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「とにかく全てやる気のない現場のせい」 ダイハツ不正問題処理から見える日本人が働く意味を見出せなくなった理由

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おそらく誰が悪いというわけではないのだろう。だが、ダイハツの不正問題の処理をみていると「日本人が労働意欲を持てなくなった理由がわかる」と感じる。

当初トヨタの子会社ガバナンスの問題として報道されていた問題が全て「ダイハツの現場がやった」ことになってしまった。報道があったのは5月だったがニュースが多く年忘れ感のある12月まで発表が引き延ばされた。その間情報は一切外には出ず今になって部品の納入先やディーラーが大騒ぎになっている。さらにダイハツの退廃した企業風土がなぜ生まれたのかという分析はされないままだ。

ジャニーズの失敗を踏まえるとメディア広報としては100点満点の対応だった。だが「本当にこれでよかったのだろうか?」とも感じる。経営陣とメディアの間に共存共栄関係ができており本尊を守る大本営化している現状はモチベーションの低下を通じて日本の労働生産性を下げているように感じる。残るのは倦怠感と諦めだけだ。

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日本の労働生産性がOECD38か国中30位になった。ポルトガルと並んでいるそうだ。日経新聞はコロナからの回復が遅れているだけで本来の姿ではないと分析するが、テレビ朝日は先進国から脱落しかけていると分析する。同じニュースだが分析内容がまるで違う。共同通信はOECD加盟国の中では高学歴だがそれを生かしきれていないと分析している。人はいる。だが活かしきれていない。

労働生産性が上がらない理由は様々議論されている。だが「これ」と言った分析はない。失われた30年をかけて徐々に積み重なっていった労働環境にみんなが慣れてしまった。

高学歴なのに人材もいない。「日本の製造現場で人材不足が続いている」とする記事を見つけた。コストカットを突き詰めた結果「時短」のプレッシャーにさらされ人材育成に時間が割けなくなったと分析している。製造業の現場は口々に人が足りないというが誰も育てようとしないのだという。

ではなぜ人は大学にゆくのか? そこに答えはない。

かつて製造業立国といわれた日本だが多分「何か」が進行しているのだろう。だがそれが何なのかはよくわからない。様々なニュースが流れてゆくが、目の前にある自分達の暮らしともリンクしない。そんな記事を踏まえた上でダイハツの問題を見てゆきたい。

まずメディアの総括に違和感を感じる。ダイハツのレポートをコピペした内容で独自の分析がない。メディアの総括は次のようになる。NHKを引用したがどこも似たような分析をしている。

我が社の不正は思ったより根深かった。不正は全車種に及び不正の数は174件になる。全ては現場が起こしたことで1989年から続いていた。現場が全てやっていて管理職は見抜けなかった。でもそれでは済まされない。全て悪いのはそれを見抜けなかった経営幹部である。どうもごめんなさい。

この内容を見ると「ああやる気のない現場だったのか」と感じる。ただ経営陣は潔く謝っている。なかなか温情的な会社ではないかと感じる。さらに豊田章男氏に直接インタビューをしたという記事もある。豊田さんはかなり怒っているようだが再発防止に意欲的なのだと伝わっている。立派なリーダーだ。

ところがこの問題が発覚した5月のメディアの論調は全く違っていた。ゴールデンウィークの社説で朝日新聞が「トヨタの子会社に不正が蔓延しているようだ」と書いている。この時に発覚した不正は4件だった。日経ビジネスは「トヨタ経営陣が根深さにおののいている」と書いている。

実はこの問題は当初はトヨタ問題と認識されていた。このままではジャニーズ問題のようにトップの責任問題になりかねないと感じたのだろう。広報戦略に工夫を凝らし、話題が多く「来年に持ち越さない」タイミングでの発表に踏み切ったのではないか。

問題のいったんは経営者と現場の乖離にあったこともわかっているが、これも十分に分析されないままだった。

今回のダイハツの現場環境は週刊誌などのレベルでは報道されおり一部のメジャーなメディアも報道を始めた。内部通報で見つかった問題だったが内部通報は無視された。管理職に相談しても現場でなんとかしろといわれるばかりだった。さらに1992年以来の社長は大半はトヨタから送り込まれており、現場と管理職が乖離していたなどと伝える記事もある。

トヨタのもともとの強みは従業員やパーツなどの納入する業者にオーナーシップを持たせて品質改善と効率化を両立させるというものだった。1980年代・1990年代にはアメリカがこれを逆輸入したほどの成功事例だった。労働組合と経営者が対立しがちなアメリカと違って日本には経営者と労働者の協力関係がある。この秘密を解き明かせば日本企業のように優れた製品を作ることができるだろうと彼らは考えたのだ。アメリカの経営修士課程ではケーススタディが盛んに行われ日本企業の事例研究が行われていた。日本研究は大人気のテーマだった。

だがそれはもはや過去のものだ。今やかつての日本の姿を記憶している人はいない。

そんななかでそれぞれの仕事も次第に形骸化していった。検査工程の日程には余裕がなく不安があっても「検査をやり直させてくれ」とは言えない。ダイハツの経営者はおそらくダイハツのトップというよりは親会社トヨタの中間管理職のような意識だったのだろう。現場の権限はなくなりそのうち「いわれたことだけやっていればいいいや」という雰囲気が生まれた可能性が高い。無力感とやる気のなさは表裏一体で「どちらか一方が悪い」わけではない。

冒頭で「時短」のせいで人材育成ができなくなっているという記事を紹介した。だが「時間がない」はおそらく分析にはなっていない。単なる言い訳である。本当の問題は現場が自分で考えた結果必要なリソース(時間、人、お金)を経営陣に対して要求できなくなっている点にある。要求というとかなりきつく聞こえるかもしれないが、従業員と経営者はかつては家族のような関係であり、これが日本の製造業の強みだった。つまり言いたいことを言い合える環境が30年程度の時間をかけて徐々に崩れていってしまったのである。

日経新聞は生産性のランクが下がったのは「コロナからの回復が遅れているだけ」だと言っている。おそらくこの状況に徐々に慣れてきた経営管理職の認識はそんなものなのだろう。とりあえず「今のやり方は何かおかしいのではないか?」というところから始めないと問題解決に辿り着くことは出来ないのではないかと思う。

今回のダイハツの広報対応を見る限りトヨタの人たちが恐れたのはあるべき姿への回帰ではなくこの問題でトヨタというご本尊が社会的非難を浴びることだったのではないかと思う。また補償がしっかりしていないという批判を回避するためにすぐさま補償についても発表した。ジャニーズ問題の炎上を見ると広報としては非常に練りこまれている。経営者の責任を回避しつつ、補償と今後の対応についてはきっちりと提案をしている。

だがやはり違和感は残る。販売店やサプライヤーに影響が及ぶことがわかっていながら情報を出すタイミングを伺っていたのではないかと思う。時間はあったが対策は進まなかった。サプライヤーとダイハツファンは無視された。

最も気になるのは大本営のようなかばいあいである。業界からの情報で成り立っている関係媒体が「トヨタは悪くない」ことを強調する記事を出している。トヨタは間違いがあった時には素直に認める会社であるとむしろ称賛しこれを理解しなかったダイハツ側に責任があるとまとめた上で豊田章男氏に今後の対応を聞いている。改革の旗手であり間違った方向に進んだダイハツを善導する良い指導者だというわけだ。

おそらく豊田章男氏がというよりその周りにいる人たちが「大本営」を作っていてご本尊を守ろうとしている。その上でダイハツの社長に「悪いのは全て私でございます」といわせている。

しかし社長は「多分今後もダイハツの車に乗っても大丈夫だと思いますよ」などとどこか他人事のようにコメントしている。さらに奥平社長は即時退任は否定し今後の処遇については言及を避けている。

日本が再び製造業で成功したいのならば、まずは「あれこのかばいあいの状況は何かおかしいのではないか」と考えるところから再出発すべきだろうが、その兆候は見られない。なんとなく現場が暴走したということにして経営陣が(退陣するわけではないが)責任を取りますということで幕引きを図ろうとしている。

日本の労働生産性は下がりつづけ、高学歴も生かせず、モチベーションも上がらない。だが、日本の企業はそもそもその現実を見つめたがらない。

今すぐ何かができるというわけでもないのだろうが「あれ、これって何か変なのではないか」というところから再出発すべきではないかと感じる。情けないことではあるが、かばいあい体質と諦めが蔓延する状況で今できる対策をと言われるとそれくらいしか思い浮かばない。

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