ざっくり解説 時々深掘り

オスプレイの飛行差し止めについて初動に重大な食い違い 背景にある日米の文化差

Xで投稿をシェア

カテゴリー:

オスプレイの飛行差し止めについてようやく国防総省が情報共有を約束し当面の飛行の差し止めを表明した。この間、数日間ではあるが日米政府のコミュニケーションに不安を感じさせる情報の遅れが見られた。つねに遠慮がちな日本政府が米軍との間にコミュニケーションパスを確立していないということがわかった。また、米軍も日本のシビリアンコントロールに対して強い警戒心を持っているようだ。このように概観すると日米同盟が意外と脆弱な基盤の上にかろうじて成り立っていることがわかる。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






CNNによると国防総省の受け止めは次のようになる。情報共有を約束するとともに当面の飛行差し止めにも言及している。「まずは良かった」と言って良いのかもしれない。

  • 米国防総省のシン副報道官は同日、日本に配備されたV22オスプレイ全機を対象に整備と安全点検を行っていると説明。墜落機が所属していた部隊は、「現在飛行任務を行っていない」と述べた。
  • その上で、日本側と事故に関する情報共有を既に開始したと明らかにした。今後も時宜を得た透明性の高いやり方で情報を共有し続けるとも約束した。

背景に何があったのか。

まず、普段から日本の外務省がアメリカ側とうまくコミュニケーションが取れていないという事情があるのだろう。つまり彼らはやるべきことをやっていない。日米は対等なパートナーだと歴代の政権は強調してきた。だがそれは事実ではなかったということだ。

次に挙げられるのが日米の文化差だ。かなり深刻な問題を含んでいるが日本側には遠慮があり十分に議論されてこなかった。裏を返せば耐えきれなくなった時の反動は極めて大きなものになるだろうと予想できる。

日本で何か問題が起きると「世間をお騒がせする」ことを恐れて、関係のあるものを自粛する動きが見られる。不安を生じさせる怪しいものはまずはいったん全て止めてしまうのだ。これが世間への配慮として好意的に受け止められる。ところがこれがアメリカではこれがなりたたない。事前に自粛行動を起こしてしまうと「問題を認めた」ことになってしまう。だから却って何も無かったように振る舞ってしまう。よくアメリカ人は謝らないと言われる。過失を認めることの重大さに対する感覚が日本とは全く異なっている。

今回の場合はわざわざ救援活動にオスプレイを飛ばしてみせた。アメリカ的な考え方によればオスプレイには何の問題もなくたまたま当該機が不幸な事故を起こしただけということになるだろう。だが日本人はそうは受け止めない。どうしても「アメリカは十分に日本の世論に配慮していないのではないか」と考えてしまうのだ。

さらに日本には「アメリカに守ってもらえるので強いことは言いにくい」という気持ちがある。つまり潜在的にはアメリカに頭が上がらないと考えて遠慮している。同時に日本人は「そういっても相手は配慮してくれるはずだ」と考える。このような期待感を「甘え構造」などという。人間関係を重視する日本独自のメンタリティである。形式的に日本は独立した国家ではあるがどうしてもアメリカに対する遠慮と依存があり「事実上の占領状態」というメンタリティを抱え込んでいる。心理的に独立できていないとも言えるだろう。

しかしアメリカは契約によって日本で飛行する権利を得ていると考える傾向がある。つまりお互いにメリットデメリットで理解している。

加えて軍がシビリアンコントロールに対して強い抵抗を持っていることもわかった。こうした感情がなぜ生まれたのかはよくわからない。

今回は上川外務大臣がエマニュエル駐日大使に対して正式な依頼を行っており、エマニュエル駐日大使の側も正式な依頼として受け取っている。にもかかわらず軍の方はこれを無視してオスプレイの飛行を継続させていた。そして自分達の判断でという体裁を作り飛行を差し止めた。

ただこの「誰かに言われたのではなく自分達の責任で飛行を止めた」というアメリカ人にとっては重要な「形式」を日本人が理解することはないだろう。

こうした文化の違いに根ざしたミスコミュニケーションは既に日本の防衛に大きな問題を引き起こしつつある。

佐賀へのオスプレイ導入は地元の反対運動を招くだろう。南西諸島の防衛に大きな穴が開くことが想定される。さらに途中経路になっている鹿児島県も陸上は飛ばないようにと遠慮がちに要請している。おそらく同じ問題は米軍の訓練飛行先でも引き起こされるはずである。沖縄では米軍ヘリが墜落した時にアメリカが勝手に規制線を設定して日本の警察を排除している。陸上で事故が起きれば同じことが本土でも繰り返されるはずだ。日米同盟にはさまざまなグレーな状態があるがwhat if(もしも)を考えないことでこうした問題に対しては思考停止的な姿勢を貫いていた。

もう一つ見逃せないのが軍が外交筋からの指摘を無視し「あくまでも自分達が自主的に配慮している」との姿勢を見せた点だ。国同士のやりとりに不信感を持っており重要な取り決めは自分達が主導できる合同委員会で決めたいという気持ちがあるのだろう。国会への承認や報告が必要のない米軍の既得権益である。常に権利を主張していないとそれが失われてしまうというのもアメリカ人特有な考え方と言っていいのではないか。こうした歪な関係も「問題が例外的にしか起こらない」ことが前提になっている。

もちろん、平時に今回のような事故が多発するとは思えない。だが、仮に台湾海峡で有事が起きた場合には事故が起きる前提でコミュニケーション通路を整備する必要しておく必要がある。おそらく軍は日本のシビリアンコントロールに抵抗し自発的に行動したがるはずである。

将来何か起きた時に今回の出来事を思い出して「あの時こうしていればよかった」と考えることが出てくるだろう。だが台湾有事の議論は主に防衛予算の膨張と関連づけてしか語られない。実際に軍事行動が起きる前提の事前準備にはなっていない。

元々日米同盟は東洋と西洋という折り合わない関係を日本の遠慮で維持しているという事情がある。実は意外と危うい関係なのだということがわかるが他に頼るものもない現状では当面はこれに依存してゆくしかない。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで