ドイツには憲法がない。戦後の混乱期にどのような形で国をまとめるかについて合意ができなかったため暫定的な「基本法」で国家運営をしてきたからだ。さらにナチス・ドイツが合法的に民主主義を停止した経緯があり「いざという時は国民が国家に抵抗できるようにしておくべきだ」といく戦う民主主義という考え方もある。つまり、憲法のような基本法は絶対視されていない。
不思議なことにドイツは憲法がないのに憲法裁判所が存在する。首都ではなくフランクフルトの南に位置するカールスルーエという別の街に置かれているという。裁判官は連邦議会と連邦参議院によって任命される。連邦議会は国民の直接選挙によって選ばれるが連邦参議院は州の代表者が集まる議会である。
その憲法裁判所が予算案に違憲判決を出し、新型コロナウィルス対策で使用しなかった予算を環境などの他の目標に転用するのを認めないとした。成立した予算ではなく予算案を差し止めたのがポイントだ。このためショルツ連立政権は予算の組み直しを迫られている。日本円にして10兆円ほどの「財政の穴」が開くそうだ。
予算案の差し止めの結果、ドイツの連立政権には緊張が生じている。特に左派「緑の党」は歳出拡大を求めているが自由民主党は増税を拒否しているという。増税なしに予算案を成立させるためにはなんらかの歳出をカットするしかない。「財政の穴」は600億ユーロになるが日本円に直すと10兆円近い金額になるそうだ。
ドイツの法律では債務に上限が設けられているが、緊急時には「債務ブレーキ」を解除することができる。こうすれば増税なしに経済対策を行うことも可能だ。ただしこうした例外的な財政措置は議会の承認が必要になる上に憲法裁判所が示したガイドラインに従う必要もある。緑の党は債務ブレーキ解除に慎重な立場だ。そのためドイツでは新しい支出の決済が停止されている。ショルツ首相はできるだけ速やかに新しい予算案を議会に提出するとしているが、財政的には極めて混乱した状態に陥っている。
ユーロ圏の優等生と言われるドイツは自分達の経済的実力より割安なユーロの恩恵を受けることができていた。しかしながら、ウクライナの戦争やアメリカで拡大した財政支出によって生じたインフレ対策のための高金利政策などが重なりそのドイツでさえ財政支出に頼らざるを得ない状態に陥ったということになる。
ドイツは「メフォ手形」のような戦前・戦中のスキームの影響でハイパーインフレに苦しんだ経験もあり厳しい財政規律を持っている。同じようなハイパーインフレで国民財政が紙屑化した経験を持ちながらそれをすっかり忘れてしまった日本とは対象的である。
日本でも憲法改正の議論が進んでいるが、日本の護憲派は一度憲法改正を許してしまうと国会の多数派が好き勝手に憲法を解釈してしまうかもしれないと警戒している。結果的に憲法改正議論は硬直的なものになり現実に合っていない規定もそのまま温存されることになる。また、憲法も基本法規として絶対視されており過大評価されている印象もある。
一応日本にも違憲審査は存在する。だが、当事者でなければ申し出をすることができないことになっており審査のハードルが高い上に「統治行為論」という独特の考え方があり最高裁判所はなかなか違憲判決を出したがらない。国民に抵抗権があり司法が積極的に基本法を守ろうとするドイツとは対照的だ。岸田総理は来年の任期切れまで憲法改正を目指すとしている。現在緊急事態条項などが話し合われるものと見られているようだが、おそらく最初に取り組むべきなのはドイツのような積極的な違憲立法審査機関を作ることなのだろう。
ドイツでは予算の差し止めがGDPを0.5ポイント程度押し下げるという結果も出ている。だが、政治家や世論がこぞって憲法裁判所を攻撃するということにはなっていない。それだけ憲法裁判所が国民から支持されているということなのではないかと思う。
ただし政権内にも意見の違いはあるようだ。緑の党は「判決は経済に悪影響がある」とはしたが憲法裁判所を攻撃することはなかった。自由民主党は債務ブレーキの解除を求めているが緑の党は「財政規律」を重視し債務ブレーキ解除には反対している。