割とどうでもいい話だが、地震速報をみていて、どうして天草諸島の全部が熊本県ではないのかが気になったので調べてみた。1581年に島津氏が侵攻して天草諸島の一部である長島を薩摩国の出水郡に編入してしまったのだそうだ。いろいろと疑問がわくのだが、国境を決める権限は誰が持っていたのだろうか。戦国時代なのでいろいろとうやむやだったということなのか。よく分からない。天草諸島は後に長崎県(熊本ではなく)に編入されたあと、旧国境に従って最終的に熊本県と鹿児島県に編入された。なので、天草諸島の一部だけが鹿児島県になっているというわけである。
そこで別の不自然な県境についても調べてみた。目につく有名な飛び地が和歌山県の飛び地になっている北山村である。現在は東牟婁郡となっている。ここが飛び地になっている理由はよく知られている。和歌山県新宮市と縁が深かったのだそうだ。お隣の玉置口村は新宮市に編入されている。この地域は熊野川で新宮市とつながっているのだ。
地図をよく見てみると実は違うところに疑問を持つべきだったようだ。なぜ隣の地域(吉野郡十津川村竹筒(たけとう))が奈良県吉野郡十津川村なのかという点だ。実は竹筒地域から奈良県側に出ることはできないそうだ。郵便も紀伊半島西側をぐるっと回る必要があるのだという。これには納得がゆく答えはなかった。十津川村は東京二十三区よりも広い面積があるのだそうだ。現在は奈良県吉野郡に属する下北山村も昔は牟婁郡だったようだ。不思議なことに上北山村は昔から吉野郡だったようだが、ここも熊野川沿いで、奈良県とはつながりが薄いそうである。いずれにせよ、この地域をまとめて和歌山県に編入しようと言う声はなさそうだ。
県を超えて自治体が合併するのは不可能ではない。2005年に長野県木曽郡山口村は岐阜県中津川市と合併した。もともと地理的に岐阜県の方が近かったのだそうだ。では、なぜここが長野県だったのかというのにも答えがない。鎌倉時代まで木曽郡全体は美濃国恵那郡の一部だったということである。その後なぜか信濃に割譲されてしまった。もともと辺境地だったということのようだ。
辺境だったのに、都市部に組み込まれた地域もある。もともと渡良瀬川の流域は辺境地域だった。この地域にあったのが下総国葛飾郡だ。川の流域なので南北に細長い形をしている。ところが江戸時代に渡良瀬川などが整理されて江戸川ができると状況が変わる。江戸川の東は下総国に残ったが西半分は武蔵国に編入されてしまった。武蔵国は埼玉県、東京都、神奈川県(の一部)になり、下総国は整理された利根川を境にして茨城県と千葉県に分断された。ということで、現在の葛飾郡域は現在4県にまたがっている。もともとの武蔵国(こちらは豊島郡)との境界も曖昧になっており東京の一部になっている。なお江戸川の向こう側なのに浦安市が千葉県なのは、江戸川が付け替えられたからだそうだ。