年末にも関わらず安倍派幹部・議員たちへの取り調べが進んでいる。そんななかTBSが独自の情報を掴んできた。これまで明らかになっていなかった裏金の使い道について「【独自】キックバックを「地方議員に配る資金に充てた」 安倍派の一部議員が東京地検特捜部に説明 自民・安倍派「裏金」事件」という記事を出している。
おそらく立件は困難なのだろうが、昭和から日本に蔓延してきたたかり体質に絡め取られた議員がいるようだ。清和会・安倍派に改革を期待してきた人たちの期待はこのたかり体質に負けたことになる。
幹部たちはいまだに派閥への説明は行っていないようで安倍派解体の危機も囁かれる。年があけて捜査が一段落すれば立件を免れた人の中からリーダーが出てくるかもしれないが、今はまだ誰がどのような処遇を受けるのかが明らかになっていない。
岐阜県羽島市にある大野泰正参参議院議員の地元に捜査が入った。田崎史郎氏は「新幹線の岐阜羽島駅はこの人の祖父によって誘致されたという噂がある」と言っている。さまざまな説があるそうだが、駅前には大野伴睦氏夫妻の銅像が立っているという。いかにも開発途上期の昭和的逸話という気がする。この駅は羽島駅ではなく岐阜羽島駅になっている。羽島だけが名誉を独り占めするわけではなく「岐阜全体の駅なのだ」と調整した人がいるということだ。一人勝ちは嫉妬を生む。これも昭和的な知恵といえるだろう。
地元事情をよく知る人は「おじいさんの影響もありパーティー券を売るのには苦労しなかっただろう」と言っているそうだ。首相の出身派閥に所属する大野伴睦氏の孫という知名度の大きさがよくわかる。おじいさんの代から地域の利害を調整し細かく利益分配することが期待されていた政治家だったということだ。地方で世襲政治家が好まれるのはおそらく「昔からの人たち」のことが「よくわかっている」からだろう。
おそらくこうしたことをやっていたのは大野さんだけではなかったのだろう。TBSの独自情報によると一部議員は裏金を地方議員に配るお金に充てていたということがわかっているそうだ。
ではどのように配られていたのか。これがわかる事件がある。それが別件で逮捕されている柿沢未途前法務副大臣のケースだ。柿沢氏も秘書もお金を配ったことは認めている。
江東区で柿沢家は自民党コミュニティから排除されてきた。ここに食い込むためには「誠意」を見せなければならない。そこで自民党所属の地方議員にもお金を配ることにしたようだ。陣中見舞いという名目になっていて、柿沢未途容疑者らは「買収の意図はなかった」と主張している。こちらは「お父さんの代」からの山崎家、木村家、柿沢家の因縁があったことがわかっている。別の家にお世話になっていた自民党の地方議員たちにしてみれば「では柿沢家は我々の面倒を見てくれるのか」という気持ちもあったのではないか。東京にもこんな図式が残っていたのかと思う。
確かに日本にはお金で「誠意」を見せるという独特の文化がある。葬式の香典や結婚式の祝儀などがそうだ。この伝統に違和感を感じる人はあまりいないだろう。地方の盟主の家柄ともなれば「それなりの誠意」を見せ続ける必要がある。
柿沢氏らが地元に配っているお金は20万円程度でそれほど高額のものではない。だが、これを選挙期間中にやると買収になる。
「日本の文化だから」という理由でお金を配ることを認めてしまうとなし崩し的に売買収が横行することは間違いがない。実際に日本の戦後の選挙史は買収腐敗との戦いの歴史でもある。これに抵抗するために生まれたのが「明るい選挙運動」だ。1951年の統一地方選挙では大勢の選挙違反検挙者が出た。この反省から生まれたのが1952年の「公明選挙連盟」である。公明党が結党されたことから「明るい選挙推進委員会」と名前が変わり今でも続いている。
確かに冠婚葬祭でお金を渡すのは相互扶助(助け合い)という日本の美しい文化である。だがこれは「たかり」にもなり得る。「たかる方とたかられる方のどちらが悪いのか」ということになるのだろうがおそらくたかりを抑制するのは極めて難しいものと思われる。
難しさと根深さがわかるのが河井克行元法務大臣のケースだ。こちらも昭和的な助け合い(たかり)構造に食い込もうとした河井克行氏が「誠意」を示そうとしたケースだ。背景には政党の中央と地方の緊張関係がある。安倍総理を批判していた溝手顕正氏を追い落とすために河井克行氏には多額の資金が渡されたことがわかっている。河井克行氏はこの資金を手に「誠意」を配って回ったのだ。だがこれを証明するのは非常に難しく特捜部の捜査に一部違法なものがあったことがわかっている。
河井克行氏の買収を認定するためにはもらった側から証言を得る必要がある。このため特捜部は「起訴はしませんから」と取引した。検察も裁判所も組織的関与は認定しなかったが実際に一旦全員が不起訴になっており、組織的な方針があった可能性は捨てきれない。日経新聞は次のように書いている。
現金を受け取った地元議員らの多くは選挙目的での受領を認めたが、特捜部は21年7月、100人全員を不起訴処分とした。検察審査会の「起訴相当」議決を踏まえ、広島地検などは22年3月、広島県議ら9人を公選法違反(被買収)の罪で在宅起訴し、25人を略式起訴した。正式裁判を求めた3人を含む12人は、全員が一審で有罪判決を受けた。
こうした悪習を断ち切るためには「お金を配る側」全員を平等に規制する必要がある。蓮舫議員が「少額の裏金を起訴すると逮捕者が多数出る」と発言した田崎史郎氏にキレていた。確かに田崎さんの主張は現実的なのかもしれないのだが、1951年の地方選挙で大量の検挙者が出た(明るい選挙推進委員会は6万人と書いている)ことを考えるとやはり疑いがあるものは全て規制したほうがいいといえるだろう。
毀誉褒貶のあった安倍晋三氏だが、少なくとも「ネット保守」に人気があった。おそらく改革の担い手としての期待があったものと思われる。だが彼らの後継者たちは検察の捜査対象者になっている。キックバックの方針を撤回しようとして抵抗されたなどとも言われているが、仮にそれが事実であるとすればネット保守の改革願望が地方議員のたかり体質に潰されたことになるだろう。
彼らの改革意欲がどのようなものであったのかはわからない。だが、結果的に我々日本人が懸命に脱却を図ってきた昭和の因襲に負けつつあるということが言える。安倍派の中からこの因襲を打ち破るリーダーが出てくるのか、それともこのまま潰れてしまうのかに注目が集まる。