家の近所に自衛隊の駐屯地がある。年に何回か解放日があるので遊びに行ってきた。かなりの人出だった。小さな銃のおもちゃを持った子供からミリオタらしいおじさんまで様々な人が集まっている。地域のイベントとして定着しているのだろう。
駐屯地と言ってもここから敵のミサイルを迎撃することはないとのことだった。習志野にもっと大きな駐屯地があり、そこが固定の基地になっているらしい。
この辺りに「反基地運動」はない。もともと原野に飛行場があり、その周りに宅地ができたという経緯がある。周辺は未開墾地で、戦後に引き上げてきた人たちが開拓団として入り、農地や住宅地が形成された。戦後、ここに入ってきた人たちは、基地があることを知っていて越してきた人たちばかりなのだ。
戦車くらい見れるかなあなどと思っていったのだが、偉い人たちが挨拶しているばかりであまり面白くない。そこで、途中で帰ってきた。もう少し待っているとデモンストレーションを見ることができたらしい。
ちょっとショックだったのが、銃(ピストルみたいなものではなく大きめだった)を持った人が集団でうろうろしているというところだった。目の前であんなにあからさまに銃を持ったひとを大勢見たのは生まれて初めてだし、家の近所にこういう人たちがいるんだなあなどと思った。改めて、自衛隊って軍隊なんだなあと実感した。そう、自衛隊は軍隊なのだ。
表向き、平和憲法のある日本は軍備を放棄しており、日本には軍隊はないことになっている。だから、軍事訓練とは言わずに「装備品展示」と言っている。兵器とは言えないのだ。
だが、どうみてもあの人たちは軍人だし、目の前にあるのは兵器である。例えて言うならば、拳銃を持っていて「私がこれを発砲することはないので、これはピストルではありませんよ」と言っているみたいなものである。でも、撃つつもりはなくても、ピストルはピストルだ。自衛のためだと言ってもやはり軍隊は軍隊なのだ。
合理的に考えれば選択肢は2つしかない。軍備をすべて放棄するか、憲法を変えて軍隊を認めるかの二択である。中国や北朝鮮が「はいそうですか」といって軍備をすべて放棄してくれれば、ややこしい話をしなくてもいいのだが、そうはいかないわけで、すると憲法改正しかないよなあと思える。「あれ、僕って第九条改正派なのか」と思う。こう言うと「あいつは戦争をしたがっている」ということになるわけだから、ややこしいことこの上ない。
憲法改正がこの1項目だけだったら「まあ、仕方がないかな」ということになると思うのだが、実際は憲法第九条は最後の砦ということになってしまっている。代わりにもっとやっかいな緊急事態条項などが「国民に受け入れられやすい」と思われている。どこか倒錯している。
ちょっと不安に思ったのは訓練の内容だった。実際に見ることができなかったのでYouTubeで見たのだが、どうも敵が偵察機を送り込んでから航空機で攻撃するというのが前提になっているようだ。これだと少し時間がある。自衛隊は自律的に動ける軍隊ではない(建前上は文民に統制されていることになっているし、現実的には米軍の指揮下にあるのだろう)ので、北朝鮮の狂った将軍様が突発的に何かを「ぶっ放した」ら対応できそうにない。
さて、日本には国防の原則と呼ばれるものがあるそうである。
- 国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
- 民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
- 国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
- 外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
いちおう、国連(連合国)中心の秩序を作ることが最終ゴールだが、途中経過なのでアメリカと集団安全保障体制を取るということになっているようだ。建前としては、ほとんどの国が国連加盟国になっており、戦争は違法だ。だから戦争はないはずなのだが、建前通りには行かない。今でも「戦争は国連によって完全に防がれている」はずである。この近隣では台湾(実際には原加盟国なのだが共産党政権に取って代わられてしまった)くらいしか非連合国はないが、台湾が国連加盟国に攻撃を仕掛けたという話は聞かない。代わりに北朝鮮(こちらは国連加盟国だ)が怪しい動きを見せている。
だが、戦争はなくとも「自衛による武力行使」は至る所で行われている。すでに「国連中心」という理念は破綻していると言ってよいのだが、建前を変える訳にはいかないのだろう。
この中で気になるのは「愛国心を高揚し」の部分だ。そもそも「愛国心」とはしみじみとわき上がってくるもので、感情的に高揚させるべきものではない気がする。愛国心を高揚するために、具体的にどんな活動をしているのだろうか。政治家の言動を見ていると、逆に愛国心をしぼませることばかりしているように見える。
日の丸も主権者である国民を象徴しているのだと思えればいいのだが、どうも国民は日の丸に従うべきだなどと考えている人も多いのではないだろうか。押し付ければ嫌がられるのは当たり前で、却って国防の精神にそぐわないのではと思った。
いずれにせよ「愛国心」はしぼみ、国民は分断されている。その結果、無理のある憲法第九条が残ってしまっているのである。そのように考えると、無茶な憲法案を掲げる人たちが、最大の護憲活動をしているのではないかと思う。