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効果的利他主義 神輿を作っては壊すアメリカ人とそもそも神輿の担ぎかたを忘れてしまった日本人

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日米の政治の違いについて見ている。日本は成長から取り残されておりどんどん縮小する社会に入っているのだがアメリカの政治は成長の矛盾に直面し次のフェイズに直面しつつある。キーワードになっているのが合理的利他と効果的利他主義という考え方だ。

この問題はイズムに慣れていないに日本人にはわかりにくい。そこで、政治や社会を「神輿」と捉えると日本人にもわかりやすいことと気がついた。アメリカは常に神輿を作ったり壊したりしている。効果的利他主義は最新型の神輿だが問題点もわかってきている。一方の日本人は神輿の担ぎ方をわすれそうになっている。

当然神輿は1ミルも動かないのだから社会が成長することもない。

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アメリカ合衆国にはいくつかの国是がある。市民が国王に制限されることなくビジネスができる社会であるべきだという市民主導の考え方と国家に制限されることなくそれぞれの信条に合致した宗教を侵攻できるべきだという考え方である。今回取り上げるのは前者の考え方だ。市民と言ってもビジネスができる程度の資本を持った富裕層を意味している。だからアメリカの民主主義は資本(家)主義とほぼ等価ということになっている。

こうした考え方を便宜的に「功利主義」と表現することにする。功利主義は得てして他人を追い落としてでも自分の利益を追求するということになりがちである。域内に多数の労働者を抱えている必要があるのだが彼らにはアメリカの民主主義の恩恵は行き渡りにくい。労働者は資本家にならなければアメリカの自由を享受できないため、取り残された人たちはうんざりする。他人のお祭りをいつまでも見せつけられるだけになってしまうのだ。

これを埋め合わせるために「利他」という考え方が導入されている。アメリカはどこまでも「イズム」で動くのだ。

フランスのジャック・アタリは「共同体について考えて他利的に振る舞うことこそが合理的な選択である」として合理的他利という考え方を提唱する。これとは別に倫理学者のピーター・シンガーは他者に対して貢献するにしても「効果的なやり方を追求すべきである」として効果的利他という考え方を提唱した。 前者は利他的坑道こそが合理的だと言っており、後者は利他的行動を取るにしてもそれは効率的で合理的であるべきだと主張する。

格差が拡大し「今までのアメリカらしさ」が行き詰まる中でこうした「利他こそが賢いのだ」という考え方に共鳴する人が増えている。自分達の祭りは自分達で主催したいということだ。

特にこうした考え方は若い消費者たちの心を掴んでおり、社会に貢献する企業を応援するという考え方が生まれている。またテック業界でも利他や社会貢献について語る人が増えてきた。

この効果的利他の考え方が有名になったのがOpenAIの内紛である。背景には効果的利他主義者がいたと言われている。

政治の世界では従来の功利主義を代表する政党が共和党であり利他主義を代表する政党が民主党であった。つまりテックと政治は別の事象ではなく地続きになっている。

ところが最新型の神輿にも問題点が指摘されるようになってきた。現在、利他主義はさまざまな批判や限界に晒されている。

まず利他主義は社会主義の言い換えと見做される。共和党に支持者たちは民主党を極左とか社会主義だと批判する。社会主義は不効率で悪いものだという認識が根強い。つまり古い神輿に郷愁を覚える人も多い。

実際に効果的利他主義はあまり「効果的ではない」という現実がある。Twitter社は政治言論を統制する社会的責任があると考えた。ところがビジネスニーズを掴むことができず経営は悪化する。そこに目をつけたのがイーロン・マスク氏だった。

さらに利他主義者が持つ選民的な意識も攻撃対象になる。イーロン・マスク氏のTwitter買収の狙いは利己的なものだったのだろうが、表向きには「選ばれた」と称する人たちが言論を統制してもいいのか?と主張していた。つまり彼らを現在のカトリック教会のようにみなしたのである。

OpenAI社でも同じ議論が見られた。経営陣はOpenAIが十分に配慮した上でサービスをリリースすべきだと考えていた。つまり彼らもまた自分達の叡智が社会を教導すべきだと考えたのだ。だが結局彼らは将来の株のバリューに負けたようだ。こうして効果的利他主義は「札束」に負け続けている。

バイデン政権はコロナ対策でさまざまな補助金を駆使した。結果的に起きたのは強烈なインフレだった。インフレを抑制するためには強烈な利上げが必要になる。利上げはハードランディング(景気後退)のリスクをもたらした。現在はインフレ率が高止まりするのではないかと言われており、これまでのような穏やかな経済成長に戻れるかは未知数である。これは「バイデン政権は十分に効果的でなかった」ことを意味している。

さらに「バイデン政権と民主党があるべきアメリカの姿を規定する」ことに対する反発もある。この動きについてゆけない人たちから見ればバイデン政権は極めて選民主義的な政権であり、目覚めた人たち(Woke)と揶揄される。日本では意識高い系と訳されることもある。古い神輿(イズム)についてゆけない人や除外された人もいれば、新しい神輿(イズム)が理解できない人もいる。

日本人はもともと利他的である。例えばビジネスの領域には三方よしという考え方が根付いている。三方よしはビジネスを継続するためにはコミュニティへの配慮も必要であるという考え方だ。売り手が満足するだけではダメで買い手と社会を満足させなければならないという考え方が日本人に根付いている。このため、わざわざ「イズム」まで持ち出して功利主義と利他主義を結びつけるような考え方が理解できない。つまり神輿を作ったり壊したりする人たちが理解できないということになる。

では日本の方が良い社会なのか。仮に日本が古い神輿を新しい人たちにも担がせていればそう言えたかもしれない。だが神輿は長い間一部の人たちに独占されてきた。そのうち誰も神輿に興味を持たなくなった。では神輿を忘れた人たちはその後どうなったのか。

最近、これを感じさせる出来事があった。NHKが情報流出問題を起こした。あまりマスコミに注目されることはなかったのだが、高度経済成長期を知らない令和世代に社会の砂漠化が起きていることがわかる。「NHKの取材メモが外に流出した」問題においてマスコミは情報流出はメディアとしてはあってはならないことだとのみ事件を総括した。非常に表面的な総括だ。既存メディアは砂漠化したネットメディアの書き込みを真剣に捉えておらず、単に解決すべき社会問題だとしかみない。たとえばこれに派生した問題に「ホストの売掛問題」があるのだが、おそらく情報流出問題とセットで捉える人は誰もいないだろう。

平成後期から令和に育った人たちはそもそも社会が自分達を助けてくれるとは考えていない。「失われた30年」の間社会への関心は段階的に薄れてきておりそもそもどのように社会に関わっていいのかがわからなくなりつつあるようだ。彼らは神輿の存在をすっかり忘れてしまっている。

まず「そもそも社会に助けを求めることなど考えも及ばない」という女性たちがいる。彼女たちは自分の問題を言語化することもできないため他者に対して助けを求めることができない。むしろ愛は買えると考えてホストにハマる人もいる。これも社会問題化していて売掛問題なのど言われている。こうした困窮する女性を救おうとする団体も現れた。その中の一つにColaboがある。声を上げられない女性たちを助けるという名目の団体だったようだが経営には杜撰さも目立っていたと指摘されている。

さらに「声を上げる女性たち」に対して敵意を向ける人たちも出てきた。彼らもまた自分達の問題を自省したり他者に異議申し立てをすることができない言語化能力を持たない人たちだ。一方で「たんに女性である」だけで社会に優遇される女性たちが許せない。そこでネットで嫌がらせを始めた。よくあるサイレントマジョリティ的な反応である。

一種の祭りだが「神輿なき祭り」なのでどこに向かっているのかがよくわからない。

同じような構図は政治家女子48党にも見られた。もはや何がどうなっているのかもよくわからないが、こちらは今裁判で係争中なのだそうだ。政治家を運営する側も団体運営には稚拙さが目立つが攻撃する方の人たちも一体何を目的にして彼女たちを攻撃しているのかはよくわからない。にもかかわらず制度として政党助成金がもらえる。おそらく、話を聞き出そうとしても過去の経緯と人間関係のゴタゴタが延々と出てくるだけで話の要点が見えてこない。結局彼らが何をしているのかはもう誰にもわからない。

結果的にColaboは攻撃に耐えられなくなった。さらに深刻だったのは彼らが救済しようとしていたのが元々社会に期待をしていない女性たちだったという点だ。社会の注目はバッシングにつながるのだから助けを求めないという方向に流れてしまいColaboは公的資金援助を諦めてしまったようだ。

今回の情報流出はColaboを攻撃しているアカウント主に共鳴したものの直接面識がないNHK子会社と契約のある人が情報を提供したものと考えられているようだ。だが、提供を受けたアカウントは「これは壮大なトラップかもしれない」と警戒していたらしい。連帯と呼ぶにはあまりにもうっすらとした人間関係なので支援されている側の人も自分が支援されているのか攻撃されているのかがよくわからない状態だったと言えるだろう。

ただこれら一連の問題もメジャーな媒体が整理して伝えないためすべて「らしい」とか「ようだ」以上にならない。

非常にきつい言い方になるのだが、我々の社会が持っていた「社会」が消失しつつある。生物学的な「ヒト」が社会化を通じて「人間」になるとするならば彼らは動物化していることになる。ヒトは神輿なしには社会化した人間になれないともいえる。象徴的な結びつきなしには大きくなりすぎた群れは維持できない。

全体として運動が言語化されていないためNHKもマスコミもこの問題を総括できなかった。そこで「こうしたことはあってはならないことであり取材を受けた人に迷惑をかけた」ことのみを謝罪している。一方で社会を攻撃するサイレントマジョリティたちは「マスメディアがどのように情報を編集するのかがわかった」と全く別の捉え方をしている。

この問題が非常に深刻なのはNHKがこうした外部スタッフに支えられているという点にある。つまり社会は自分達のためにならないとうっすらと考える体制破壊のシンパを抱え込んでいる。思想調査をしようにもあまりにもうっすらとした運動体でしかないために選別のしようがない。

アメリカ合衆国は常に社会実験を繰り返している。もちろんこうした動きに取り残されて陰謀論に絡め取られてしまう人たちもいる。彼らは間違った神輿を担いでいる。だが、新しい考え方を理論化し社会全体で共有することができるコミュニティも出来上がっている。

一方の日本では社会意識の砂漠化が広がっている。うっすらとした敵意はあるのだろうが言語化しないためメディアに捕捉されることはない。おそらく当事者たちでさえ自分達の運動を意識できていないものと思われる。現在の日本にはうっすらとした敵意を拾い上げて運動として組織するモデレーション機能を持った場所はどこにも存在しない。社会は常に誰か他の人たちが構築するものであって、参加や運営に携わったことがある人は誰もいない状態だ。

政治をまつりごとと捉えると社会は「神輿」であるといえる。アメリカでは絶えず新しい神輿を作ったり壊したりしている。だが日本からはお神輿を担いだことがある人も作ったことがある人も消えつつある。当然、神輿は1ミリも動かない。そのうち一体それが何だったのかもわからなくなってしまうのかもしれない。

日本にはたとえば「三方よし」という歴史のテストに合格した神輿もある。だがこうした古き良き神輿はおそらくどこかの倉庫で誰に担がれるでもなく出番を待ち続けているのだろう。だが実際に出てきた神輿は大阪関西万博の「350億円の巨大な割り箸」だったりする。

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