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「新しい資本主義」には最初から中身なんかなかった 岸田総理の相談役が舞台裏をネタばらし

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デイリー新潮に興味深い記事が載っている。「支持率が最低水準の岸田総理に元側近が苦言「信念がないから“語る力”がない」「奥野の座敷には入れてくれない」」というものだ。奥野の座敷とは地名か何かなのかと思ったのだが、おそらく「奥の座敷」の打ち間違いだろう。最新版ではタイトルが修正されている。

この記事には「新しい資本主義」を語る上で重要な証言を含まれている。実はこの言葉には実体がないそうだ。中身がないから派閥内でも理解できる人がいないと宏池会に所属していた三ツ矢憲生元衆議院議員は語る。

三ツ矢氏の発信を見ると、宏池会の中で岸田氏の「次」をめぐって動きが出始めたことがわかる。このままでは宏池会の政策には中身がないという印象がつきかねない。また、他派閥の声を「聞きすぎる」岸田総理に対して派閥内の反発はかなり強まっているといえそうだ。

だが最も苛立っているのは国民だろう。国民は「ささやかでもいいから生活にゆとりが欲しい」だけなのだ。決して大それた政治への期待とは思えないがそれすらも叶えてもらえないという状況になっている。

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ニュースソースは2003年に初当選し今は引退してしまったという三ツ矢憲生氏である。大平正芳氏に感銘し宏池会に在籍していたが現在は宏池会所属議員たちの相談役になっているという。岸田氏との距離感は微妙だ。宏池会は本流岸田派と谷垣グループに分裂しているが谷垣氏にはついてゆかずに岸田派に残った。だがmしばらくの間は両方に所属しておりなぜ分裂したのかの説明を求めていたそうだ。また、岸田総理就任直後に突然政界引退を表明し「側近が政界引退した」として話題になった。

三ツ矢氏の話は、村井英樹氏が総裁選の前に相談にきたというところから始まる。まず「新しい資本主義」という言葉を思いついたが中身がない。そこで三ツ矢さんに「何かないか」と相談するように言われたようだ。

中身がないのも困るのだが三ツ矢氏が問題視するのは「実は総理にやりたいことが何もない」という点だ。三ツ矢さんは逆に「何がやりたいのか」を総理に聞くことにした。つまり自分が何をやりたいか考えてごらんとアドバイスしたことになる。ところが何も出てこなかった。

三ツ矢氏は岸田総理は人当たりはいいのだが踏み込んだ話はしてくれないと物足りなさを感じている。表面上の人当たりの良さを玄関に例え本音の部分を「奥の座敷」に例えている。だが入れてくれないのではなく実は何もないのではないかと三ツ矢氏は疑っているようだ。

岸田総理の側近と言われる人の中には東大卒の官僚経験者が多い。官僚は自ら意思決定できないので政治家になるしかないと考えて政治家に転身した人たちである。どうしても政治家になりたかった人たちから見れば「何がやりたいのかわからない」政治家は不思議な存在に思えるだろうが、現在の体制では世襲政治家の方が上に行く可能性が高い。

三ツ矢氏は時事通信のインタビューでも大体同じようなことを言っている。時事通信ではもう少し踏み込んでいて中身を聞いたが「まだそこまで考えていない」と言われたということになっている。結局、岸田総理は「まだそこまで考えていない」段階でこの言葉を使ってしまい、支持率低迷の起点となった。

前回紹介したように日銀の調査によると「物価高のせいでゆとりがなくなった」とする国民の数は急激に増えている。国民の間に具体的な政策があるわけではない。「どうにかして生活にゆとりを持たせてほしい」と願っているだけ人が多いはずだ。それは決して大それた政治への期待ではない。決して贅沢がしたいわけではなくちょっとしたゆとりが欲しいだけなのだ。だが、実は総理の側にも特にやりたいことはなく「国民や識者の意見を聞いてウケそうなことがやりたい」と考えているだけのようだ。これでは国民生活はいつまで経っても良くならないだろう。

そもそもこの新しい資本主義という言葉はどこから出てきたものなのだろうか。

以前紹介したようにアメリカでは合理的利他主義という考え方が定着しつつある。資本主義は私利私欲を求めて利己的に暴走しがちだがこれを人間の理性によって管理しようというような考え方である。源流はフランスのジャック・アタリのようだ。アタリは社会やコミュニティのことを考えて行動するのが実は最も合理的なのであると説いた。

共和党は企業などに支持された資本主義・自由主義政党だが、対立軸を必要としていた民主党は「個人の犠牲を伴う社会主義ではなく、利他主義こそが最も合理的なのだ」として、行きすぎた資本主義の恩恵を受けられない若者を中心に支持を集めた。しかしながらこの考え方は巨額の財政支出と猛烈なインフレを招いている。バイデン大統領の支持率は低迷しており若者の離反も目立つようになってきている。着想は良いのかもしれないが、きちんと制度設計した上で政策を実現しない限り、これは単なるバラマキに終わってしまう。

バイデノミクスはおそらくかなりの失敗作である。当然それをコピーした政策も失敗作になる可能性が高いのだからそれなりの修正が求められる。だが失敗から学ぶためには意味がわかった上でコピーをしなければならない。

日本でこの潮流を広めたのは総理の相談役とされる原丈人氏だと言われている。原氏は合理的利他主義ではなく「公益資本主義」と言っている。株主中心の資本主義ではなく公益性を重視すべきだとする考え方は、地方に対して都市の利益を分配することで力を伸ばしてきた自民党には受け入れやすい考え方だったと言えるだろう。「バラマキ」とされることが多い公共工事を正当化しやすい。またバイデン大統領の着想にも近い。バイデン氏は岸田総理の発言を聞いて「自分が考えているのと全く同じだ」と発言したと言われている。

原丈人氏は以前ほど岸田総理とのつながりを語らなくなっている。依然「関係は近い」などと言われているのだが、必ずしも原氏が提唱するような政策は実現していないからである。

背景を紐解くと、そもそも岸田総理の言う「新しい資本主義」を国民が理解できないのは当たり前である。そもそも伝聞である上に。少なくとも派閥にまではその意味合いは全く伝わっていない。三ツ矢氏は「当時から派閥内では実体不明」と切り捨てる。

例えとして最も近いのはゼミの研究テーマが決まらない学生だろう。

受験勉強はそこそこできる。だがゼミのテーマを決める段階になって何を書いていいのかわからない。教授に何かいい題材はないですかね?と聞きに行ったので、教授が「君も大学生になったんだから何かやりたいことがあるでしょう」とアドバイスをする。すると学生は「いや特にありません」と答える。これではお手上げである。結局、色々な人が「これはいいよ」と言う題材ついてに取り組んでみるのだがそもそも自分がやりたいことがあるわけではないのでどこかしっくりこない。次に会った時にはまた別の課題にに取り組んでいる。ゼミの成績も上がらないし卒論のテーマも見つかりそうにない。

不思議に思って普段どんな勉強をしているのかを聞いてみたところ友達から写したノートが出てきた。だが中身を読んでみても元々の趣旨は失われていてしまっている。この学生はこれで定期試験を勝ち上がってきたのかと気がつくが、ゼミに入れてしまっている以上はなんとかしなければならない。

つまり総理大臣のいう「聞く力」とは単にカンニング能力だったということになる。試験勉強はこれで乗り切れるのだがゼミのテーマや卒論のように自分の考え方が必要になると途端に行き詰まる。

国民は総理の語りかけを待っているが、おそらく総理大臣から期待する発言は出てこないだろう。

多くの世襲政治家は政治家になる動機がない。生まれた時から地盤を継ぐことが決まっている。この点は安倍晋三元総理大臣に非常によく似ている。やりたいことがあっても諦めて周りのいうことを聞き続けるのが世襲政治家に与えられた役割であり宿命だ。

これを三ツ矢氏は「良くも悪くも中身がなく真空だ」などと表現する。三ツ矢氏は「カンニング力(aka 聞く力)」に長けた岸田総理が頼ったのが木原誠二幹事長代理なのではないかと考えているようだ。

ただし三ツ矢氏が総理大臣の政策には実は中身がないと言い出したのも実は政局がらみという気はする。おそらく宏池会の中でも「次」に向けた動きが起きているのだろう。宏池会の人が怒っているのはおそらく経済政策ではなく安全保障である。

三ツ矢氏の批判は宏池会の政策とは相容れない敵基地攻撃能力の問題などに向かってゆく。三ツ矢氏だけではなく古賀誠元幹事長なども岸田総理と距離を置いており林芳正前外務大臣を派閥代表に据えるべきだと公言している。

敵基地攻撃能力は安倍総理大臣に影響を受けた情報発信であると考えられているが、実は安倍さんに直接言われたわけではないのだそうだ。つまり安倍総理の発言がウケるのを見て「ああこういうのがウケるんだな」と考えて実際に政府方針にしてしまったことになる。これもカンニング力の発露と言える。

新しい資本主義という言葉に中身がないということは誰もが薄々勘づいていたことだろう。ネットでも「総理大臣になることが目的だっただけで特にやりたいことはないのだろう」と指摘されることがある。

気になる点はいくつかある。

前回紹介したように日銀の調査では岸田政権下で生活にゆとりがなくなったという人が増えているが、これを払拭してくれそうな政党や派閥がない。そもそもきちんとした生活実感調査がないので属性ごとに誰がどのような課題で困っているのかがよくわからない。これでは国民生活は良くならない。

次に岸田氏が「中身がないのに総理大臣になってしまった」のか「中身がないから総理大臣になれたのか」がわからない。仮に前者だとすれば派閥は岸田総理の中身のなさを見抜けなかったことになり、後者だとすると「次に自民党から総理大臣が出ても同じようなことの繰り返し」になってしまう。世襲が多いことを考えると次も「ゼミのテーマが見つからない」人が総理大臣になってしまう可能性がある。

最後にそもそも中身がない岸田総理の政策に反対する法案を出し続けても「具体的なビジョンのある野党」にはなれない。逆に「万博の予算がついているから」という理由で補正予算に賛成しても泥舟に後から乗船することにしかならないだろう。野党が自分の頭で考えに考え抜いた結果として新しい政策提案をしない限、結局今のようなモヤモヤが続くだけなのかもしれないのだが、野党にも「コピペ疑惑」はある。

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