この記事はいつものようなニュースまとめではなく個人的な印象をまとめた簡単なスケッチのようなものである。内容は「現在の行き詰まり感がソ連の崩壊期に似ている」というものだが、特に何かの裏打ちがあるわけではない。
「行き詰まっている」ことを前提とした文章だが、とうぜん年末ののんびりとした状況に「行き詰まりなど感じない」という人も多いだろうと思う。いつもの年よりボーナスが多かったという人も多いのではないだろうか。「大手企業 冬のボーナス 平均支給額 4年ぶり90万円台に 経団連」というニュースもある。
特に結論はないのでニュースを短時間でまとめたいという人には向かない内容となっていることをあらかじめお伝えしておきたい。
築地移転問題や万博問題で有名な建築の専門家がXで住宅産業の問題についてつぶやいていた。内容を正確に把握できているとは思わないがざっくりと次のような意味だと読み取った。
大企業は高価格住宅に傾斜している。規格化・工業化が進んだこともあり「大工」の担い手が減っているようだ。このまま高金利化が進展すると高価な住宅が売れなくなり、小規模で大工さんが建てるような住宅は作れなくなるのではないか。
反応する人たちのなかには「修繕なども難しくなるのか」と指摘する人がいた。市場がなんらかのミスマッチを起こしているようだがなぜそんなことが起きたのかはよくわからない。
非当事者としては全く別のことが気になった。なぜかこの市場のミスマッチがソ連の末期と似ている。計画経済社会主義のソ連と資本主義の日本では全く状況が違うはずなのになぜ似ているのだろうと不思議に感じた。
コルナイ・ヤノーシュという人がソ連末期の状況をまとめている。原因は「ソフトな予算制約」であると説明されることが多い。
国家によって支えられた国営企業には倒産の心配がない。すると企業はイノベーションが起こせなくなり(つまり新製品が作れなくなる)従業員への投資もやめてしまう。倒産の恐怖がないので未来に投資するつもりになれないのだ。
結果として日用品の不足が顕在化する。内閣府のウェブサイトにまとめがある、関係がある部分を抜粋するが、要するに計画経済が破綻し市場機能が失われている状態で独立採算制を入れたことで状況が混乱した。生産設備は潤沢にあるのだが物資不足が起きた。
ソ連では88年頃から物不足が叫ばれるようになり,石鹸,洗剤,カミソリ刃,鉛筆,ノート等の日用品・学用品や肉製品,乳製品,砂糖,コーヒー等の基礎食料品,といった日常生活に不可欠の商品の不足が顕著となり,テレビ,ラジオ,冷蔵庫,洗濯機,電気掃除機,自動車等の贅沢品とされる耐久消費財は非常に入手が困難となっている。90年夏には,これまで一応は供給が確保されてきたパン,タバコまでが不足した(他方では,収穫に人手が足りないほど農産物の予想外の豊作が伝えられている)。また,消費財・食料品全般にインフレが生じている。この要因としては,企業が88年1月から独立採算制となり,安易に利益を上げるために,利幅の薄い消費財の生産を止めたり,従来の商品を少し変えただけで新製品として価格を上げたりしたことから,生産量は増えないままに価格が上昇したということが挙げられよう。また,物不足は次に述べるような流通システムの不備によるところも大きい。さらに,共和国の経済主権の高まりにより,これまで中央指令の下で配分されていた国内の物流に滞りが生じていることも影響している。すなわち,生産は十分行われているにもかかわらず,生産物が消費者に必要十分な量だけ行きわたらず,物不足と過剰在庫が併存する上うな状況が生じている。加えて,生産者が高値で売れる自由市場やヤミ市場へ商品を出荷したために,国営商店の品不足に拍車を掛けることとなったことも要因として挙げられる。
これを補正するためにソ連はペレストロイカを行い経済をますます自由化した。自由化が足りないと考えたのだ。だがこれは単に経済をますます混乱させただけだった。結果的に「漸進改革」は失敗しソ連は崩壊してしまった。
もちろん日本でこれとまったく全く同じことが起きているわけではない。だが、似たようなことは起きている。
国内の家電メーカーがなくなってしまったのもその事例だろう。企業はあまり儲からない個人向けの家電事業を切り離し法人向けの事業に転換した。このため日本から家電メーカーが消え中国や台湾に売り渡されている。イノベーションが起こせなくなった企業は高収益事業を展開するが国内市場でそれを買うことができる人はいない。企業は利幅の薄い消費財の生産を止めて」しまったがこれは市場のニーズを無視したものだった。
家電の場合は海外から輸入することができる。だから物資不足は起きていない。また市場も外資のAmazonが代替している。だから状況が混乱することはなかった。日本企業は相変わらず不効率だが中国、台湾、アメリカの企業が製造と物流で代替的な役割を担っている。日本はそれを消費するだけの国になってしまった。
住宅はそうはいかない。「大工」を海外から連れてくることはできないからである。住宅の場合はこれが第二段階に入っている。民間は高価な家を買えなくなっている。ではどうするか。政府が主導してプロジェクトを立てればいい。その顕著な例が大阪・関西万博である。
大阪・関西万博は資材需要を釣り上げただけでなく建設従事者不足に拍車をかけた。維新は「新自由主義」政党と言われることがあるのだが「経済政策」という意味では自民党の亜流政党に過ぎない。だから失敗する。
ただし方向性は真逆だ。ソ連は計画経済が破綻し自由経済を混合したことで破綻した。日本は市場経済が破綻しつつあり計画経済を混ぜようとしたことで混乱しているということになる。結果は混合経済だがベクトルが違う。
かなり雑な分析なので論理には穴もあるはずなのだが、これでスルスルと状況が整理できてしまう。
なぜ需要と供給のミスマッチが起きるのか。企業はできるだけ「効率的に」売り上げを上げたい。このためには大きくて・単純で・高価なものを作ればいい。だが市場が欲しがるのは細かいニーズにあった製品やサービスである。そもそも生産性が落ちている上にミスマッチが起きるため市場はますます不効率になってしまう。
ダイハツ問題もこれで説明がついてしまう。トヨタグループが売りたい車は当然付加価値が高い先進的な車である。だがユーザーが求めているのは「地方の普段の足」だ。トヨタグループはダイハツに投資しない。生産現場は消耗し士気の低下から不正な検査が行われることになる。問題は管理職の能力でも現場のやる気でもない。需要と供給のミスマッチである。
結局、この問題は生産制約となりディーラーを苦しめている。生産は効率化できるが販売には人の手が必要だ。特に主婦やお年寄りなどは「何かあった時に相談できる体制」が重要だが、今回の件で市場に大きなダメージが出るかもしれない。市場の不効率を規制強化で解決することはできない。
こうしたミスマッチはスーパーやコンビニでも見ることができる。特にコンビニは「計画経済化」が進んでいる。
クリスマスに大量のケーキが売れ残った。半額で売られることもあるそうだが中には廃棄されるものもある。中には半額になるのを待って買う人もいるそうだ。企業の側から見れば「クリスマスにはケーキを食べなければならない」から「ケーキをたくさん作る」ことになる。これが終われば今度は恵方巻きが始まり次はバレンタインである。
なぜか菓子パンやお菓子が売れなくなっておりこの時期に売り上げを確保しなければならない。さまざまなメーカーがこぞってクリスマスケーキを作るのでクリスマスケーキは供給過多を起こす。それではもったいないので一部のメーカーは予約販売をして「ますます計画的に」ケーキを作ろうとする。だが消費者はおそらく「ケーキを気軽に食べたい」だけだ。
今年は特に小麦粉の価格が値上がりした。消費者は高い価格でパンを買うことがなくなった。だがメーカーとしてはできるだけ価格の高い「付加価値のある」パンが作りたい。もちろんパンそのものに需要がないわけではない。スーパーが見切り品の売り場を作るとそこに人が殺到する。最終的には見切り品しか売れなくなるので(消費者がいずれ安くなることを学習する)割引率を20%程度に抑える。すると「なんだ前ほど安くならないのか」と消費者は見切り品コーナーを素通りすることになる。市場が復興率化しインフレが起きると企業は高付加価値化を求め製品価格を釣り上げる。すると消費者はそもそも物を買わなくなる。企業が計画経済を志向すればするほどユーザーは離反する。
市場機能が失われることで「品物はたくさんあるのに適正価格で消費者に届かない」ということが起きているとまとめることができる。
では、これを補正するためにはどうすればいいのか。
大阪・関西万博のような国家主導の計画経済の一部導入が愚策であることはわかる。これまでは概念的に予測するしかなかったが、今は具体的な失敗事例が展開中だ。もはや説明の必要はないだろう。政府の計画は常にニーズを無視した杜撰なものになる。万博には多くの人が訪れなければならないと政府は考えるだろうが、万博へゆけと命令することはできない。国家は直接的には需要を作れない。さらに供給も逼迫している。ただでさえ壊れそうな供給網に重たいプロジェクトを載せているため資材価格や人件費が高騰する。メーカーは既にプレハブ化が進んでいるので、それにあわせて万博もプレハブでということになった。十数億円の無駄が出るのではないかと一部メディアは指摘している。
市場は失敗しつつある。これを補うために国家予算を増やして経済を救済すべきだと与野党共に言っている。おそらくソ連にも「路線対立」はあったのだろう。だが、それは現在の基準から見れば「たいして差がない」やり方の問題の違いにすぎなかった。日本の政治も同じような状況に陥っているのかもしれないと思う。共産党内部の派閥争いのような物を「とても大きな違い」と感じてしまうのだ。
こうした停滞感・閉塞感を背景にして、最近やたらと「グレートリセット」とか「全部やり直しだ」という声を聞くことが増えた。もうどこをどう改善していいかわからないから「ソ連解体のような」何かがおきてくれないかと望む人も増えているのではないかと思う。ただ興味深いことに誰も自分が革命家になると宣言する人はいない。なんとなく空から何かが降ってきて解体が進むことに期待を寄せているようにみえる。もちろん「なんとなく目の前の仕事には意味を見出せないがこのままでもいいんじゃないのか」と思っている人たちも大勢いることだろう。あくまでも今回のスケッチは印象論なので人によって印象はかなり異なっているはずだ。