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始まる前から「終わった感」満載の大阪関西万博 関連支出は官民合わせて13.1兆円 赤字補填は議論せず

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国が支出する万博の総経費が出た。当初1兆円などと言われていたが見出しは1,647億円だった。なんだやっぱり野党が大袈裟に騒いでいただけか……などと思ったのだが、どうやらそうではないようだ。8,390億円のインフラ整備費用などが除かれているそうだ。

しかしそれよりもさらに驚くのが「関連費用」だ。国や自治体、民間などのインフラ整備事業などで約9兆7千億円、「空飛ぶクルマ」など万博で計画されている実証事業に約3兆4千億円になると報じられている。関連で13.1兆円ということになりこの話に群がる人の多さを感じさせる。期待する人は多いが責任を取りたい人は誰もいない、「赤字の時に誰が責任を取るか」が決まっていないのだという。もろもろの話を総合すると「日本終わった」という感じがする。

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時事通信が「【速報】2025年大阪・関西万博を巡り、会場建設費や「日本館」整備費などに必要な国費負担の総額が1647億円に上ることが分かった」という記事を出している。総経費が1兆になるという野党指摘もあったので「なんだ大袈裟だったんだな」と感じた。だがこれは見出しのための見出しだったようだ。

毎日新聞は直接関係するインフラ経費が含まれていないと書いている。8,390億円は「別だて」になっているそうだ。

なんだやっぱり隠していたのかと感じたが、これはもはや政権政党の常套手段と言ってよく特段驚くに値しない。

最後にもっと驚いたのが共同通信の記事だった。総経費を含めると官民合わせて13.1兆円規模の巨大プロジェクトになるそうだ。間違えないようにコピーペーストして何度も確かめたがやはりそう書いている。「乗っかりたい人」が多いのだなと感じた。

関連費用の全体像も試算した。国や自治体、民間などのインフラ整備事業などで約9兆7千億円、「空飛ぶクルマ」など万博で計画されている実証事業に約3兆4千億円とした。

未来に投資するのだからこれはいいことなのではないかという反論が予想される。それは確かにその通りなのかもしれない。だが「空飛ぶ車」にどれくらいのニーズがあるのかを考えると「それはさすがに……」という気がする。

日本企業にお金はあるが思い切った先行投資ができなくなっていることがわかる。国内市場が縮小している上に賃金も上がらないため、かつてのように国内で事業を立ち上げてから海外進出するというモデルが成り立たなくなっているのだろう。ある程度国内市場で経験を積んでから外に出れば似たような需要は掴めるがそれを予め国で選ぶことはできない。とはいえ次世代事業への投資は必要だと考えられているのだろう。「国家事業」にはリスクが少ないと考えそこに重点投資してしまうのである。

「みんなで渡れば怖くない」のだろうがあまりかしこい賭け方ではない。

国家主導経済の破綻の例としてよく引き合いに出されるのがソ連の事例だ。計画経済の元でイノベーション意欲が失われていった。そこに市場経済が導入されたが、既にイノベーションの能力を失っていたソ連企業は計画的に高価格品ばかりを供給するようになる。日用品が不足し企業収益も悪化した結果ソ連は崩壊してしまった。経済学者コルナイが「ソフトな予算制約」問題として定式化し有名になった逸話だ。

この問題はもともと「大阪湾の埋立地を高く売るためには」というところからスタートしている。自然に需要を作り出すことができず公共事業が正当化できないためカジノや万博という「昭和時代の夢」を持ってきて開発事業を正当化することにした。公主導で無理に需要を作ろうとしたのである。

このため無理が重なっている。その一つが輸送問題だ。そもそもそんなに来場者数が増えるかどうかはわからない。だが事業計画上はこれくらいの人が来なければならないことになっている。そして、結果としてできたのが45秒に1本のバスを走らせるという荒唐無稽の計画だ。責任を取りたくない人たちが群がるとこういう計画ができる。

さらに関西のテレビでは盛んに赤字問題が語られているそうだ。国と大阪府市側が「赤字の補填はやらない」とお互いに責任を押し付けあっており万博運営側は「赤字が出ないように頑張る」と言っている。

誰もが責任を取らず、そこに「国の事業だから大丈夫だろう」と考える企業が群がり需要があるかどうかもよくわからない事業に投資するという図式が生まれている。無理なイベントが問題という以上に「お金は余っているが次の事業が見つけられない」という点の方がよほど深刻なのかもしれない。「昭和の終わったもの」がまるでタールボールのようにベタベタに積み重なり誰にも止められなくなっている。あとは大阪湾に沈んでくれることを祈るばかりである。

そもそもなぜ日本人は「次」を見つけられなくなってしまったのか。この裏側では官僚と学術の側に深刻な意識の乖離が生まれている。

日本の大学の国際競争力は落ちている。このため国は国際卓越研究大学構想を立ち上げた。10兆円のファンドを作りその利子で国際卓越研究大学を支援するという計画だがファンドは赤字を出している。国のファンドを入れるのだから文部科学大臣が認定した経営者が必要ということになった。だが、いつのまにかそれが他大学も文部省の支配を受けるべきだとして対象が拡大した。大学側は「学問の自由を損なう」として大反発している。

ただこの問題は「どっちもどっち」なところがある。結果的に研究者たちは日本の企業や大学に魅力を感じることができなくなり、国を上げて科学技術振興を目指す中国や活発なコミュニティを持つアメリカ合衆国に多くの研究者や学生が流れている。日本の野球がメジャーリーグの育成機関になってしまったのと同じようなことが学術の世界でも起き始めているということだ。日本は「次」を育てることができる国ではなくなりつつあり、政治はその手助けをしているに過ぎない。

「昭和の終わったもの」を脇に見つつ、優秀な人たちは海外を目指す。

大阪関西万博を見ていると、リスクを取りたくない企業や赤字の責任を負いたくない政府・大阪府市というような「責任を取りたくない大人」の姿ばかりが見えてくる。自見英子担当大臣は完成すれば世界最大級となる木造建築を「間近で見ると迫力があり、日本の美もある。万博の理念のシンボルになると確信した」と評したそうだが、実際に見えてくるのは「美しくない日本の姿」ばかりだ。

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