする論調も生まれている。村山総理は菅直人総理によって評価が上がっているのだ。
一連の経緯を見ると「トップがバタバタしすぎるのも良くない」ということがわかる。リーダーシップの示し方にはさまざまな手法がありどれが正解かは一概には言えない。
まず産経新聞の「阪神大震災の一報に気づいたのは警備員だった 米軍の救援案に「核兵器は?」と難色が示された」という記事を読む。民主党菅直人政権のずさんな震災初動対応を批判する文脈で2017年に書かれている。
産経新聞なので社会党には批判的だ。だが当時の政権には自民党とさきがけが参加していた。このため産経新聞は内閣官房副長官だった石原信雄氏をヒーローとして描いている。当時は震災対応という概念がなく通常の危機対応で対策が進められた。また東京では阪神の悲惨な状況が伝わっておらず村山総理がなかなか危機感を示さない。さらに「左派」の自衛隊と米軍アレルギーも槍玉に上がっている。地元から自衛隊の出動要請が出なかったとされている。これは今でも左派批判の材料として引き合いに出されることがある。
さらに重要な指摘もある。地方行政の役人は災害時には責任を取りたくないため首長が孤立する傾向があるそうだ。なるほどと感じる。
震災も水害も地域にとっては数十年あるいは数百年に1度のこと。まして首長の任期は4年だ。平成17年に被災首長による会議を発足させた兵庫県豊岡市の中貝宗治市長(62)は「職員は怖いので誰も助言してくれない。自分一人。素人がいきなりうまくやれるはずがない。サポート体制が必要だ」と語る。
さらに村山政権の姿勢を批判する記事も見つけた。
警察・防衛官僚経験のある佐々淳行氏が「左派は机上の空論ばかりだ」と村山総理の姿勢を厳しく糾弾している。この時に警察官僚の後輩である亀井くん(亀井静香国土交通大臣)と連絡を取り独断で救助の手筈を整えているという。独自のネットワークでさまざまな組織を動かそうとした人がいるようだ。
ここまでを読むと「ああやはり左派はダメなんだ」という感想を持つ人もいるだろう。だが実はそうではない。
村山総理は自分が自民党とさきがけに「担がれた」存在であるということをよく知っていた。なおかつ震災対応の重要性もわかっていたために、直後に被災地入りしたもののその後は一貫して一歩引いた立場を貫き現場に権限を与えていた。これが被害日本大震災の時の菅直人首相と比較され再評価されることになった。「介入はしないが結果責任は取る」という姿勢が非常に明確だったと石原さんが評価している。リーダーシップにはさまざまな形がある。
「最高指導者には自分で全部、仕切る人もいるが、村山さんは閣僚経験もなく、就任まで野党の党首だったから、各責任者に権限を与え、フルにやらせて、どんな結果でも自分が全部かぶるという姿勢を示した。これは正しかったと思う。罷り間違えば政治生命を失うわけです。それを全然、意に介しなかった。そういう覚悟だった」
この真逆をやってしまったのが民主党の菅直人総理だった。「理系」の総理大臣ということで現場に積極介入したが、菅総理の関心事は福島第一原子力発電所のみだった。近視眼的視野狭窄に陥っていたと言って良い。現場は混乱しバックアップ体制も作られなかったことで却って震災対応は混乱する。つまり、総理大臣が積極的に介入したり現場に入ったりすることが必ずしも「良い総理大臣の資質」とは言い切れない。
では今回の岸田総理の震災対応はどうだろうか。現場に行かなかったことは良い判断だったのか。
実は岸田総理は最悪の選択をしている。まず発災後2週間も現場に行っていない。理由はさまざま語られているがよくわからない。岸田総理の行動原理には普通の人とは違う不気味さがある。何を考えているのかがよくわからない上に話を理解してくれているのかもよくわからないのだ。
その一方で実はリモートで直接介入はしている。前回はダイヤモンドオンラインの記事を紹介したが東京新聞も同じようなラインで記事を書いている。ソースはおそらく同じ小倉さんだ。自衛隊の逐次投入と賞味期限切れのおにぎりが象徴的に語られている。「陸自幕僚副長ら靖国集団参拝」がこっそり混ぜ込まれている点は東京新聞のご愛嬌と言って良いかもしれない。
この文書の積み残し課題は「そもそもなぜトップダウンは良くないのか?」というものだろう。
日本国憲法には「地方自治の本旨」という原則がある。法律の立て付け上は「地方自治体が何かを要請してから政府が動く」ことになっていのだ。だが、災害対応対応時にはこれが成り立たない。産経新聞が触れているようにいざとなると地方自治体の幹部たちは責任を取りたくないために首長に責任を押し付ける。だから首長は孤立する。
経済ジャーナリスト小倉健一氏は「現場のニーズを無視してトップダウンで決める」ことを問題視しているが、おそらく「国が責任をとってくれるのか、これは好都合だ」と考えている現場も多いのではないかと思う。孤立した首長がプロの政治家であればいいのだが、担がれているだけのタレントだとおそらく単に機能不全を起こして終わりになるだろう。独断専行の総理大臣と責任を取りたくない地方行政のトップたちに挟まれてしまう。
おそらく政府がやるべきなのは県知事・市長・町長などに適切なアドバイスを与えながら応援することなのだろう。直接御用聞きを送って情報を集めても意味はない。実際の被災地では「情報が降りてこない」と言っている人たちがいる。そもそも総理から送られた使者たちはそもそも誰から情報をとっていいかがわからないかもしれない。
岸田総理がなぜ直後に現地入りしなかったのかについては有力な情報がない。状況的には政治と金の問題を抱えており「政権再浮揚で頭がいっぱい」になっているように思える。また馳浩知事がなぜ現場入りしないのかもよくわからない。シナリオなき突発的な事象に戸惑っているだけなのかもしれないし、あるいは石川県民は極めて共感力が低い人を「間違って」選んでしまったのかもしれない。
さらにいえば実は孤立している可能性もあるが、形式的には孤立しているようには見えないだろう。情報と命令系統は知事経由だからだ。
阪神淡路大震災ではあえてルールを破って行動する人がいたことでで結果的に自発的な災害対応体制が作られた。日本はこの震災をきっかけにさまざまな対策を準備してきたのだが決めすぎてしまったことで誰かがやってくれるだろうという集団思考の状態に陥っているのかもしれない。
今回の分析は「これが全て」というわけでもないのかもしれないが「なんか冷淡だ」とか「薄気味悪い」という印象を与える少なくとも一因ではあるのではないかと思う。
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