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「パーティー券裏金疑惑」がなぜ大騒ぎになっているのかがよくわからない 原因はリクルート事件の記憶、優柔不断な岸田総理、そして新しい物語の不在

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連日、パーティー券裏金疑惑でマスコミは大賑わいだ。だが、注意してSNSを見ていると「どうしてこれほどの大騒ぎになっているのかがよくわからない」という声をよく耳にする。「ああそうなのか」と思った。特に平成・令和の人たちには「よくわからない」と考える人が少なくないようだ。

岸田総理がパニックに落ちっていることは確かなようだ。人事構想の錯綜ぶりからそれがよくわかる。安倍派を全部切り捨てるのだという報道が出たかと思えば数時間で情報が変わったりしている。

今回はまず「どうしてこの問題が大騒ぎになっているのか」について考える。原因はリクルート事件の記憶と岸田総理の優柔不断さだ。だがさらに深掘りしてゆくと「物語の不在」という別の要素があると気がつく。平たい言葉で言うと「政治が夢を与えられていない」ということだ。政治は具体的な問題解決を目指すべきだと個人的には思うのだが、現実には大きな物語なしに社会をまとめるのは難しいのかもしれない。

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今回の騒ぎがわかりにくい第一の原因はリクルート事件の記憶にある。昭和世代には馴染みのある政治事件だが、平成・令和世代の人たちからみれば全く記憶がない「歴史上の出来事」に過ぎない。

リクルート事件は消費税が導入される時期に起きた事件だった。政治家は「問題は解決しました」と主張するのだが、後から次々と新しい事実が出てきて収拾がつかなくなった。国民はリクルート事件そのものというよりその後の政治的処理に不信感を持つようになる。結局、この事件をきっかけにして自民党が単独で政権を維持することはなくなってしまった。

この事件は後に政治利用されることになる。左派を排除して派閥同士を二大政党制に改組しようという動きに取って代わられてしまうのだ。保守派閥の政党化という政治的意図に絡め取られいったといえる。この時に政党助成金を入れて派閥の機能を無くそうとしたが企業献金とパーティーは廃止できなかった。さらにこの時に派閥を政党化しようとした人たちもその野望を成し遂げることはできなかった。

総括のないままに場当たり的な改革が進んだことで結果的に「政治と金の問題はとにかく良くない」という漠然とした印象が残った。これは統一教会と同じである。こちらも「よくない宗教団体だ」という漠然としたイメージがある。だが、平成・令和世代は昭和の統一教会関連の事件を知らないためこのイメージに共感できないかもしれない。

今回の騒ぎがわかりにくい二番目の理由はおそらく安倍総理に対する印象の違いだろう。平成・令和世代は安倍総理を改革者だと考える傾向が強い。台頭する中国に対抗するために憲法改正を成し遂げる強い政治的リーダーというイメージだ。さらに最終的には財務省に「屈服」してしまった民主党の「失敗」を踏まえて財務省から国民を守るというイメージもある。おそらくは下野した安倍総理が意図的に作り出してきた「物語」なのだろうが、長期政権を支えるには十分な強さを持っていた。

この物語を踏まえれば最終的な勝者は「国民の味方」の安倍派や高市早苗氏などでなければならない、だが、実際に起きている絵はこれとは全く異なる。まるで廃棄物のように安倍派全体が排除されようとしている。テレビドラマでいえばなんの説明もなく最後には勝利すると思われていた主人公がボコボコにやられ続けているようにしか見えない。

以上2つの要素は「世代間の印象の違い」として説明ができる。どちらも「物語」であり実体のない空虚なイメージにすぎない。だがそれでも人々に認識に大きな影響を与える。安倍派が安倍総理の物語を継承できなかったのはおそらく実体がなかったからだろう。

最後の3つ目の要素は「新しい物語」のぐだぐださである。岸田総理は安倍総理の物語の一端は理解していた。それは「強さのアピールは国民にウケる」というものだ。だが岸田総理はシナリオの要素を無視して表面上のイメージだけを継承した。

安倍総理は「現役世代の負担を増やさないで改革者を成し遂げる」ことを強調していた。そのために利用したのが黒田日銀総裁だった。

だが岸田総理はこの物語を引き継げない。この二つを無理やり「防衛増税」という形で融合し少子化対策という社会保障の拡大にも接続してしまった。現役世代は強い日本の復活には期待する。だが、それが自分達の負担増につながるという絵は受け入れたくない。読みたかったお話とちがっている。面白くない。さらに「新しい資本主義」という新刊雑誌そのものに中身がない。書いてあることは毎回誰かの受け売りで、言っていることも二転三転している。

これは立憲民主党も同じである。彼らも新しい物語を提示できていない。そもそも全国に「書店」を展開できていないため「総選挙をやって政権交代を目指しましょう」といえない。枝野幸男氏は各論から理念への転換が必要だと訴えるが、その理念は野党の中でさえ共有されていない。

維新も「政治に無駄をなくす」とまではいえた。だが提示してきた物語は万博だった。昭和にヒットした物語の劣化版復刻小説である。新しいお話が書けるライターが不足しているのだ。

岸田総理のお話は毎回こうもぐだぐだなのだろうか。一番の原因は草稿段階で書き始めてしまうと言う点にある。プロットがしっかりしていないため後になって「あれ、なんだっけ?」となってしまうのだ。具体的に見てゆこう。

今回のパーティー券裏金疑惑は検察のマスコミに対するリークで始まっている。全容がわからない岸田総理はパニックを起こす。そこで相談に行った相手は麻生副総裁だ。そこで「この件は全て安倍派が悪いことにしてしまおう」ということになった。側近を通じて「安倍派の一斉粛清」という情報が出てしまった。「受け身」の対応に終始し、たくさんの人たちの話を聞き齧った後、狭い範囲で意思決定をするという姿勢が一貫している。

今回も岸田総理は「そうだ今は予算編成時期だ」と気がついたようだ、萩生田政調会長には既に「安倍派を切る」と宣言していたようだが、予算編成時期に萩生田氏を切ってしまうのはまずいと気がついた。さらに経済の要である西村経済産業大臣も切れない。

これがわかる記事がある。最初の記事では安倍派大臣の3人が交代になるらしいということになっていたのだが、後になって西村氏の名前が抜けている。おそらく今後も情報は錯綜するのだろうが、場当たり的に人事を決めてそれを周りにいる人たちが記者たちに発表しているようである。

これは党側も同じである。茂木幹事長が状況整理に苦慮していて「三役を一斉に変えることはない」と言っている。萩生田政調会長を今すぐに切れないということに気がついたようだ。

松野官房長官については殊更状況がおかしくなっている。まず更迭報道が出た。だがその後任人事が難航しているようだ。ここで信頼できる人を入れたいが岸田派から人を入れると安倍派の反発を買いかねない。結果的に松野氏は毎日記者会見をこなし続けている。内閣不信任案を出してしまうと通りかねない状況になっているため立憲民主党は松野氏の不信任決議案を提出した。維新が同調するそうだ。とはいえいずれやめてしまうことがわかっているのだからこの不信任決議にはパフォーマンス以上の意味はない。石破茂元幹事長が指摘するように「こんなに立派な人はいない」と擁護した次の日に更迭するともう何が何だかわからなくなってしまう。

石破茂元幹事長は「予算編成が終わったら退陣」という選択肢もあるのではないかなどと言い出した。逆に菅元総理は今下手に発言すると内閣が瓦解しかねないと気がついているようだ。動きが止まっている。

今回の派閥と金の問題はそもそも「昭和の印象」に大きな影響を受けており、平成・令和世代にはなんのことだかさっぱりわからない。なぜ裏金作りがいけないことなのかというまとまった説明もない。とにかく昭和世代の大人たちが騒いでいるという印象だろう。岸田総理は昭和のお話をまともに受けとってしまい、麻生副総裁という恐らくは間違った人に話を聞きにゆき、そのまま思い切った決断をしてしまった。だが、それはおそらく平成・令和世代が期待していたお話とは違っていた上に現在の政治スケジュール的にも無理がある決断だった。

総括なき印象論が政局を支配していて国民は完全に部外者になっている。だが、一番の問題は誰もこれに代わる「新しい物語」を提示できていないところなのかもしれない。

田中真紀子氏が国会に戻ってきて「政治がつまらなくなったせいで列島改造論が売れていますよ」などと主張していた。田中氏の表現を借りれば「みんな政治に飢えている」のだそうだ。前段では政治的物語は空虚なものだと書いたのだが、人は物語なしに生きてゆくことはできないと田中さんは考えているようだ。田中さんがいう「政治」とは夢すなわち「新しい物語」を提示することなのだ。

「どういうことかというと政治にみんなが飢えている。国民が。政治に期待できない。それは困る。私は政治はすごいものだと思って育ってきている。今もそう思っている。政治は一番チャレンジングで一番やりがいがある仕事だと思っている。現実を夢に近づけられるのは政治。夢を実現できる。それが政治でしょ」

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