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バブル崩壊期に生じた矛盾が長期熟成し遂に爆発 ダイハツが新車の出荷を全面停止へ 

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ダイハツで何か不正があったようだというニュースを見た。どうやら「全車種が出荷停止になるらしい」と聞いてこれは大事だと思った。だが報道を読んでみても一体何が起きたのかよくわからない。

最も状況が良く伝えているのがFLASHだった。ああ、また週刊誌なのかと思った。最近はジャーナリズムよりも写真週刊誌のことがいい仕事をすることが多い。どうやら昭和的な企業慣行の崩壊によって起きた事件だと感じたのだがそれは間違っていた。ダイハツの創業は明治時代なのだという。ただしやはり直接の原因はバブル崩壊時期にあった。この頃経営と現場が分離した結果不正が始まったそうだ。だが、それはすぐには破裂せず長期熟成されて遂に爆発した。

国土交通省は21日にも立ち入り調査を行うとしている。単に安全な交通手段が欲しいと考えるユーザーを安心させるためにも、また明治時代に創業されたブランドと技術力を守るためにも是非自浄作用を働かせてほしいものだと願わざるを得ない。

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ダイハツで新車の出荷が停止になる。しかも一部ではなく全部である。だがロイターや共同通信の記事を読んでもよく事情がわからない。

要約すると「トヨタ経由での生産が増えたことで現場に負荷がかかった」と謝罪している。トヨタの側も「現場に負荷がかかっているとは知りませんでした」「ごめんなさい」という対応だ。なるほどという気はする。管理職は現場の実務についての知識がなかったそうだ。安全基準のようなものは当たり前に守られるものだと考えておりマネジメントの対象にはしていなかったのだろうか。よくわからないがそんな印象を持つ。

とにかく経営陣は平謝りである。トヨタの副社長までが「現場の状況に気が付けなかった」として平身低頭だ。だがこれでは全く内容がわからない。普通のユーザーの関心事は「私の車は大丈夫なんだろうか」なのだろうがおそらく経営陣が謝罪しても疑念は払拭されない。

中でも「あれ、これは変だなあ」と思うのは社長の態度だ。どうも自分の会社のことを謝っているように見えない。「私の印象では多分これまで通りに乗っていても大丈夫だと思う」というものであり当事者意識が感じられないのだ。

一体何が起きたのかが最もよくわかるのがFLASHの「「はよ潰れろ」ダイハツ工業の不正問題「『できない』が言えない」「内部通報の犯人探し」報告書に記された衝撃の“ブラックすぎる”職場」だった。扇情的なタイトルで一瞬ページビュー稼ぎなのかと思うのだが、実はちゃんとしたことも書いている。

まずダイハツには「できないとは言わない」という企業風土があった。相談しても「自分で考えろ」と言われるだけで相談にならないそうだ。内部通報制度もあったが「管理職に連絡がゆくだけで通報者の犯人探しが始まるだけ」なのだそうだ。FLASHはここで考察を止めており、SNSでは非難殺到だと終わっている。まあFLASHは東洋経済ではないのでこれ以上のことは書けないのだろうし、書いてもターゲットの読者には伝わらないのかもしれない。

他の記事を合わせて読むとこの「管理職」のニュアンスが一般常識と違っていることがわかる。どうも管理職はトヨタから来るらしい。

ダイハツという名前の通り大阪発祥の発動機(エンジン)会社だ。設立したのは工業学校(現在は大阪大学)の研究者である。1907年創業と非常に歴史が古い。今回「昭和的な企業風土の崩壊」と書こうとしたが実は創業は明治時代だった。戦前にオート三輪の需要によって成功し戦後のミゼットに引き継がれた。当初はエンジニアベースの技術会社だったことがわかる。

トヨタとの関係は急速なものではなく徐々に進んでいった。完全子会社化されたのは2016年だったそうだ。トヨタは「ダイハツブランドはなくさない」としていた。

報道には矛盾すると思える点が多々ある。まず最初の不正が確認されたのは34年前だそうだ。つまりトヨタとの経営統合が徐々に進んだように不正も徐々に蔓延したことになる。一方でトヨタのプレッシャーが原因になったと報道する記事も多い。つまり近年になって起きたような印象が残る。

印象の矛盾を解消するのが次の表現である。経営統合が進むにつれてトヨタから経営者が天下るようになっていたようだ。これが始まった時期と不正が始まった時期が大体一致する。読売新聞は次のように書いている。

1992年以降、ダイハツの社長は奥平氏も含めてトヨタ出身者が大半を占めている。トヨタの中嶋裕樹副社長は20日の記者会見で、「(トヨタへの)供給が増えたことが、現場の負担になっていたと認識できず、反省している」と述べた。トヨタは、自社の業績への影響については軽微だとしている。

もともと技術者中心に作られた会社であり、戦後も一貫して技術力で生き残ってきた会社だ。決してその技術は最先端のものではなかったのかもしれないのだが軽自動車は今でも地方を中心に根強い需要がある。だが誇り高い技術者たちは経営のトップには立てなくなった。「管理職」は他の会社から来る。そこで現場には「管理職(雲の上からやってくるトヨタの人たち)に逆らっても仕方がない」から「言われたことだけやっていればいいや」ということになったのかもしれない。その矛盾が失われた30年の間に熟成し最後に爆発した。となるとこの諦めを払拭しない限り抜本的な改革はできないだろう。

ダイハツの持っている明治以来の技術者中心文化とトヨタが持っているカンバン方式に代表される効率化・環境などの先端技術・マーケティング力・世界的な販売網などを組みあわせれば理想的な小型車が作られるように思える。だが教科書通りのシナジーは起きなかった。代わりに起きたのは管理職と現場の乖離だ。結果として、これまで培ってきた技術者中心の文化は失われ中間管理職化した上司たちが現場の指摘に対して「犯人探し」をするだけの会社になってしまった。さらに「できないを言わずに頑張ってみよう」という風土も「管理職が無理を言ってもノーと言えない」企業風土に変質してしまったようである。

今回の件で最も驚いているのはユーザーと工場の人たちのようだ。軽自動車のユーザーは主婦のようにあまり車に関心がなく普段使いとして安全に乗れればいいと考える人が多いのではないかと思う。毎日新聞の記事によると「トヨタ系だから安全なのだろう」と思っていた人もいたようである。また大分県中津市にある工場もいきなり出荷停止を知らされて困惑しているそうだ。

国土交通省の立ち入りはこれからのようだが、マニュアルを作って管理を徹底しますでは問題は解決しないだろう。技術者たちにオーナーシップを持たせるような組織を作らない限り抜本的な解決は望めないのではないかと思う。

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